コロナヒステリーについて思うこと
はじめまして
突然思い立ってnoteはじめました
というのは、デビットアイクのこのインタビューを見て
ふと
「恐怖」とは、言い換えれば
「望み」なのではないか?と感じたからです
いや、アイクの言うことの真偽や、マスメディアの情報の真偽をどうこう言うつもりはなく(というか私は震災以来かなりの陰謀論者で、どちらかと言うとそっち系の情報にどっぷり浸かってきたのですが)、なんか投げやりに聞こえるかも知れませんが、もはやどの情報についても、真偽はどっちでもいいな、と急に感じたのです
なぜか?
メインストリームを信じる人たちの「コロナは危険だ!世界が危機だ!」というヒステリーも
陰謀論者たちの(バカにしてません。個人的には好きです)「とうとう時が来た!カバルたちの新世界統治だ!」という熱狂も
どちらの意見も、その論点に意識をフォーカスすることで、さらにその世界をどんどんと拡大しているなぁ、とヒシヒシと感じるからです
そして、メインストリームの情報と陰謀論者の訴える世界観は、真逆のようで実はニコイチ、つまり互いが存在しなければ成立しない、持ちつ持たれつの関係に思えるのです
だから
メインストリーム信者も、陰謀論信者も、つまるところ望む世界は同じ。それは「表があって裏がある。無知に信じる盲目の羊と、真実を暴こうとするレジスタンスが存在する世界」なのではないかと(いわゆる二元性というやつですね)
無知(言葉選べずごめんなさい。バカにしてないです。単に陰謀論を知らない善人たちのことです)な人たちが今味わっている、足元が崩れてしまいそうな恐怖も
陰謀論者たちが今叫んでいる「時が来た!とうとう預言が現実化しはじめた!」という狂乱も
同じ恐怖を根っこに持っている
それは
自分とは無力な存在で、世界に圧倒されるほどちっぽけである
という世界観ではないでしょうか
そしてどちらの立場も、つまるところは同じく「自分は無力である」ということを恐れているのであり
ある人は「どうしよう、もうおしまいだ」と右往左往し、買い溜めに走り
またある人は「時に備えよ。いよいよ世界が変わる」と意気込む
そのどちらも恐怖に駆られたものでありながら、どこか熱狂に近いものも感じる
そこが私の気になったところでした
そしてふと湧いてきた結論が、冒頭に書いたように
この「恐怖」自体も私たち人間の望みの一部なのではないか?
ということでした
もう少し詳しく話させてください
終わりだ、怖いと言いながら、なぜ人は熱狂し、そのことばかりに熱中するのか?
そこには
「終末を見たい」「カタストロフを体感したい」
という人間の奥深い欲求があるのではないか?と思うのです。リセット欲求。
それは恐怖に染められながらも、どこか甘美でドラマチックで、人を惹きつけて離さない光景なのではないか。
そして人は、そんな破滅的なリセット欲求を(無意識に抱くほど)じつはすべてに絶望しているのではないか。
生物として生まれ、有限の時を生きる、という幻想につかまった瞬間から、その潜在的な絶望はセットされたのではないか。
だからこそこの「コロナヒステリー」とでも言うべき状況は加速度的に膨れ上がり、悪夢を増産しているのではないか。
そして私たちは願います。「早くこの悪夢から目覚めて、元の日常に戻れますように」
でも私は思うのです。その日常さえもまた、夢だったのではないか?
良夢だろうが悪夢だろうが、私たちは好き好んでそれを見ていた。棚から取り出したDVDを再生するかのように。
そして、そのDVDを選んでいるのは間違いなく自分なのだ、ということを忘れてしまっているだけなのではないだろうか。
私たちに必要なことは、この現実を構築している(DVDを選んでいる)のは、間違いなく自分であること、つまり自分の世界の創造主は自分自身であることを思い出すことなのではないか。
世界の状況はどうするんだ
コロナに苦しむ人をどうするんだ
という声はごもっともですし、もちろん対処していく必要はあります。悪夢だろうがなんだろうが、それは今目の前で進行中なのですから
でも、対処していく上で、上記のような前提(操縦席はいつも自分)でことに当たるかどうかで、その後に広がる世界は大きく変わると思うのです
だからこそ今必要なことは
人でもあやめたんかと言うほど手を洗うことでも、マスクしない人を魔女狩りのように追い詰めることでもなく、我々人類が作り出している流れを大局で見てみること、その枠組みから自由になって思考してみること、なのではないでしょうか。
恐怖と狂乱から自由になることでしか、二元性の外へジャンプすることはできないと思うのです。
まとまらない文章を最後までお読みいただきありがとうございました。
最後になりますが、これはあくまでも私が個人的にそして突発的に感じた内的な気づきのメモです。
前線で働いてくださる方々や、病に苦しむ方々、この状況に心を痛める方々を批判したり、傷つける意図は一切ありません。すべての物事や人へ、感謝とリスペクトを最大限に捧げます。
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