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絶対的な善(正義)は全体主義を産み出す可能性もある(CHANGE THE WORLD!7/26)

<野田洋次郎の炎上ツイート>

野田洋次郎さんがTwitterのあるツイートで炎上したらしいです。
それは2020/7/16の「優生思想ツイート」と呼ばれているものです。

<炎上ツイートのコメント欄における正義のぶつかり合い>

このツイートに対するコメントで「野田洋次郎を非難するツイート」や「”野田洋次郎を非難するツイート”に対するツイート」などが見られたそうです。

「野田洋次郎を非難するツイート」をした人は、その人なりの正義観をもってツイートをしたと思います。
「”野田洋次郎を非難するツイート”に対するツイート」をした人も、その人なりの正義観をもってツイートをしたと思います。
どちらの人も「正しいこと(=正義)を掲げているのに衝突してしまう」というかなしさを感じました。
(私はこのかなしさを味わいたくないからTwitterをやめました…涙)

普通のツイートなら「「あの人の正義のものさし」「この人の正義のものさし」があるから、どちらも尊重されるべきだし、対話してもっとお互いの理解を深めようね」となると思います。
しかし、このツイートは普通のツイートではなく「優生思想を帯びているツイート」のため、話がややこしくなっています。
言い換えると、「優生思想=悪い思想」という考えが正しい(=正義)としている人がマジョリティーになっている社会のため、「優生思想賛成の人も反対の人もどちらも尊重されるべきだし、…」とは言いづらくなっていると感じています。

<優生思想反対という思想は優生思想を産み出す>

ここで明確に述べておきますが、私は優生思想には反対です。
そのことを念頭に置いて読んでください。

優生思想反対という思想は優生思想を産み出すと思います。
もっと簡単にいうと、優生思想反対という絶対的な正義観を掲げた社会を作るということは、優生思想賛成という意見をもつ人はマイノリティーになります。
優生思想反対という絶対的な正義観を掲げた社会では、優生思想賛成の人を潰す社会であり、それは全体主義に走っていると言えると思います。
私的には優生思想反対の社会は善い正義観をもつ社会になると思います。
つまり、優生思想という観点において、善い独裁がされていると言えると思います。
しかし、独裁であることには変わりないし、それが「悪い独裁」になる可能性は否めません。

<絶対的な善悪はあるのか?>

優生思想は絶対的な悪なのでしょうか?
このような問いを立てたのですが、ここではこの問いに対して議論するつもりはありません。
ここで議論したいのは、絶対的な善悪はあるのかということです。
絶対的な善悪を決めた瞬間に善悪の境界線ができてしまいます。
果たしてそれは善い社会を導いてくれるのでしょうか?
私はそうは思いません。
だから、私はどんな話題でも「「あの人の正義のものさし」「この人の正義のものさし」があるから、どちらも尊重されるべきだし、対話してもっとお互いの理解を深めよう」というスタンスでいきたいと思います。

優生思想という話題だと「すべての人間の命は平等だ」とかそういう一見すると正しいようにみえる意見(本当に正しいかもしれないし正しくないかもしれない意見)が絶対的な善であり、そう考えない人たちはこの世界から排除されてしまう傾向にあります。
絶対的な善(正義)があると信じた瞬間に、絶対的な悪が生まれ、排除される人たちが出てきてしまいます。
このような絶対的な悪(おそらくマイノリティー)を排除する全体主義的社会や善悪の分断は避けたい!

超現実主義で考えるのなら「みんなの命は平等」の”みんな”には優生思想賛成の人たちは入れなくていいと思います。
つまり、あるもので踏み絵をして、それに合意した人たちだけの世界(コミュニティ)を作るのもいいと思います。
でも、私は絶対に誰も排除したくない!
誰ものけ者にしない世界をつくれるように公共哲学の分野からアプローチしていきます~

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