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他の人では無い、自分が作品を作る意味【映画大好きポンポさん・感想・ネタバレあり】

こんにちは、花坂もみじです。

『竜とそばかすの姫』が先週末から公開になりました。

前職の先輩に声をかけたら、「それよりポンポさんを観に行こう」と言われ、
あっさり予定を変更し、急遽先週末の土曜日にポンポさんを観ることにしました。

鑑賞するに当たって、ポンポさんに関する事前知識は、「なんか少し前にTwitterで話題になってた気がする」程度のもので、どういった内容かはほとんど知りませんでした。

映画を見た感想としては、とても感動しました。
クオリティの高さもさながら、そのメッセージ性にひたすらに感動し、物語の後半はずっと涙腺が緩んで泣いていました。
私自身、コンテンツを作る仕事をしていることもあり、たくさんの活力を貰えました。

作品の概要も書いたネタバレになるので、視聴された方か、それでもいいよーって人が読み進めていただければと思います。
個人的に特に書き起こしたいことをつらつらと綴っていきます。

あらすじなど

おおまかなあらすじは、学生生活や青春といった今までの人生の全てを映画に費やしてきた主人公のジーンが、実力も環境もセンスも兼ね備えた完璧な敏腕映画プロデューサーのポンポさんにその才能を見出され、彼女の用意した最高の脚本から映画監督として1つの作品を完成させるまでという内容です。

劇場版のポンポさんは、とても分かりやすい導入から描かれています。

映画は大好きだけど、内気で自分に自信が無い映画監督志望のジーン
故郷で馬鹿にされ、オーディションも落ち続けてそれでも女優志望のナタリー

それぞれ映画監督と女優を夢見ながらも、日の目を見なかった2人が敏腕プロデューサーとベテラン大物俳優と共にスターダムの道を駆け上がっていくシンデレラストーリーです。

2人の辛い過去が描かれつつも、目まぐるしく変わっていく環境や2人の成長がテンポ良く描かれていて、見ていてワクワクします。

そのうち2人はポンポさんが脚本を書いた「MEISTER」でそれぞれ監督と主演女優として抜擢されます。

撮影が始まり、悪天候や事故といった様々なトラブルが発生しますが、多くの登場人物の機転でプラスに変換していく内容も気持ちよく見れます。

映像もとても綺麗で、どんどん画面に引き込まれていきます。

ポンポさんが想い描いていた最高のシーンも撮影が完了し、撮影は無事にクランクアップを迎えます。

自分が作品を作る意味

素晴らしいスタッフに支えられ、膨大なシーンを撮影したジーンですが、どれも意味がある大切なシーンばかりで尺に収めることが出来ずに編集作業が行き詰まります。

正解が分からなくなり行き詰まったジーンは、映画プロデューサーを引退したポンポさんの祖父 ペーターゼンに教えを乞い、今まで見た映画の中に自分と重なるものを感じたのではないかと諭され、作品に自分を込めることに気づきます。

そしてジーンは、「MEISTER」の主人公に自身を投影して編集を再開しますが、自分を落とし込むにはシーンが足り図、これでは完成しないと考えるジーンは、プロデューサーのポンポさんに土下座をして追加撮影を頼みます。

追加の撮影は時間もお金もかかり、また解散してすでに他の作品に携わっているスタッフを呼び戻すことになります。
当初予定していた完成に間に合わないとスポンサーも契約違反としてお金を出してくれません。

そしてそれをクリアするのは、ポンポさんの仕事です。

ポンポさんは、それを承知の上で発言しているのかとジーンを詰問しますが、ジーンはそれでも映画の完成には絶対に必要だと譲りませんでした。


このシーンが個人的にはとても刺さりまして、思わず涙してしまいました。

私は仕事で配信のディレクションやプロデューサーをしているのですが、日々の業務を行う中で薄れてしまっていたかつての情熱を、自分がコンテンツに関わる意味を改めて思い出すことができました。

