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24時間、何か月、何年かけてでも。#言葉の企画


小笠原諸島に行ったことがある。

たどり着くまでに片道24時間かかる島。世界自然遺産として認定されている島。


「なにが一番よかった?」


旅好きと公言しているわたしが投げられて困る質問ランキング上位に入るこの問いかけだが、小笠原諸島に関しては、すんなりと答えることができる。


「人が、とってもよかった。」

もっと具体的に言えば、お世話になった海のツアーガイドのお兄さんが、最高だった。


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言葉の企画2020、第4回講義を経ての感想文です)


「見れてよかったな!!」


小笠原諸島は、先にも書いた通り、島自体が世界自然遺産に認定されているため、専門のツアーガイドさんがいないと足を踏み入れることができないエリアが沢山ある。


一緒に行った友達とわたしは、現地のあるツアー会社で、シュノーケリングとホエールウォッチングが一緒になった海のツアーに申し込んでいた。

ちょうどザトウクジラが島に近付くシーズンだったので、運が良ければ、間近でクジラたちを見ることができると言われていた。


結論から言うと、わたし達はとても運が良かった。


小笠原諸島に向かう途中にも、ツアー中にも、何頭ものクジラに出逢えた。

ぷしゅーーという潮吹きも、白いおなかを水面に出して飛び込むジャンプも、尾びれを空高く上げて海に潜る瞬間も、ぜんぶ全部この目で見ることができた。


圧巻だった。感動した。ほんとうに、かっこよかった。



でも、なによりもわたしが心動かされたのは、海のツアーガイドのお兄さんだった。

お兄さんは、海の上でだれよりも目を凝らしてクジラを探していて、遠くに見えたかすかな白いしぶきに誰よりも早く反応して、ブウウゥゥンとエンジンかけて、グイイイィィンとハンドルを切る。


「いた!」とお兄さんが思ったら、一目散にクジラをめがけて船を飛ばす。

(だから、結構危ない。乗客のわたしたちはちゃんとつかまってないと、まじで海に振り落とされる。笑)


そして、そこに、たしかにクジラはいる。

お兄さんが連れて行ってくれた場所で、乗客のわたしたちは「わああぁ!」と言いながらクジラを見て、船の振れに耐えながらカメラを構えて、必死で写真に収め、自分の目にも焼き付ける。



「見れてよかったな!!」

クジラが海の底へ戻った後、きれいに日焼けしたお兄さんは、白い歯をニカっと見せながら、誰よりも嬉しそうにこう言った。


『その言葉、そっくりそのままお兄さんに返すよ!』

と言いたくなった。

だって、船の上の誰よりも、お兄さんがいちばん嬉しそうで、楽しそうで。ツアーガイドさんなんだから、きっともう何度も見てきているはずなのに。それなのに、本当に嬉しそう。クジラ、見れてよかったです。クジラ、見れてよかったですね。


クジラが見れて嬉しかった。

でももしかしたら、それ以上に見れて嬉しかったのはお兄さんのあの笑顔かもしれない。


フェリーが週に一度しか来ない離島に暮らすというということは、どちらかというと、かなり不便な生活を選ぶということだと思う。コンビニだって、充実した医療機関だって、仕事の選択肢だって、無いもの探しがいくらでもできてしまうような場所かもしれない。

それでも、小笠原で生きていくことを決めたお兄さんは、かっこよかった。自分が好きなことを、ほんとうに自分が楽しんでやっている人の笑顔が見れた。


林さんの、あの笑顔


言葉の企画、はやくも4回目の講義が終わった。

今回の講師、林健太郎さんのお話を聞いて、笑顔を見て、あのお兄さんの笑顔を思い出した。


やっぱり、本当に自分がやりたいことを、楽しんでやっている人の笑顔は、強い。もう、なんでそんな楽しそうなの?ってくらい、笑顔に力がある。

その笑顔が見れて、わたしは、なんだかものすごく生意気かもしれないが、嬉しかった。


「好きな食べ物は?」という質問に対して、阿部さんが「オムライス」と答えた時に、びっくりするくらい爆笑していた林さん。なんでそんなに笑ってるんやって思ったけど、きっとなにか思い出すことがあったのかな、本当にステキな関係性を築かれているんだろうな、と色々想像して、思わずわたしまで笑ってしまった。


誰よりも楽しそうな林さん。

その楽しそうな様子や笑顔の裏には、「本当にやりたいことをやっている?」という問いを自分に何度も何度も投げかけ、何度も何度も答えてきた強さがあるのだと想像した。


本当にやりたいの?


