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大好きな貴方へ捧ぐ、愛。

「愛するから恐くなるんだ」って言うブッダと、「恐れが生じるのは愛が全き者となっていないからだ」と言うヨハネの差が印象的すぎて、

 「全き愛」が今、私の最大のテーマ。

愛はすべてを耐え、すべてを信じ、すべてを望み、どんなことにも踏みとどまります。
 
1コリント人への手紙13:7


 私はすぐ人間不信に陥る。たとえ大好きな人でも、信じるのが恐くなるし、距離感が掴めなくなる。


 神様に対してもそう。状況や心身が悪くなると、すぐ神様を疑ってしまうし、つぶやいてしまう。


 傷つくのも傷つけるのも恐いから、結局何もできなくなる。

 __ブッダが言うように、愛さなければどんなに楽か。


 パウロもヨハネも、私の中の愛と向き合わせてくれる。人も神も、信じられなくなる私は、愛において全き者ではないのだ、と。


 もしあなたがそれほどまでに愛したいのなら、信じ、耐え、望み、思いとどまれ、と。



 イエスさまは、いつもそうだった。
 最後まで、人の回心を信じ、父の約束を信じ、十字架の上でさえ、ひたすら「全き愛」を、神に、人に、果たし続けた。

 「人間は罪人だから、完全な愛を持つことはできない。でも神様は完全だから、あなたを完全な愛で愛してくれる」

 …と、教わり続けてきた。



 たしかに、私が愛において「全き者」になることは無理かもしれない。

 愛せない人を無理に愛することも、できないし。


 だけど、私には、愛したい人がいる。
 愛したい神がいる。


 だからせめて、大好きな人、大好きな神様のことは、全き愛で愛したい。

  耐える。
  信じる。
  望む。
  思いとどまる。

 それができたら、めっちゃかっこよくない?

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