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親として情けない…いまごろ。

普段、メールをしても1週間たっても返事がない、既読にもならない息子から、珍しくメール。

「今日、夜、話してもいいかな。」

…胸騒ぎがしたけれど、その時は予定があって…また、明日でもいいかい?とメールを送信。

案の定、そのあとはこちらからメールをしても、電話をしてもいつも通り音沙汰なく…もういい大人なんだけど、心配だけが膨らみました。

23歳にもなって、私が子離れできないのか…。

大丈夫。と自分に言い聞かせながら、でもずっとひっかかって。小学校から落ち着きがなく、注意力がなく。学習は…。叱りたいことはたくさんあったが、それぞれ好き嫌いがあるから…と見守ってきた。この子、大丈夫じゃないかも…思うことはたくさんあったけれども、友達とはうまくやれるし、野球に夢中になりながら、なんとか乗り越えてきた。(と、親としては思っていた。)

正直、自分の子供のことよりも教員の仕事が生活の中心で…何もしてこなかった。とりあえず食べさせることだけしてきた感じでした。


専門学校を卒業して、義肢装具士として就職し3年目。


初めて知りました。息子が「メモ」を取れないということ。何が大切なことで、何を聴きとらなければならないことで、大切なことをどう書いたらいいのかわからない。

クライアントとの装具についての相談内容がうまくメモできず。毎日のTO DO LISTがきちんと整理できず、大事な約束に穴をあけたりなどのミスが度々あり、上司にひどく叱られ。

所属部署の異動や免停も重なって。毎日、上司の運転する営業車の中、往復3時間。ずっと罵声を浴びせられる毎日に耐えてきたそう。

もう、一人では踏ん張れないと…私に電話をしてきたということでした。


話を聴きながら…中学校の頃、学校でノートが取れない息子に、書いてこなかった事実だけを叱ったこと、整理整頓ができずに大切な手紙や持ち物をどこかに失くしてしまって何度も叱ったことを思い出しました。やるべきことの見通しが立たずに、夏休みの宿題が丸っと残っていたのを、最後の3日、拷問のようにやらせてその場を取り繕ってきたことなど、思い当たることがどんどん湧いてきて。これまでの息子の姿と、今の彼の状況を重ねて…。私は、彼には謝ることしかできなかったです。

しなかったんではなくて、できなかったのよね。

ほんとうに申し訳なかった。叱るのではなく、ちゃんと自分の力で生きる方法を一緒に模索してくるべきだった。その子の特性をきちんと理解して、その子に会った教育を…を大事に教職をやってきたのに、わが子へは叱るだけで、何もしてこなかったって…。今頃、猛省…

今は、遠く離れて生活している息子には、「大丈夫か?」とメールでいうことしかできない。でもがんばっているのは彼であり。メールは一方通行だけれど、声をかけていこうと思っています。


彼は自分で、発達障害の病院に行こうと思っていると話してくれました。自分の特性を知って、工夫してやっていきたいと。

応援する!それしかできないけど。義肢装具士の仕事は、とても合っていると思う。指先がとっても器用な子なんです。(親ばかです、ごめんなさい)絶対に人の役に立てる!JICAで海外に義足を作りに行くのが夢らしい…。だから、自分の良さを生かして頑張ってほしいと願っています。

世の中にはいろんな人がいて。でも、まだまだ偏りのある人、できないことがある人を受け入れることのできない、昔ながらの会社が多いのかな…。どうか、できないことを指摘するのではなく、良さを見つけそれぞれの場で生かそうとする社会になってほしいと、心から願うばかりです。そんな教育を、自分も続けていきたいと、強く思いました。


ちなみに

写真撮るのも上手なんです。色覚異常なんだけど…

感性ですかね(^^♪



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