2018/4/20

今日、父の姉である私の叔母が骨になった。

叔母は2歳の時に不慮の事故で脳に障害を負い、以後彼女の母親つまり私の祖母に介護され生きてきた。声を発せても喋る事は出来ず、勿論読み書きもできない。学校に行く事も無く、あと身体が凄く弱いからずっと家に居させて、祖母が付きっ切りだった。だから父は幼い頃、自分の姉の事があるから家族全員で外出はほぼ無かった、と聞いた事がある。叔母は社会と一切関わる事なく終わった。

叔母がずっと幼い子供で、祖母が心身ともに無理が効く時代がずっと続けばよかったのだろうが、そんな事はありえない。介護する側、される側の老化問題はここ近年の私たち身内の抱える問題の一つであった。90のお婆さんが身をボロボロにしながら、娘の介護し、他の家族の食事や準備や家事をしなくてはならない状況はどう見ても異常。第三者の手助けを提案しても断られ続けて居た。

祖母は、叔母が生き甲斐だった。
寝て起きて、食べて、また寝て、たまにトイレに行ってしかしない叔母。見た目だけ年取って、中身がいつまでも変わらない叔母に、祖母や周りの家族はいつも、赤ちゃんに話しかけている感じだった。昔はその様子を何とも思わなかったが、2年くらい前から何故かその光景に違和感を感じて居た。


日曜に知らせを聞き、翌日に家族全員で祖父母の家に行き対面。そして今日また再訪問した。
昼頃に親戚数名と、祖父母と叔父、私の家族で出棺前のお別れをした。お通夜と告別式は会場の空きが今週は無いため、来週行う予定。
榊をあげ、棺の中に愛用の服や好きな食べ物を入れ、顔の周りに多くの花で埋め尽くしてあげた。花に囲まれ、眠る叔母。亡くなった後の顔を見て気づいたが、祖母にそっくりだった。

葬儀屋が棺を締める前に最期だから触れたい方はどうぞ、と言った。皆が真っ先に祖母に手を出すように促した。祖母は、叔母の額と顔を包み込むように優しく触れ、その様子に祖母の母親としての役目が終えたように見えた。それまで気丈に振る舞ってた祖母が泣き出し、それと同時に皆が泣いた。その時に初めて本当に死んだんだな、と思った。

家から出棺し、火葬場に着き、14時ごろ叔母の入った棺は火葬炉に入っていった。1時間くらいで終わり、骨になった叔母と対面した。骨がとても小さかった。こんなもんなのかな、と思いお骨あげをし、火葬場を出て元いた家に戻った。

明日私は仕事のため、夕方に1人で高速バスで帰宅した。
バス停まで父が車で送る道中、「骨見てどう思った?」と聞いてきた。小さかった、と答えると、「そうだよね。手とか足がほとんど無かったよね。」と言った。そして続けて、「お前も骨になるんだよ」と言われた。そうだよ、知ってるし、皆、そうだよ。こうやって散々死生観とかウダウダ考えてみても、結局は焼かれた骨を目の前にあると、何も考えなんてものは意味なんて無い。

骨になる前の叔母の顔を思い出す。
本当に祖母にそっくりだったし、長い苦しみから解放されたような表情をしていて、それが良かったと本当に思う。
最期に見た叔母の顔には納棺師によって化粧が施され、とても綺麗だった。それが彼女の最初で最後の化粧だったんだな、と思うと少し遣り切れない気持ちになる。社会とは別のところで生きた叔母は、本当に良かったのかと今更思わされる。だけどそんな事はもう、どうでもいいのだ。

#日記 #エッセイ

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