夢のちからは、言葉のちから

タイトルは、私の大好物の本『本田宗一郎著「夢を力に」』を読みながら、真っ先に浮かんだイメージというか、『あぁ、夢の力は言葉の力なんだな』という感じだったのですが、

そうしたら、今、使うべき言葉は

「戦争は終わる。終わりがはじまる」

じゃないかな?
「嘘つくな!」と言われそうだけど、そう言われたら

「人(の国)のしあわせを祈願して、なにが悪いんだよ〜!」ですよ。

こんな使い方も

「戦争は終わる。終わりがはじまる。
 知らないんですけど!」でも

いいんじゃないかな?

日本は水と祈願の国だから、多少変なことを言っても、国際的に「あぁ、ヘンタイの国だから」くらいなんじゃないかな。

まぁ、戦争が終わって欲しいんですけど。

ライフ・イズ・ビューティフルのお父さんもこの手を息子に仕掛けていたけど、そういうと「映画じゃねぇか!」と言われそうだけど、

「じゃあ、ベルリンの壁崩壊は?」

という話になる。
あれは、政治的なあれこれで崩壊したんじゃなくて、

ただの噂話がなぜか現実に。。。というやつだったような。。。市民が、その根拠のない噂話を信じて、

勝手に壁を壊し始めたのが先だったような。。。あとから、政治的要素をこう無理込みしたような。。。

日本でも、電車に乗っていた女子高生がお友だちと軽く地元の信用金庫の話をしていたら(←ここまでは、なにも動かないし、問題ない)、同じ車両に乗っていたお母様くらいの年齢の方がなぜか日本語の独自変換が少し出て、近所のお母様と噂話をしていて「ここの信用金庫、ヤバいらしいわよ」となり(←ここでも、そんなに問題ない)、その噂話をまた独自変換が加わり「ここの信用金庫、マズいという話を今日聞いた」となり(←ここでも、それほど問題ない)、

それを聞いた現実を確かめない高齢者が次々と現実に銀行口座から、

大金をお持ち帰りしはじめた(←完全にここから問題が発生)。

。。。という日本の近代史から(どこがだよ。でも、現実に起こっちゃったやつだよ)、

人の国のしあわせを祈願していいと思っている。よく引き寄せの法則でさんざん『完結で言う』とか『終了型で』とか『に、なりたい、ではいけない。それでは、「に、なりたいと思っている自分を引き寄せて、永遠になれない」だから、「に、なる!」と使う』とか、

散々、聞いたり、読んだりしてる〜!

いいんじゃないかな。『戦争が終わる』に

根拠がなくて。

だって、無法地帯は最大級の下品なんだよ。勝てば、どうでもいい。力が強い方が正義になるなら、

嫌なんだよ。「現実から目を背けるな!」とか言う奴がいるけど、そいつは

人間の力をわかってない。

嫌な現実を見続けて、見えなくなっていく人がいるんだ。
嫌な現実を聞き続けて、聞こえなくなっていく人がいるんだ。

そういうものだ。わかれよ。

だから、良い音とか良い景色とか良い香りとか良い言葉とか良い風とか、そういう六根清浄的なやつをわかれよ。という話なんだ。どっこいしょは、別にわからなくていいから、

五感に良いと判断するやつをだな、次々と創らないといけないわけ!

だから、
「戦争が終わる。終わりがはじまる」というお題を勝手にネタにして、それぞれが自分にとっても、他人にとっても、うつくしい表現をすればいいんだ。

それだけだよ、OK?



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