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水田隆の記事

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2015年4月の記事一覧

とある落語愛好家の一日

瞳は目を覚ました。これは永遠の休暇の始まりだろうか。枕もとの赤い目覚まし時計に視線を向ける。その刹那、短針がローマ数字Ⅶを指す。けたたましいベルの音が家中に鳴り響く...と思われたが、瞳の腕は自由形の水泳選手がプールの壁面にタッチするようななめらかな動きで上部中央のボタンを押し込み、両脇に鎮座する猫の耳に似た銀鐘の振動をたった1度しか許さない。

「じゅげむじゅげむごこうのすりきれ...」

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一、庖丁 一朝

噺家を評するに「軽さ」ほど両義的な言葉はない。落語という芸が聴衆に与える印象の軽重は、芝居、とりわけ感情表現のレアリズムへの力点の置き方に拠っている。寄席の客はしばしば、泣き過ぎることを嫌う。一方で、人情を排した型の美しさへの拘泥は薄っぺらい芸術家気取りと揶揄される危険性を孕んでいる。了見をしっかりと感じさせながら、しかしそれぞれの人物に入れ込み過ぎて噺全体のバランスを崩すことのないように。適度な

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