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藤井風ー聞き手に寄りそう姿勢

「うちの推しは、音楽の天才で、かっこよくて、かわいくて、おもしろくて、素朴で、性格もいい!!」と、立て板に水のように良いとこを羅列して、知り合いに力説し、あきれさせている。

でも、藤井風が自分の推しになった理由は、総合力だけじゃない。シンガーソングライターとして優れた能力と歌唱力をもち、ミリオンセールスを達成し、ルックスもキャラクターも魅力的で成功しているアーティストは、少ないが他にも存在する。なのに、なぜ、藤井風なのか?このnoteの他の記事でも連呼してるのに明確にしてこなかった「藤井風の本質」について言葉にしてみようと思う。

才能と魅力にあふれたアーティストは、自我を確立するため、自己の音楽を創作している。

例えば、奇才といわれる、常田大希。多くの音楽家が何浪もして目指す、東京芸大をあっさり中退し、あらゆる楽器を弾きこなし、KING GNUやmillennium paradeのSong WritingからProduceもこなし、おまけにルックスも最高にいい、かっこよすぎる!私も彼と彼の音楽の大ファンだ。
その常田は、『常田大樹 東京混沌』というドキュメント番組の中で、『破壊と構築を繰り返し今を変えることに芸術を感じ、自身の音楽を突き止めていく』という発言をしていた。彼は、大衆性に重きをおき、売れるために妥協の音楽は作りたくない、自らが作り出す音楽を認めさえたい!という意気込みで音楽に向き合っていると感じた。

彼のような不世出のアーティストは自我を確立するため、自分の芸術性を追求し、エッジの利いた音楽を創作し続ける。もちろん、プロなわけだから聞き手であるファンあっての存在であると理解しており、「喜んでもらえれば嬉しい」と思っているが、聞き手への影響より自分の満足度が優先度が高いのが普通だろう。

でも、藤井風は違うのだ。彼は、「誰かがちょっといい気分になるために音楽をやっとるようなもん。それがわしにとってすべて、それだけで生きていける」と語っている。【報ステ特集】藤井風さんコロナ禍で共感…死生観(2020年9月22日)

彼は、聞き手の心の平安のために、自分の音楽を届けたいと一貫して言っているのだ。古めのイメージかもしれないが、男性のミュージシャンの場合は特に、モテたいからギター始めたとか、有名になりたいとか、金持ちになりたいとかがモチベーションで音楽を始めたというエピソードは多いと思う。藤井風には、音楽のプロでありながら、そういう自身の名声や成功のモチベーションを全く見せない。

おまけに、自身の才能については、非常に謙虚な姿勢で、作品をギフトと呼び、自分は降ってきた曲をシェアしている、それを創作した自分に対しては、ただの道具の一部という。

NHK MUSIC SPECIAL「藤井風、届け世界へ」で、「無駄な曲は1曲も作りたくない。1曲でもいまいちやなと思われたら悔しい…。」と述べていたし、ファーストアルバムHEHNについても「名盤できちゃった、と思いました」と漏らしている。つまりは、創作において真剣に向き合い、自己の作品に対してプライドと自信を持っているはずだ。しかし、創作した曲の出来栄えと自分自身を同一視せず、まさに『調子に乗らず』、自身は道具に徹するという。

そのまっすぐに聞き手に届ける純粋な『優しさ』に、私はヤラレてしまった。会ったことのない彼の健康や幸せを心から祈ってしまうのも、そのためだと思う。ねそべり紅白でも、今年の抱負は、みんなに気持ち良ーいという感じになってほしいから、『藤井微風』て言っていたのは、記憶に新しい。

彼がこのように圧倒的に聞き手第一の姿勢で音楽を届け続ける限り、私は彼を全力で推し続ける。私自身は、神の存在は信じているが、特定の宗教に入信することは主義がありしない。またスピリチュアルな活動も胡散臭いと思っている。しかし、藤井風のこの純粋な心を育て保つのにそのような拠り所が必要であれば、丸ごとの彼を受け止め、支持したいと思っている。

それが、以下の記事でも書いたが、多くの人にも理解してほしい藤井風の本質のひとつだ。これから何が起こっても、多くの人が私と同様な気持ちでいてほしいと願う。




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