ちょっとした話

「けんしんちゃんの好きなタイプってどういう人?」
アイスコーヒーを飲みながら、ユウさんはそう尋ねてきた。
私は突然投げ掛けられた質問にうまく答えることができなくて、
彼の元々の癖っ毛をじょうずにセットしてふわふわになっている髪の毛、古着屋で買ったのか少しよれているTシャツから覗く鎖骨、垂れ目がちな目元に、その可愛い印象を誤魔化すようにかけられた黒縁眼鏡なんかを見ながら、私はなんで今ここで彼とこんな話をしているんだっけ、とぼうっと考え始めていた。

数週間前、いつもとは違う街に行こうと思って、私は高円寺へ出かけた。違う街に行こうと思っても、行き先はいつもと代わり映えしなくて、カフェとか古着屋とかを巡っていたのだけれど、いつもと違ったのは、そこで彼に声をかけられたことだった。「その服、どこで見つけたの?」と子供のように無邪気に話しかけてきて、そこからはずっと彼の独壇場だった。「俺、アパレル店員やってて、服とかそこそこ好きで、だからここに来れば面白い奴いるかなぁって思ってたけど、いまいちピンとくるような人がいなかったのね。そうしたらさ、君が目に入って。あ、その格好好きだなってシンプルにそういう言葉が浮かんで...」途中から彼の言葉はもう入ってこなくて、厄介な人だなぁ、どうやって切り抜けようと思っていた。この途方もない会話を強制終了させるものはないかと辺りを見回していたとき、「ーーーーーーだからなんか気になっちゃったから君に声かけたんだよね」という言葉が不意に降ってきて、私ははっと彼を見た。
その言葉にどんな魔法がかけられていたのかは今となってはもう分からない。でも他の言葉がすり抜けていく中、確かに私はその言葉に特別な響きを感じていて、だから彼が続けて言った、「よかったら連絡先交換しない?」という言葉に、すんなりと頷いてしまったのだった。

ああそっか、それで彼から今日お茶でもしない?と誘われたんだっけ。
ようやく現実に戻ってきた私は、店内をちらりと見て、ここが私が行きたいと言っていた喫茶店であることを確認しながら、
「....ありきたりな返答になっちゃうんですけど、好きになった人がタイプ、ですかね....」
と答えた。
「まぁ、そんなもんだよね」私の返答に満足したかしないか、ユウさんは短く返してからアイスコーヒーを飲んだ。
最初の印象とは違って、話してみるとユウさんはそこまで押しの強い人ではなかった。今日会うまでに、何度かやり取りをしたけれど、一方的に話したり、強引に物事を進めるようなことは全然なく、相手の間を理解して、合わせてくれるようだった。
彼の話を急かさない空気に心地よさを感じつつ、私は言葉を続けた。
「ただ、前提として、“そういうことを聞いくるような人"はそもそもタイプじゃないですね....」
「へぇ、そうなんだ」考えを読ませない表情でユウさんは笑った。
「だって、仮に私が“背が高くて細くてサラサラヘアでぴしっとした服装のジャケットが似合う人が好き”って言ってたって、実際は中背中肉で癖っ毛で、古着とか....ごついサングラスとかが似合う人と付き合うかもしれないじゃないですか。あくまでも理想っていうだけであって、現実とは乖離しているのに、聞くだけ無駄というか..... 。」
無意識のうちにユウさんの姿に近い像を思い浮かべてしまっているのに気づいて、慌てて修正したけれど、言葉が悪かったかもしれないと思い、時間を置いて自分の気持ちに相応しい言葉を探した。
「私の理想に近づきたいっていう気持ち自体はすごく嬉しいんですよ。あぁ、そんなに私のこと好きでいてくれるのかって分かるし。でも、そうまでして、本来の自分から離れた姿を好きになってもらうことに、意味はあるのかなって。そうじゃなくて...」
言葉がつまずきそうにならないよう、もう一度、呼吸を置いて。
「ーーーそうじゃなくて、私、その人自身のことが知りたいんです。その人がなにを好きで、なにが嫌いなのかとか。どんな音楽を聞いて、どんな人と、どんな話をして笑うのか。どんなことに腹を立てて、どんな時に涙を流して、眠る前はいったいどんなことを考えているのか。1人の時はなにを思って、どういう時間を過ごしているのか。どういうときに私を思い出してくれるのか、そういうことが知りたいんです。」

