【瀧本宿題】「人のふりした猿にはなるな」感想
久々の投稿となってしまいました。💦雨が続いていますが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。
今日は、所属しているサークルの方からぜひ!とお勧めしていただいたこちらの記事を読んで、自分なりに考えたことを綴りたいと思います。
期間限定で無料公開されておりました。私はまだこの第一檄のみを読ませていただいたまでですが、分かりやすい言葉、構成で、初めて知る言葉や歴史も多く、とても刺さる内容でした。
そこで、今回は「宿題」と題して、拙いものですがこの記事の感想を次の3つの要点に分けて、残しておこうと思います。(^▽^)/
1.誰もが発信者になれること
瀧本さんの講義の中で、国中にコピー機をばら撒いたという「ヘッジファンドの帝王」ジョージ・ソロスの例を挙げ、「意見をバラまくことには世の中を変える力がある」と述べています。
この言葉は、インターネットが普及してSNSやYouTubeなどを通して誰もが自分の意見を発信できるこの現代に必要な、前提となる認識だと思います。
時には偏った世論を煽る可能性もある、影響力の強いマスメディアの報道も然りですが、それだけでなく私たち誰しもがその力を秘めている、ということが現代の特徴だと思います。
世の中に自分の意見を発信することで伴う責任に躊躇してしまうこともあるかと思いますが、「あれ」と思うことや「これは言いたい!」ということがあれば、そしてその責任を背負う覚悟があるのならば、どんどん発信していいんだよ、と背中を押された気持ちになりました。
また、この「責任を背負って意見を言う」姿勢は、まさにこのnoteの記事やSNSでの投稿、ビラ等、目に見える明らかな発信だけではなく、仕事をする中で相手の話やその時の状況に何か思ったことがあった場合にも通じることだと思いました。
これからもnoteで自分の意見を発信したり、今後のアルバイト、インターン、就職後でも常に自分が思ったことを正直に拾って、(最低限のマナーはには注意を払いつつも)言葉にしていきたいと思います。
2.「カリスマ」よりも「武器」の普及
このお話にはハッとさせられました。
というのも、私は「カリスマ」に弱いという自覚があるからです。
受験生の頃、不安で紋々としていた日々の唯一の光だった塾の先生、ファッションに目覚めつつも自分の服の方向性に悩んでいたときに目にした雑誌のモデルさん……
何か困っているときに出会う「カリスマ」にすぐに飛びつき、そして一度しがみついたらなかなか離れないのが私の特性。
周りからは自分の強い意志を持っている、と言われますが、実際にはいまだに「この人が言っているから」「この人が着ているから」と鵜呑みにしてしまうこともままあります。
おそらく、「参考にする」の程度問題もありますよね。「鵜呑み」や「丸パクリ」との境界線……。
これについての私なりの答えは、やはり結果その人の考えやファッションをなぞったとしても、その前に「自分で考えたかどうか」で「鵜呑み」か「あくまで参考」かが決まるのではないか、ということです。
カリスマの話を聞いたり姿を見たりして、「いいな」と思ったら、何も考えずにそれを真似するのではなく、自分が気に入ったもの、という知識として一度インプットをして、そこから自分に合った表現に生かしていくことが「鵜呑み」ではない「あくまで参考」なのかなと思うのです。
そのため、たとえば結果的にほぼ同じファッションになったとしても、それが自分にとって最良だと自分の頭で判断した、という過程が望ましいと思います。
この「鵜呑み」と「あくまで参考」の違いが、「カリスマ」と「武器」の違いに通ずるのかなと思いました。
自分で考えるというワンクッションが習慣化することで、その習慣が自分の力になって実用性を帯びる、つまり「武器」になるのかなと思います。
3.続きが気になる!
この部分は目次にするまでもなかったかもしれませんが(笑)、今回第一檄を読んで、続きの第六檄までが収録された瀧本さんの本、ぜひ購入したいと思いました、というのが率直な感想です。
昨年夭逝した瀧本さんは投資家や経営コンサルタントとしても活動されていたとのことですが、学校ではそういった方面の授業は取っていないので、その世界で活躍されていた方のお話を伺うのはとても新鮮で、興味があります。
気になった方はぜひ、ご一読くださいませ。
長くなりましたが、読んでくださり本当にありがとうございました!
また、今回瀧本さんの講義の一部を無料公開してくださったことに感謝致します。
そして、心に響く講義を提供してくださった瀧本哲史さんに、哀悼の意を表します。
サポートありがとうございます。いただいた想いは、とても大きな励みです。記事の更なる向上に向け、今後とも精進していきます。