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世俗にまみれた藤井風の肉声を刻む作品を聞きたいと思うのはタブーか?

藤井風のファンの多くが知っているが、ご両親がサイババの信者であることから、彼もその教えを色濃く受けている。彼の作品やライブでのコメントのベースの思想は、サイババの言葉から容易に探すことができる。そのため、彼の作品の歌詞には、「ハイヤーセルフとの対話」「執着からの解放」「自己を愛することの重要性」など、終始一貫性をもったメッセージがちりばめられている。

しかし、その一貫性と対をなすのは、曲調だ。彼に降りてきた曲は多様性にあふれ、私など、新曲を聞くたびに、彼の音楽性の引き出しの多さに驚くばかりだ。そして、メッセージは同じでも、厳選された言葉の構成には、緻密に韻がふまれ、響きが美しく、だから聞いていても飽きないのだ。

だが、私は今回の"Feelin' Good"のライブの配信で、1 st アルバムHEHNの頃の曲を久しぶりにじっくり聞いたとき、最近の彼の作品にないものに気づいた。それは、人間臭さや影である。

彼自身が2nd アルバムLASA発表時に語っていたように、HEHNとLASAは対局をなす。彼は、ラジオのインタビューで、HEHNは内省的で陰キャラ、LASAは外交的で陽キャラと表現していた。そして、LASA後にシングルとして発表された、「grace」「花」「満ちてゆく」「Feelin' Go(o)d」などタイアップのために創作した作品が多いことも理由だと思うが、基本、陽キャラが多く、LASAの流れを汲んでいるように思う。HEHNの曲には、もだえ苦しむイライラ感があるのだが、最近の曲には、悟り感が強く、慈愛深い教祖から教えられているように感じるのだ。

ずっずさんのdiary(2022/10/28)によると、2本のアルバムをだしたあと、彼は、「歌えることは歌い切った」といったそうだ。信仰するサイババの2大スローガンをタイトルにもつアルバムを出したら、そのような気持ちになったのは容易に想像できる。今は、タイアップにより、関連作品からインスピレーションを経て、曲作りは継続できているが、きっと、サードアルバムの核になる次のコンセプトが見いだせないのが現状なのだろう。

彼は、2021年10月14日に放映されたNHK MUSIC SPECIAL「藤井風、届け世界へ」のインタビューで、以下のように述べている。

「もうホント、無駄な曲は一切作りたくない。1曲でもイマイチやなと思われたら悔しいみたいな。自分が自信を持って誇れるものだけを、何かしら意味のあるものしか出したくないというのは絶対ですね。」

 NHK MUSIC SPECIAL「藤井風、届け世界へ」(2021年10月14日) 

では、彼にとって「無駄な曲」「何かしら意味のあるもの」というのは、どういう定義なのか?わたしは、それが、彼が信仰するサイババの教えのメッセージが含まれているのか否かを判断基準にしないことを望む。彼にとって信仰は、両親からの愛情に応えることとイコールであり、彼の精神や生活の中核をなすものであることは、私のように特定の信仰を持たないものが想像する以上であろう。しかし、彼の気持ちが、デビュー初期2020年のインタビューで語った

「誰かがちょっといい気分になるために音楽をやっとるようなもん。それがわしにとってすべて、それだけで生きていける」

【報ステ特集】藤井風さんコロナ禍で共感…死生観(2020年9月22日)

のままであれば、自身の信仰のみにフォーカスして作品をづくりをする必要がないことに気付いてほしい。彼がこれから直面する様々な経験を、ライフイベントでおきた心の変化を作品にするだけで、リスナーの励ましになることを理解して欲しいのだ。それは、特に彼と同世代のファンとともに人生を重ねることなり、「ちょっといい気分」にさせるのだ。

ずっずさんが「Fujii Kaze: grace:2022 Documenray」で、「やめたい時はいつ辞めてもいいというようにしときたい」と言っていた。私も当時は、彼が世俗にまみれ、彼の意に沿わない創作環境で苦しむのであれば、引退して岡山に帰って、たまに、YouTubeで弾き語りでも投稿してもらえば十分だと思っていた。2022年末に自身のTwitterアカウントの投稿を全削除したように、執着せずに手放すことを知っている彼であれば、そんなときがいつか来るだろうと考えていた。

しかし、最近、神格化され、守られた藤井風より、世俗の問題に直面し教祖の教えだけでは片付かない状況に立ち向かう自身の肉声を刻む彼の作品を聞きたいと思うようになってきた。
この先、親族との別れ、仲間との別れ、健康問題、様々な困難にぶちあたることもあるだろう。海外進出における欧米の分厚い契約書には、彼の自由を縛る内容が含まれていると想像する。彼のまわりで動くお金が大きく、周りの人を守るための責任も重くなるであろう。

彼には少年のようなフラジャイルな部分もあるが、雑草魂の強さもがあると私は思う。自身の内面や信仰だけに目を向けるのでなく、世俗の中で立ち向かい、新しい境地を築いてほしいと願う。


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