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タモリとたけしのこと

平成の終焉を目前にした2019年4月10日、陛下即位30年祭典の中でビートたけし(北野武)が、永く語り継がれるであろう祝辞を披露した。

マイクに頭をぶつける“お約束”から開始。同席した首相にちなんだ小芝居をしたり、自身の退社騒動や自作映画出演者の不祥事に言及したりと、このまま終始ボケ倒すのかと思わせつつ、沿道で観た成婚パレードの回想からきれいな弧を描いて感謝の言葉へと移行。最後は「ずっと国民に寄り添っていただける天皇皇后両陛下のいらっしゃる日本という国に生を受けたことを幸せに思います」という一文で締めくくった。

この報せを読みながらぼくは、平成において、最も斬新な弔辞を放送にのせたのがタモリで、最も斬新な祝辞を放送にのせたのがビートたけしだという、収まりの良い結末に気がついた。タモリによる弔辞とはもちろん、2006年8月7日に赤塚不二夫の告別式で読み上げた(すでに10年以上語り継がれてきた)それだ。

読み上げたといっても、手元の紙は白紙だった。赤塚不二夫の人柄が分かる様々な回想から、“これでいいのだ”の哲学的な考察、そして「私もあなたの数多く作品の一つです」という名言に連なる感謝の言葉まで、タモリは8分間相当の内容をあたかも文字を追うような様子でスラスラと述べた。歌舞伎の演目「勧進帳」のパロディであるのは後日メディアが解明したが、タモリのマネージャーの名前が(劇中の関守と同じ)“富樫”であるのも込みのパロディだったことは現在でもあまり知られていない(親交の深い横澤彪が当時ブログで本人談を吹聴していた)。

おそらく、たけしは今後その祝辞の内情を折にふれて語り、小噺として研鑽していくことだろう。反対に、タモリは今後もあの弔辞について公で語ることはないとみられる。遠くて近い、近くて遠い2人の天才芸人。その関係性を改めて思う今日この頃である。


■芸だけでなく文化圏をつくった芸人

日本のお笑いBIG3といえば、タモリ・ビートたけし・明石家さんまのことだが。純然たるカリスマ芸人としてバラエティ界に君臨しつづけているさんまとは違い、タモリ・たけしの場合は、影響力が早い段階から芸人の単位を超えていたと思う。

根城はあくまでバラエティ界であっても、各々のユーモアセンスを下支えする知的好奇心や反骨精神が、音楽家、映画監督、劇作家、小説家、漫画家、前衛芸術家…といった様々な他分野の表現者をも刺激し、一方では、半ば学術的に語る有名無名の論客を数多く呼び起こしてきた。さんまの輝かしい足跡を辿ることはそのままの意義であるが、タモリ・たけしの場合は、彼らそれぞれを中心として広がった一種の文化圏を把握することとなる。

それは他でいうなら、藤子不二雄になくて手塚治虫にあるもの、木下恵介になくて黒澤明にあるもの、王貞治になくて長嶋茂雄にあるもの。大きな数字を残す、永く大衆に支持される、というだけでない“何か”によって職種を超越した文化圏は出来上がり得る。娯楽の多様化が進む中、タモリ・たけし級の文化圏をもつ新たな芸人というのはもうメディアに登場しない気がする。


■忘れられない共演

平成における共演を振り返ってみると、専らBIG3としてのそれである。ただでさえ互いが距離感を躊躇う間柄であるところ、さんまが加わると、演芸場出身のたたき上げ2名(たけし・さんま)とテレビ出身のシード枠1名(タモリ)という関係性を強調するさんまのダメ出し芸に弄られる側のタモリも満足するため、タモリ・たけしが直接かけあうことはほとんどなかった。
  
では、2人だけの共演のときはどうだったか。

最新の共演にあたるのはご周知の通り、2014年春「笑っていいとも!」最終回での「テレフォンショッキング」である。たけしは袴姿でアルタスタジオに現れ、前述の祝辞に通底する“表彰芸”をいきいきと披露したが、それがコーナー開始から5分ほどで終わると、CM入りのジングル「ウキウキウォッチング」がスタジオに鳴り響くまでは2人だけの“モジモジウォッチング”に。同時期、たけしは東スポ主催の恒例行事「ビートたけしのエンターテインメント賞」でタモリを特別賞に選出しており(スケジュールの都合でタモリは会場欠席)毒舌に終始した“表彰芸”がその裏返しなのは明らかだった。話題を探りあう背景には、花々よりも鮮やかな2人の歴史がみえた気がした。 

その前が、2012年秋の「テレフォンショッキング」(映画「アウトレイジ ビヨンド」のPR期間だった)。様子は同じく“モジモジウォッチング”。番組開始前にたけしにも司会の打診がきていたという、後の最終回のときと同じ話題が上がっており、この2回分を観比べれば2人が公で話せることが如何に限られているかが分かるだろう。

で、更に前となると、1998年春に放映されたFNS番組対抗のクイズ特番まで遡る。このときのやりとりが群を抜いて面白かった。おそらく、観客が「笑っていいとも!」とは違って(掴みどころのない)一般女性客ではなく、解答席に座る第一線の俳優・タレント・司会者たちだったから、2人とも芸人=“ちゃんとしてないこと”をする代表としての立場をいつも以上に意識した出演だったのだろう。