「自分が本当にやりたいこと」をやるって、簡単な事じゃない。

たった一人の、一人称の「自分」という主語ですら難しい。

それが(今回の場合は)5倍にもなった「チーム」という主語で、やりたいことをやりきるのは、本当に簡単な事じゃない。


だからこそ。なによりも、5人それぞれが、「自分が本当にやりたいこと」を真剣に考える事が必要だったのかな、と思う。


もしも「チームで」とか「言葉の企画」というものを考えなかったとして、「あなたが、今年中に1つやりたいことを企画して下さい」と言われていたとしたら、わたしはなんて答えていただろうか。チームのみんなは、なんて答えるのだろうか。


遠慮と配慮の狭間で


遠慮と、配慮の狭間は、いつだって曖昧で、流動的で、難しい。

だって、人によって捉え方がちがうんだもの。


そんな風に思っていたけれど、辞書を引いてみると、なんとなーく違いが分かってきた感覚があった。


遠慮:他人に対して、控え目に振る舞うこと。言動を控え目にすること。(Weblio参照
配慮:心をくばること。他人や他の事のために気をつかうこと。(Weblio参照


自分の考えを、それが意図的に相手を傷つけるものではない場合に、

(空気悪くなるかな‥)

(代替案とか考えてないしな‥)

といったネガティブな妄想によって、表明しないのは、きっと遠慮だ。


そしてこの遠慮って、特にわたしの場合は、ちょっと自分本位なのかもしれない。

空気読めないって思われたくない、浮きたくない、良い感じの流れをぶった切る人になりたくない。

自分のことを守るために「言わない」を選択する。これじゃあ、ほんとうの意味で相手のことを考えられてないよなあ。



このネガティブな妄想を乗り越え、いや、乗り越えるとまでいかなくても共存しながら、自分の考えを伝えること。

わたしは、ここが得意ではないのだと思う。


配慮です、と言い訳をして、勝手に遠慮をしていないか。甘えていないか。

それは本当に配慮なのか?自分を守りたいだけなんじゃないか?


あの笑顔を、わたしも


相手に気を配ったうえで、「言わない」を選択するのではなく、それでも、「言う」「伝える」を選択するために、わたしには何が必要なんだろう。


それは、きっと失敗も成功もまるっと含めた経験で、えいやっという勇気で、相手への信頼で。そして自分をひらくこと、なのかな。


自分をガンガンに変えていきたい、といった話ではないけれど。

それでも、自分がこれからも、そして今よりももっと幸せに生きるために。仕事で、とかプライベートでとか関係なしに、自分のやりたいことをやるために、ありたい姿であるために。

配慮と遠慮の狭間を考える、とても良いチャンスで、とても恵まれた環境なのかもしれないなと思う。


自分がやりたいことを、本気でやっている人の笑顔は、簡単には忘れられない。脳裏に強く焼きついていて、思い出すたびに、なんだかつい、嬉しくなってしまう。


わたしは何がやりたいんだろう。

チームで、なにをしていきたいんだろう。本当にやりたいことを、本当に楽しんでやっていきたいな。


そして、わたしもあんな風に、つよい笑顔を浮かべられる人になりたい。仲間と一緒に。


おわりに


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小笠原諸島では、本土に向かう船が出る時に、こうやって島民の皆さんが「行ってらっしゃい〜い!」と見送ってくれる。

ここからさらに、15分くらいかけて、小さな船を並走させて、「ばいば〜い!!」と手を振り、最後に海にバシャーン!と飛び込んでくれる。

そうなんです。最高なんです。

今は行くのが難しいけれど、色々と落ち着いた暁には、すぐにでも(といっても24時間かかるけど)また行きたい。そしてまたクジラに、あの笑顔に会いたい。

ありがとうございます。がんばった日の、コンビニスイーツを買おうと思います。