私が話している間、ユウさんはストローを口にくわえたままふんふんと相槌を打ったり、ケーキを一口サイズにしてから口に運んだり、アイスコーヒーを音を立てて飲んだりしていた。動作のひとつひとつでユウさんは必ず私の目を見てくれていて、決して聞き流しているわけではないということ、私が言葉を全て出し切るまで待っていてくれているのが感じられて、私は安堵しながら、言い切った合図としてアイスティーを飲んだ。
「前から思ってたけど、けんしんちゃんって詩的だよね。」
あ、いや、嫌味とかじゃなくてね。と、付けたしながらユウさんは言った。
「そうですね、」私もなるべく嫌味に聞こえないよう慎重に言葉を返しながら、「だから、恐らくユウさんがこの後聞こうとしている、“けんしんちゃんが好きになった人ってどういう人?"という質問にはお答えできません。」と返した。
ユウさんは、眼鏡の奥でちょっと目を丸くしてから、「お見通しでしたか」とはにかんだ。
「バレバレですよ。でも言わないです。言ったら急に俗世間ぽくなって、"詩的なけんしんちゃん"じゃなくなっちゃいますからね」と私も笑った。
「だから嫌味じゃないって言ってるじゃん」と笑いつつ、「そっかぁ、バレバレか。俺、嘘つけない性格だからね。知ってるでしょ」となぜか嬉しそうに微笑むユウさんを見て、私はちくりと胸が痛んだ。
---知っている。出会ってから日はまだそんなに経ってはいないけれど、彼がそういう人であることは分かる。なのに私は彼に対して、誠実に話をしていない。
カランコロンとお店のドアが開いて、カップルが入ってきた。ユウさんがチラッと彼らに目を向けたのを見て、私は彼が気を取られている間に、言いたいことをまとめ始めた。
「.... ごめんなさい、さっきの、だからええと、好きになった人を教えられないという話、あれ、半分以上は本音なんですけど、それ以外は建前というか....」
再び私に視線を戻したユウさんは、短くうん、と頷いた。
「...最後に好きになった人のことは、すごく、大事だから、誰にも言いたくないんです。思い出って、勝手に美化されちゃう時があるじゃないですか。私はそれを意図的にそうしたいっていうか、その人との思い出は、綺麗なまま仕舞っておきたいんです。だから、何度も蓋を開けるようなことはしたくないんです。」
「それって、まだその人のことを好きってこと?」
「今は、もう、全然なんとも。好きではないんですけど、というか、そういう次元の話じゃなくて....」
視線が泳がないよう努めたけれど、真正面から彼を見ることはできなかった。アイスコーヒーのグラスから滴る水滴がコースターに染みを作るのを見るのがやっとで、私は絡まりそうになる言葉をなんとかほどきながら、言葉を続けようとした。
「その人を好きだなって思ったとき、私はもう自分の一部をその人にあげてしまったんです。彼はもうそれを捨ててしまっただろうし、私も復縁したいとかもう一度会いたいなんてこれっぽっちも思ってはいないんです。でも、私があげてしまった一部は、もうあげてしまったので戻ってこなくて、今も私はどこかが欠けたままになってしまっているんです。私にこの空白がある限り、彼のことを忘れることなんてできないです。」
話しながら自分でも恥ずかしい台詞だな、と思っていたけれど、でも口に出したらもう止めることはできなくて、私は自分の言葉の恥ずかしさに負けないように、勇気を振り絞って、ユウさんをまっすぐ見た。
顔をあげた瞬間すぐ目が合ったので、ユウさんはずっと私をみていたことがわかった。
「....人を好きになるって、本気で誰かを好きになるって、そういうことじゃないでしょうか」
だから本当はもう少し自信を持って言うつもりだった言葉も、気恥ずかしさでどこか弱々しい響きになってしまった。
すぐに言葉が返ってくると思っていたけれど、ユウさんは私がストローをくわえているのを見ても、ずっと黙ったままだった。

このケーキすごくおいしい!先ほど入ってきたカップルの女性が嬉しそうにする声が聞こえた。
そうだ、私もケーキを頼んでいたんだった。思い出してから一口食べて、「確かにおいしいですよね、これ」と話しかけてみたのだけれど、ユウさんはストローでグラスの中の氷をカラカラと回しながら、うん、と短く返事をしただけだった。
しばらくケーキを食べることに必死になりながら、彼が大事にするように、私も彼の間を大事にしなくては、そう考えていたけれど、突然訪れた私たちの静寂の間をカップルの声が流れるたび、私は早く何か言って欲しい気持ちになっていた。ケーキがついに残りひとかけらとなっても、ユウさんが口をつぐんでいるのを見て、つい「重いですよね、私」とこぼしてしまった時も、どうしようもない気持ちだった。
私は手元のアイスティーに視線を落としていたけれど、彼の肩が揺れたので、ユウさんがこちらを見上げたのが分かった。私の後頭部に投げかけられるであろう言葉を待っていたけれど、聞こえるのは相変わらずカップルの声ばかりで、私はいよいよ、ここかから早く立ち去らなければ、という気持ちになっていた。

「そんなことないよ。全然、俺は重いとは思わないよ」
出会ったあの日と同じようにふいに、ユウさんの言葉が私に降ってきた。突然のことに私はほとんど固まったように、薄まったアイスティーを見つめながら、彼の言葉の意味を考えていた。
考えて、それが私の考えた意味と同じであることを確かめたくて、私はゆっくりとユウさんへと視線を上げた。
ユウさんも、真っ直ぐに私を見つめ返した。その目は相変わらず目尻が下がっていたけれど、どこか奥の方でちかちか光っているように見えた。
「俺、やっぱりけんしんちゃんに声かけてよかった」
静かに、だけど世間話をするように簡単に放たれたユウさんの言葉は、出逢ったあの日と同じように、魔法がかけられているみたいに私の心にすっと入ってきた。
私は何も言わず、ユウさんのふわふわした髪の毛を見ながら、連絡先を交換してしばらく経ったある日、出会った時と印象が違いますね、と送った時のことを思い出していた。ユウさんはそんな心外な!と嘆くモアイの変なスタンプを返してから、「そりゃあね、あの時はね、俺もね、」と歯切れ悪く何個も会話を送ってきたので、私も「なんですか笑、早く言ってください笑」と細切れに返していたのだけれど、深呼吸をしているモアイのスタンプが送られた後最後に送信されたのは次の言葉だった。
「だって、あの時を逃したら、もうけんしんちゃんには出会えないと思ったら、必死だったんだよ」
「俺は、どうしても、けんしんちゃんとは街中ですれ違うだけの関係で終わらせたくなかったんだ」


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