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町田樹に色はない

フィギュアスケート見るの好きなんだ。
そう言うと、相手からは決まってこう返される。
「あ、羽生君が好きなの?」と。
そこで私はこう返す。
「いやっ、羽生君は普通に好きなんだけど、私が好きなのはソチに出た町田君で…」

そう、私は町田樹さんが好きだ。
とはいえ、沼落ち*1 したのはソチからなので、新規と言えば新規に分類されるのかもしれない。
*1 町田樹にハマること。


今言った通り、出会いはソチオリンピックだった。
ぶっちゃけ、この時までフィギュアスケートは、テレビでやってたら見るレベルで、選手もシニアしか、しかも、バンクーバーオリンピックの時で記憶は止まっていた。
だから、町田はおろか、羽生君すら知らなかったのだ。


しかも、初めて町田の演技を見たのは、ソチのエキシビジョンだった。
それは、エアギターをやる演目を、町田がやると聞いたからだった。
元々、バンドのスタイルのアーティストが好きで、そこで「お?」と興味を持ったのだ。
(ただ、当時のTwitterのつぶやきを見ると、ショートの後、「町田君の点数が上がらなかったのはジャンプが大きく響いたの?」と呟いていて、既に気にしている節が見られる)


で、実際に見た感想。

「もっと、エアギター長くやってほしかった…」

その時の自分に、懇々と説教してやりたい。
もちろん、そのプログラムが『ドンスト』*2 だなんて、露程も知らない。
*2『Don’t Stop Me Now』の略。



ソチが終わり、私はようやく、町田のことを調べ始めた。
『ティムシェル』は、多分この時に知った。
ほどなくして、世界選手権がやってきた。
ソチ以降、フィギュアスケートへの興味が高まっていた私は、“やっているから見る”のではなく、“見たいから”テレビの前で緊張して待っていた。
そしていよいよ、町田のショートプログラムが始まった。


正直、見たということは確かに記憶している。
でも、不思議なことに、リアルタイムで見た演技自体の記憶が、ほぼないのだ。
(今覚えているのは、後で何回もYouTubeやニコ動で動画を見たから)
また、ショートプログラムが『エデンの東』だということも、この時はよく知らなかった。
だけど、見終わった後の、なんて形容していいのか分からない、高揚した気持ちは覚えている。
『町田樹』というスケーターが、私の心に刻まれた瞬間だった。


翌日のフリー『火の鳥』も、テレビの画面に食い入るように見つめていた。
この時は前日より少し余裕があったのか、Twitterにつぶやきを残している。

始まる前
「フィギュア見とる。次町田君(・ω・)ノティムシェル。」
終わった後
「まっちー!!めっちゃ素敵なフリーだったよー!!」
「あのカメラ目線はひきょーだよまっちー!!」

始まる前はあった理性が、終わったら消え去っている。
こうして、本格的に沼落ちした私だったが、フィギュアスケートはまだにわか中のにわか。
ルールはおろか、年間のスケジュールすら知らない。
だから、アイスショーというものがあって、そこに町田が出てたことは、あとで知った。
また、町田はこの時SNSをやっていなかったので、今何してるのかすら分からない。
Twitterなどで検索して、町田の影を求めて彷徨った。


そんなこんなで春が過ぎ夏が過ぎ、秋が来て10月が来た。
10月はグランプリシリーズが始まる季節ということで、スケアメ直前に、報道ステーションで町田のインタビューVTRが放送された。
ようやく再会した町田樹に、私の心は一瞬にして再び沼へと沈んだ。
そして、いよいよスケアメ当日。
テレビの前で、ドキドキしながら待機していた。
そうして始まった、ショートプログラム『ヴァイオリンと管弦楽のための幻想曲』。
この時のことは、世界選手権の『エデンの東』とは対称的に、よく覚えてる。
彼の一挙手一投足から目が離せなくて、痛いくらいに切なかった。
まるで心が締め付けられるような感覚で、自然と涙が込み上げる。
確かに、先述のインタビューなどで、このショートのテーマが『悲恋の極北』だということは知っていた。
だけど、それはあくまで言葉として知っていただけで、それが何なのか、この演技を見て初めて分かった気がした。
翌日のフリー『第九』も圧倒的だった。
かなり大変で難しく体力のいるプログラムで、初戦のスケアメでは、確かどこかのジャンプの難易度を下げていた記憶がある。
だから、このプログラムが完成したら、今までにない、とんでもない作品になると思った。

