自分の生きる理由がちょっと分かった
今まで分かってなかったです。はい。詳しく言うと、「生きていたい」より「ちょっと事故に遭って何かのタイミングで死んでもまぁいいか」ぐらい。
だけど、令和六年能登半島地震の時、私は本当に恐怖に震えていた。自分が被災するよりも石川にいる祖母や叔母家族が被災することがつらかった。だったら逆もそうでないかと思いいたることができた。私が被災することや事故に遭うことで祖母や叔母家族、父…はちょっと分からないけど、母が苦しむかもしれない。
そして、働くことでお金を得ることも、そうやって家族が被災した時にさっとお金が出せる方が絶対に心残りがない。しかも今働いてる職場は障がいに理解があり、無理な仕事はしなくても大丈夫だ。他の人に比べればきっと恵まれている。
実際、家族ではないが作家仲間さんが困っている時にグッズ購入やSkeb依頼でお金を作家さんに間接的に渡すようにしている。働いてなければそれほどの余裕はないだろう。精神的にも経済的にも。あと推しにも貢ぎたい(2次元)。
結局のところ人生が何のためになるかは人それぞれだと思うし、それが正解かどうかは一生が終わる時に分かるものだと思っている。
だけど、今分からなくてもとりあえず生きてさえいれば、私のように急に合点がいくことがあるのだと知った。
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