特に印象深いのは、ワンコーナー司会で途中からスタジオに登場したタモリが、解答席のたけしと目が合うなり発した一言「あれ何、奇跡体験アンビリバボーって、自分の人生のことじゃないの?」。

ふいを突かれたたけしは悔しそうに拳で口を隠しながら笑い「大きなお世話だ、ちくしょう!」と咆哮。「(番組に)出てた?」と追い討ちをかけるタモリに対して「あんただって昔いい加減なことやってただろ!アタマだけ出てきて、石原裕次郎みたいなやり方しやがって!」と「世にも奇妙な物語」のストーリーテラー役についてイジり返していた。この映像は“芸人としてのBIG2邂逅記念”として今でもVHSテープに残してある。


■外側から攻めたタモリ、内側から攻めたたけし
  
2人ともメディアのほうぼうから、バラエティ界全域の様相や今後の引き際について問われる機会が多いため、永く共演しない間も互いの存在に言及することはしばしばあった。以下は、書籍 「赤塚不二夫対談集これでいいのだ」(2000年)より各対談から抜粋。

タモリ:
オレたちは、オレたちより上の世代を否定しようと思いながら、いろいろな上の世代からの否定をかい潜ってやってきたという戦友意識があるんですよ。一応、伝統的なお笑いの世界でやってきたタケちゃんなんて、オレ以上に否定的なものを受けてますからね(中略)なんか圧力みたいなものを感じましたから。タケちゃんとはそういうものを同時期に感じながらやってきたっていう意識がありますね。だけど、今のタケちゃん見てると、エネルギーあるなぁって思いますよ。よくやってますよ。オレには、あんな精神力ないですね。

たけし:
中央の文化がお笑いに目を向けない時期がずっと続いてたんですけど、我々(ツービート)の出る一、二年前から高平哲郎さん(番組演出家 、タモリの初代マネージャー)なんかと一緒に新しい笑いがスーッと出てきたんです。そん中に赤塚さんとかタモリなんかもいたんですけど、我々は浅草の非常に上下の関係がうるさいところで漫才やってたから、近寄りがたい妙な世界があるなって思ってましたね(中略)ほとんど文化人でしたからね、彼は。文化人がお笑いやってるって感じでしたから。ポカーンと開拓できる空間ができたんでしょうね。
   

たけしは、タモリの印象を「ほとんど文化人」と語っているが。今では映画監督として世界規模で大成し、画家・芸術家として個展を開き、小説でもヒットを飛ばし、レギュラー番組の大半が教養/社会派バラエティになっているたけしのほうが文化人色が強い。

片やタモリは「笑っていいとも!」「タモリ倶楽部」「ミュージックステーション」を30年余り継続し、盛衰のはげしい数多の芸能人たちとの接触をめんどくさがらずにこなしてきたことで、超大物でありながらも共演者を誰1人緊張させない稀有なタレントとしてテレビの中に自然と居続けている。つまり、昔と今とで2人の立ち位置(業界との関わり方)は入れ替わりに近い状態であり、2人の距離感は特別遠いままなのである。

これは、あくまで私見だが。ビートたけしの親友といえば島田洋七、ビートたけしの戦友といえば明石家さんま、笑福亭鶴瓶、志村けん。ビートたけしの僚友といえば高田文夫。ビートたけしの遊び仲間といえば所ジョージ。ビートたけしの相棒といえばビートきよし。そしてビートたけしのライバルといえばタモリ、ただ1人だと思う。


■「笑っていいとも!」終了以降の2人

「笑っていいとも!」が終わってすぐの頃は、このまま活動意欲が減退していくのではないかとさえ懸念されていたタモリ。1年間限定放映された「ヨルタモリ」にて“密室芸”に準ずるパフォーマンスを次々披露し、一方で今やNHKの看板番組である「ブラタモリ」を再始動した頃には、杞憂という言葉すら忘れさせていた。

片やたけしは、かねてから継続していた「FNS27時間テレビ」での“火薬田ドン”がすっかり夏の風物詩(ライフワーク)として定着。いつまでも過激なバカバカしさに邁進する芸人像を毎年その時間に集約させている一方で、彼の原点である時事漫談をついに報道番組「ニュースキャスター」の中で毎週披露するようになった。

世知辛い社会や勝負の世界を遮断した笑いを求める男と、そこにこそ飛び込んで笑いを求める男。声に出して認め合いながらも、どうしたって交われない関係。これぞ真のライバル同士というものだ。タモリ・たけしがテレビに出てこなくなる日常は、たとえばマクドナルドやケンタッキーが都会の繁華街に一軒も見当たらないような感覚だろう。また彼らがテレビで揃うとなれば、カーネル・サンダースが赤髪のピエロになったような感覚であり、これまた非日常的な出来事なのである。
  
小さい頃は、いつか2人が2人だけで番組をやるのを期待していたのだけど。今ではその近くて遠い距離感にそれぞれの現役感を再認識し、Xデーはまだ先のことなのだとかえって安心している。

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