でも、私が、いや、私たちが『第九』の完成を見ることはなかった。
その年の年末の全日本、町田は現役引退を発表した。
しかも、世界選手権代表に選ばれたその直後、コメントを求められた時に突然発表したのだ。
(余談だが、あまりにも突然だったので、他の選手たちも寝耳に水で、コメント中に映った小塚君が面白いくらいに驚いた顔をしている)
春からは、早稲田の大学院に進むとのことだった。
全日本が4位だったので、世界選手権厳しいかな〜と思っていた沼の民は、正にジェットコースター並みの感情の落差を味わった。
抜け殻になりながらも、すぽるとで引退発表のシーンが流れるというので見たが、あまりに清々しい様子だったので、納得せざるを得なかった。


だけど、それはそれ、これはこれ。
頭では理解しても、心は全く追いついてこない。
そこで私は、取り急ぎ、町田にメッセージを送ることにした。
元々、全日本の『ラベンダー』*3 にいたく感動していたので、手紙を書くつもりだった。
だが、手紙などと悠長なことはもう言っていられない。
書き上げて届く頃には、大学で受け付けてもらえない可能性だって考えられる。
当時は関大のHPに町田のページがあり、そこからメッセージを送ることができた。
これなら送った瞬間届くし、送信フォームがある限り本人に届くだろうと考え、私は一心不乱に文章を打って、送信ボタンを押した。
*3『ヴァイオリンと管弦楽のための幻想曲』のこと


翌日、もぬけ殻の私だったが、不意にましゃ友さん(福山雅治さんのファン仲間の呼称)からLINE。
なんでも、LINEを送ってくれたましゃ友さんのましゃ友さんが、カウントダウンライブに一緒に行く予定だったお母様がインフルになり、チケットが1枚浮いてしまい困っているが、行けないかというお誘いだった。
二つ返事でOKしたのは言うまでもない。
今でも、その時に部屋から見た空を覚えている。
オレンジと紺のグラデーションが綺麗な、雲ひとつない夕方の空だった。


こうして、メダリストオンアイスを見て、福山さんのカウントダウンライブに急遽参加して、年を越した。
気づけば、スマホのカメラロールには、町田の画像が増えていた。
もちろん、町田の情報は全然ない。
先述の通り、町田はSNSをやってなかったので、もはや彼の消息は分からない。
私は町田の痕跡を辿るため、町田の載っているフィギュア雑誌を買い漁り、「白夜行」を読み、果ては「エデンの東」を読破した。
もはや我々がいるのが『悲恋の極北』かもしれないと思い始め、遂には泣いた。


そんな感じで、町田樹の欠片を拾い集め、『悲恋の極北』で彷徨っていた、2月19日。
その知らせは、突然私たちの元に届けられた。
「町田樹、プリンスアイスワールド横浜に出演!」
奇跡だ。奇跡が起きた。
確かに、研究活動の一環で、アイスショーに出させていただけるのであれば出たいとは言っていた。
でもまさか、こんな早いとは思わないじゃないか!