ポンポさんがジーンに言ったことは、コンテンツを作成する中で、本当に毎日の様に制約としてのし掛かってくるもので、

「お金が無いから・時間が無いから・人手が足りないから」

と、ベストとは言えない状況で妥協してしまうことが多々あります。

経験から小手先の技術で無難なところまで仕上げて、波風を立てず、問題を起こさず、決められた中で、淡々とコンテンツを作ります。

思うことがあっても、発生する障害を理由に、戦うことを諦めてしまうのです。



そんな中、この作品に出会いました。


私が携わったコンテンツ達の中に、果たして私は存在していたのか。

自分である意味はあったのか。

ジーンと同じように最高のものを作ろうとしていた人達の思いを、私の判断で潰してしまった事があったのではないか。

もっと出演者を活かしてあげる事が出来たのではないか。

ジーンやポンポさんと同じ様に、自分が求める最高のものの為に戦う事ができたのではないか。

そんな感情と共に、自身の求める物の為に躊躇なく戦う2人の姿勢を見て、とても羨ましいと思いました。

もっと沢山の自分にしかできない何かをコンテンツに吹き込みたい。

妥協せずにコンテンツと向き合いたい。

自分だってやってやるという活力が湧いてきたのです。


夢を追うことの肯定

ジーンのこだわりによって資金繰りに困窮するポンポさんのところに、ジーンのかつての学友で銀行員のアランが現れます。

彼は、社会人になるまで何でも器用にこなしていましたがやりたいことも無く、就職した会社で上手くいかずに悩んでいました。

そんなアランが映画監督としての夢を掴もうとしているジーンと偶然出会い、その情熱を羨ましいと感じ、自分とは違って夢や情熱を持っているジーンの夢の為に、融資に向けたプレゼンを必死に制作します。

その熱意はアランを厳しく指導していた上司にも伝わり、プレゼンにも協力してくれます。
ですが、映画融資のプレゼンは「新人監督が撮った映画に融資なんて博打だ」と役員は聞く耳を持ちません。

アランは仕掛けとしてプレゼンを生配信して話題性を作った上で、製作側の思いを撮影したインタビューを放映し、人々の共感と応援を得て、クラウドファンディングでの実績数値も出しますが、
それでも役員は融資に反対します。

そこに生配信を見た頭取が登場して、最終的に役員を黙らせて融資を通すという流れなのです。
映画制作の夢とその実現をサポートするという夢と2つの夢が叶うのです。


この流れもとても好きで、仮に自分がジーンだとしたら、こんなに嬉しいことは無いと思います。
ご都合主義じゃ無いかと思われるかもしれませんが、
自分の理想を追いたい!でも、実際追うのは大変だよね…。ってところに

夢や理想を追いかける姿は人を動かすんだ!正しいことなんだ!
頑張れば応援してくれる人や助けてくれる人はいるんだ!

って言ってくれるんですよ。

最高じゃ無いですか!

実は元の漫画にこのシーンやアランどころかジーンが編集に苦悩する様子はほとんど存在しません。

今回の劇場版に追加されたのは、まさしくジーンが追加しようとしているシーンと同様に、
平尾監督が自分をこの『ポンポさん』に落とし込む為に必要だったのでは無いかと思うのです。

作品内に散りばめられたもの

ここからは劇場版を見た後に、漫画版も全部読んだ上での感想を書いていきます。


まず、漫画と映画版の違いですが、比べると構成が変わっていたりカットされているシーンや逆に追加されているシーンが多々あります。

これはまさしく映画版の中で語られていた事で、
『何を捨てるのかを大事にする。構成でシーンのイメージが変わる。映像の外でイメージを補完する。自分を作品に落とし込むために追加のシーンを入れる。』

これらがそのまま作品に活かされているのだと気づきました。クールですね。

それこそ、ポンポさんの脚本からジーンが映画を作り上げた様に、漫画版を元に、映画版は新たな作品として作られたのだと驚きました。


映像の外でイメージを補完させる部分は、特にジーンとポンポさんと映画の関係の中で描かれていて、序盤でポンポさんがプロデュースした映画の試写を見るシーンでポンポさんは納得が行かない風に首を捻ります。

また、普段から映画のスタッフロールを見ずに試写室を出て行くことをジーンが回想しています。
これはポンポさんが映画を制作する才能はありつつも、スタッフロールを最後まで見るほどの余韻に浸る感動を得た事がないことを示しています。

そして、ジーンが作成した映画では、ポンポさんはスタッフロールの最後まで席にいるのです。

ポンポさんとジーンの作った映画は、ポンポさんが初めて感動した大好きな映画になった訳です。

最高ですね。

また、作品を見た方の多くが気づいていると思うのですが、
ジーンが最後に答えた「90分」という上映時間に関しては、ポンポさんが作中で「2時間以上の集中を観客に求めるのは、現代の娯楽として優しくないわ」と発言し、90分以下が望ましいと発言しているところから来ています。

そして、映画の上映時間も90分。
痺れますね。

おわりに

そんなこんなで気づけば長文になってしまいましたが、それだけ私の中では最高の作品でした。
コンテンツを作る人間の端くれとして、沢山の元気と勇気を貰いました。
私も誇りと自信を持って、コンテンツを世に生み出せる様に頑張ります。
この作品に出会えて幸せでした。

それでは

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