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[読書]実力も運のうち 能力主義は正義か?

マイケル・サンデルの本を読みました。

ハーバード大学の学生の三分の二は、所得規模で上位五分の一にあたる家庭の出身だ。にもかかわらず、彼らは判で押したように、自分が入学できたのは努力と勤勉のおかげだと言う――人種や性別、出自によらず能力の高い者が成功を手にできる「平等」な世界を、私たちは理想としてきた。しかしいま、こうした「能力主義(メリトクラシー)」がエリートを傲慢にし、「敗者」との間に未曾有の分断をもたらしている。この新たな階級社会を、真に正義にかなう共同体へと変えることはできるのか。超人気哲学教授が、現代最大の難問に挑む。解説/本田由紀(東京大学大学院教育学研究科教授)

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僕は日頃から日本のさまざまな福祉の問題に興味があって、最近は本を読んだりして勉強をしている。
そこで日々考えているのですが、「能力主義」は平等ではないと思います。

能力のある人は頑張った結果なのだから報われるべきだ、能力のない人も頑張ればいいだけなのだから能力のあるなしで判断して何が悪いと思う人がほとんどではないだろうか。
でも世の中には頑張れない環境にいる人が大勢存在することを僕らは知っているはずなのだ。
豊かに見える日本でさえ、親から虐待を受けて学校教育がまともに受けられない子もいるし、大学に行けても塾に通うお金が出せない家庭では東大に行くのは難しい。
能力は必ずしも個人の頑張った証とは限らない。

ホワイトカラーの人ほど高給とりであることが多いけど、その人たちが何も考えずに仕事に没頭できるのは親を介護施設に預けているからだったりするけど、介護施設で働く人は高給を得られない。
それは能力主義で片付けてもいいのだろうか。(もちろん、介護士の中でも能力主義で給与に差はつく)

確かに能力のない人がお医者さんになられても困るけど、能力主義や学力主義だけで進めていいわけがないとも思うのだ。

著者はこれに関して宗教的な観点でも語っていて、僕なりに解釈するとこうだ。
善行を積むと天国に行けるというような考え方は、ある意味で神を否定している。
なぜならば、神は絶対で唯一無二の存在であり、人間は神の僕であるはずなのに「善行を積むと天国に行ける」という考え方を持ち込むと、神の立場からすれば善行を積んだ人間を天国に連れていかねばならないと人間に強制されることになるからだ。
これは日本で言うなら「八百万の神」の信仰を考えると分かりやすいのではないだろうか。
日本人の昔話に出てくる神の話は神様が人に報いてくれる話ではなく、人間が神の一挙種一同に翻弄される話が多い。
日本の古来の神は自然災害のようなもので制御できるものではないのだ。

だからと言って能力主義を直ちに取りやめろと言う話ではない。
頑張って能力を身につけたら報われると信じなければやりきれない。
誰にでも金持ちになれるチャンスがあるのだと思うからこそひたむきになれる。
でも実際はそうではない。
優秀な人は家が金持ちなことが多い。
能力を磨くことにお金と時間を使えるから。

僕らは常に能力主義に「?」をつけることが必要なのだ。

この間、「シカゴP.D」見てたら登場人物が上司に褒められていい気になっているところを同僚が「そう言う時は、「チームの力です!」と言うんだ」と怒っていた。
その感覚が大事なんだろうなと思う。

仕事で成功した人は確かに頑張ったから成功したのだろうけど、それはあなた一人の頑張りではないよ。あなたの家族や友人、知り合い、家族が世話になっている人全てに恵まれた結果なのだと言うことを自覚していかなければならないのだと思う。

逆に言えば成功の近道は、自己啓発じゃなくて周りを幸せにすることかもしれないとも思う。

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