私を護ってくれるなにか
なにかが私を護ってくれている。
生きていて、とても実力と言えるものなどなく、知らない一生会うこともない誰かに生活を支えてもらっていると思ってる。
それは日本とか日本人だけではなく、もう世界中の誰かに生活を支えてもらっていると考えていいと思ってる。
ただ仕事として、それがあたりまえみたいになっているのだけど
アイルトン・セナというレーサーがいたのだけど、のちにHONDAの専属のF1レーサーになるのだけど、レーサーの世界で成績を出すのは当然のことで、数字が残せないものはいなくなるわけだけども、セナは上位入賞をした時、突然お達しが来て、本田宗一郎と会食をすることになったエピソードがある。本田はセナと酒を交わしたみたいな話だったのだけど、本田から
「ありがとう」と言われたらしい。
それまでセナは所属先の会社のトップが直接会うためにセッティングするようなことはなく、むしろ、成績を出すことはあたりまえという感覚だった。
HONDA専属になった頃のセナは相当ボロボロだった記憶で。セナは一生お金に困らないような家の子で、実家第一産業のお金持ちなんですよ。実家を継げば安泰なのに、レーサーになったことで、家族とか奥様とかいろいろあったみたいで。
本田から「ありがとう」と言われて、セナは泣いてしまった。という。
本田宗一郎って、そういう男で、あたりまえを手抜きしないでやってくれる人、すべてに「ありがとう」なんですよ。かっこいい。
私が子どもの頃とか学生だった頃は
個性とか
適正とか
硬めにいってる感があったのだけど、皮肉なもので、社会に入ると
個性は邪魔になり
不景気だと、適正な職業に就くこと自体が難しい感じになりました。
小学校5、6年が同じ担任で私は勉強がわからない感じだったので、めっちゃ見世物のような扱いをされたのだけど、それには担任の理屈があるらしく
「頭で稼げないやつは、体で稼ぐしかないんだよ!」という理屈だったのだけど
ハズレで。不景気になってしまったら、勉強ができる方の人の中でもずいぶんふるいに掛けられて、ほとんどが肉体労働へ落ちていったように私には見えたんです。
私はけっこう死にそうな目にずいぶん遭っているのですが、はっきり言ってしまうと、普通は死にかけた方が優位なるという事実もあるのですが
その時に
個性とか
適正とかでは生きていけないなにかがあると思ったんです。
個性とか適正を一個人と直接繋げるほど、簡単ではないような?という感覚で。
ひとりひとりって、結局はデータなんだと。ただの先祖のデータだと思って。私個人というよりも過去の先祖のただの情報が自分なんだ。と思うようになったんです。
たぶん、先祖に私に顔や体型や性格や声が同じような人が存在としていて、その時代は写るんです。とかないから、データはないのだけど、
遺伝とはそういうものだと思っています。
私を護ってくれているなにか。は、私の生き写しの先祖。私が先祖の生き写しなんだと思っています。
そんな先祖が10柱くらいいるんじゃないですか?
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