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毒親

毒親という言葉
数年前に知った

暴力等とは反対の場合も該当するとか
心配症、過干渉、過保護
20代の時に母の過度の心配症で
心配から怒りに変わり
帰宅が遅いことで度々怒られた
通勤時間2時間近く
残業で遅くなるわけだけど
携帯もない時代
電話連絡はしていても
バスや、電車の都合で
予定時間より遅くなると
「女の子がこんなに遅く帰宅なんて
と心配させて」と
ついこちらも心配しないでといって
苛立ちもあるわけで
口調がきつくなるのだろう
父も同様に
「女子社員を残業させる会社なんか
ろくでもない会社だ」と
大正生まれ(88歳没)

そうすると母
心配してくれてありがとう、
心配かけてごめんなさいではないの?
となる。

心配症、過干渉は当時も、
自分を信用してくれていないんだなと
思ったものだったが、
もしも自分が親になった時は
こういう対応はしたくないと
反面教師としていた
自分が親になって
娘の帰宅が遅くなり
似たような場面に遭遇したとき
心配はするが
何事もなく無事帰宅し
怒りではなかった。
安堵感で出た言葉は
「無事で良かったー」であった。
そう、怒りになどならなかった。

ある時は
スキューバダイビングの体験ツアー
を友達と申し込んだ
すると「危険だからやめない」
申し込んでスーツも注文したりして
行くことにしていたら
なんと、ショップにいったら
親からの電話で、キャンセルとなっていた
怒るわたし
そして、
「帰宅が遅いことも他も我慢するから
お願いだからこれだけはやめて」と
言われ、こちらが折れた

その後、また帰宅遅いと度々
小言を言われるのは
結局かわらなかった
そんな母、
今、93歳で良きお隣さんがいて
1人暮らしが成立しているが
行ける土日は様子見で行っているが
心配症は相変わらずである
今は自分自身の心配が多い
超高齢でもともと心配症の性格
自分への過度の心配
まあ、矛先がこちらでないから
良しである
一緒に住んでいないから
まあまあ上手く対応できてはいる
しかし毎朝の安否確認電話で
毎回ネガティヴな言葉ばかり聞き
気持ちを上向きにと
アドバイスすれど
それは怒られた感になるらしく
あまり効果はない
とりあえず認知もなく歩け、
助かっているので
それで良しということだ
しかし
毎回、よくぞ些細な事を
ものすごく大変なことのように
思ってしまう思考回路
せっかく歩けて、認知もないのだから
良かったわにならないのか

やはりここでも
万が一自分がその年まで生きた時
こうはならないぞの
反面教師なんだなとおもっている

『他人と過去は変えられない
自分と未来は変えられる』
母にも言っておいたが気持ちの持ち方
考え方他
全ては自分次第なのだ

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