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弱さを吐き出すということ

先一昨日の夜、思わず耐えきれず、弱音を吐いてしまった。

また爆弾が落ちるかとこわくて言葉にすることもできなかったけれど、胸の中で渦巻く苦しさを自分の中だけに留めておくことができず、溢れ出してしまった。自分は本当に弱い人間だと思う。
もちろん、自分の文章を読んだ他者によって、自分が傷付けられるのではという怖さもあった。
2つの気持ちの狭間で揺れつつも、また傷ついてもいいやと半ば投げやりな覚悟で、投稿ボタンを押した。


翌日の午後、その投稿を消そうとスマホをみたら。
共感や応援のコメント、リアクションの嵐に加え、個別に心配のメッセージをくださった方々がいた。

私の周りには、優しい人がこんなにもいたのだと、きづかされた。
優しい言葉を、ありがとうございます。
本来なら、個々にお返事したいのですが、身体が追いつかず、今回はお許しください。

同時に、私の周りには、今までもたくさん苦しい思いをしてきたのに、それを我慢してきた人もいたと知り、悲しく、またやるせない気持ちにもなった。

他方、連絡くださった方の中には、「心のうちはFBにあけないほうがいい。必ずしもいい人ばかりではないから」とコメントくださった人もいた。
親切心での連絡というのはわかるけれど、正直、今の私にはちょっとグサっときた。

投稿の中でも、「決して、『自分大変だ』ってことを伝えたいわけでも、他者を非難したいわけではない」と断った上とはいえ、必ずしも心地よいと言える内容ではないから、公にするか迷ったし、でも、私だって野次飛ばしてくる人がいるのは承知で書いてて。

でも、落ち着いて考えると、そもそも弱みにつけ込んでくる人が間違っているし、なぜそのような人に忖度しないといけないんだろう。

「心のうちをさらすな、弱音を吐くな」「辛くても我慢」と言う人は、きっとそのような言葉に囲まれて育ってきて、その人は私もなんかよりも苦しかっただろうし、今も苦しいんだろうと思う。
私はその人に対して、「我慢しなくていいんだよ」と伝えたい。

(このような考えに至ったのは、田嶋陽子さんの『愛という名の支配』と、尹雄大さんの『さよなら、男社会』の影響が大きいと思う。余裕ができたら、これらの本のことも書きたいと思います。)

でも、こんな負の連鎖は、終わりにしたい。

誰だって、「今日はしんどいなぁ」と思う日はあると思う。
そのしんどさに、優しい社会になってほしい。
ただただ、弱さをさらけだせる社会になってほしい。


当初消す予定だった投稿は、一日以上経っても反応があり、正直戸惑ったけれど、予定通り通り、アーカイブすることにする。
消すということは、応援くださった皆の気持ちを無視してしまうような気もするし、一人でも多くの人が「自分だけでなかった」と安心する機会になるなら残しておこうかとも思ったけれど、私自身、過去に囚われるのではなく、今を生きたいと思うから。

改めて、リアクションくださった皆様ありがとうございました。私もみなさんのような、優しい言葉をかけられる人間になりたいです。

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