なんとか一般でチケットをゲットし、2015年5月2日、私は遂に、町田樹と邂逅した。
彼が演じた作品は、『継ぐ者』。
シューベルトの「4つの即興曲 作品90/D899 第3番」が流れる中、彼は舞った。
滑ったでも踊ったでもない、舞った。
目が、離せなかった。
まるでそこには、彼と私しかいないのではないかと錯覚するほど、周りのものが見えなくなって、ただただ彼が舞うのを見ていた。
人生で初めて、スタンディングオベーションをした。


終演後、プリンスアイスワールドでは、スケーターに直接プレゼントや手紙が渡せて、写真まで撮れる、ふれあいタイムなるものがあった。
ただ、町田は事前に手紙やプレゼントは辞退し、“お心”をいただくと発表していた。
なので町田は、少しリンクサイドから離れて、リンクを周回してくれた。
そして、町田が目の前にやってきた。
町田に自分の思いを伝えたくて、でも、なんて言葉にしていいか分からなくて。
気づけば、こう口にしていた。
「まっちー、ありがとう!」
その時だった。
目が、合った。
町田は手を胸に当て、こちらを見た。
「こちらこそ」
それは、聞き逃してしまうかもしれない大きさの声。
だけどその声は、確かに私に届いた。
相手に言葉が、気持ちが、伝わるということ、そして、返してくれるということは、当たり前のことじゃない。
こんなにも嬉しくて、素晴らしいことなんだと、改めて知った。


それから毎年、プリンスアイスワールドの横浜&東京公演に行って、町田のプログラムを観た。
『継ぐ者』、『あなたに逢いたくて』、『ドン・キホーテ ガラ 2017:バジルの輝き』、そして、『ボレロ:起源と魔力』。
どれも目が離せなくて、ただただ魅入っていた。
2018年、町田はフィギュアスケートの実演家から引退した。
最終公演は、ジャパンオープンの『ダブル・ビル:そこに音楽がある限り』と、カーニバルオンアイスの『人間の条件』。
休みをもぎ取り、さいたまスーパーアリーナまで観に行った。
特に、『人間の条件』は、今でも鮮明に思い出すことができる。
ジャンプでうまくいかなかったところもあったけど、それすらも作品の一つの要素のような、そう思えた。
中盤、照明が稲光のように光り、その中を町田が滑っていく。
苦しい状況の中でも、彼は踊ることをやめない。
「それでも、生きる」
そんな言葉が浮かんだ。
終わってしまうのが寂しくて、終わらないでほしいと、いつのまにか願っていた。
そして、客席全てがそう願っている気がした。
だけど、始まれば終わってしまう。
町田が踊り終えて、居ても立っても居られなくて、立ち上がってスタンディングオベーションをした。
素晴らしかった。
感動した。
そんな想いを拍手に込めて。


この時、引退のセレモニーが開かれた。
そこで町田は、一言、と言って話し始めた。
その中で町田は、「フィギュアスケートを文化にしてほしい」と言っていた。
ブームではなく、文化に。
これは、選手や指導者など、フィギュアスケートに関わっている人だけでは文化にすることはできない。
フィギュアスケートを観ている私たちが、文化にするために行動しなければいけない。
そして、町田はこう言ってくれた。
「自分は、世界一幸せなスケーターだ」と
そんな風に言ってくれた町田のことを好きでよかったと、心の底から思えた。


あれから2年。
町田は、雑誌や新聞で記事を書いたり、テレ東でフィギュアの解説をしたり、映像を配信したり、講演会を開いたり、学会で論文を発表したり、大学の講師として授業をしたり、精力的に活動していった。
そして、2020年9月、國學院大の助教になった。
研究者として、また新たな一歩を踏み出した。

きっと、彼はこれからも、自分の道を邁進していく。
その姿は、私にとってもきっと、自分の道を歩いていく力になるだろう。
私も、頑張らなくては。


最後に、ある言葉を紹介したい。
町田が引退して半年ほど経った頃、『エデンの東』・『火の鳥』・『ラベンダー』・『第九』を振り付けた、振付師のフィリップ・ミルズさんのインタビューが公開された。
そのインタビューの最後に、「今から挙げるスケーターを、色で例えてください」という質問がされた。
ミシェル・クワンやアシュリー・ワグナーの名前が挙げられて、最後に聞かれたのが町田だった。
ミルズさんは、こう即答した。

"He is diamond. He is no color, he is just sparkles, with talent."
“彼はダイヤモンドだ。色はないんだ。ただ、才能で煌めいている”

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