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Music and Sound Quality -1 音楽のエモーション

「音楽が持つエモーションをきっかけに、あと少し音楽へ近づくこと。そして、その音楽のエモーションの受け取りが、あと少しでも多く出来る再生音質の実現について、日ごろもろもろと思うところを、つらつらと連載で書いていきたいと思います。」

(最初の投稿から1年が過ぎ、内容の見直しと加筆修正をしています)


はじめに

私たちの今の生活の中には、音楽は溢れるように存在しています。そして、もうありふれた当たり前の存在として、特段気にも留めないで聞き流していることも多いのではないでしょうか。

しかし、そのようにとても身近な存在であるにもかかわらず、音楽の価値は人や場合によりさまざまで、その実体は簡単には捉え難いものです。そして仮に、音楽の世界に一生を費やしたとしても、その全体像を理解することは、とても難しいものなのだと思います。

音楽って何なんだろう?

そのように思うことがこれまでも幾度もあり、その中で形作ってきた、私なりの音楽や音楽再生についての諸々な思いや気付きを、この「Music and Sound Quality」と題したコラムに、つらうらとまとめてみることにしました。


私の周りを見回してみても、どのような音楽を聴けばいいのかと悩んでいる人、あるいは興味はあるけれど今一つ音楽への関心を深められない人、そして音質の差が今一つ分からない人など、そのような人達はごく普通にいます。そのような悩みや迷いは、音楽に対して誰でもついつい持ってしまいがちな、さまざまな固定概念や先入観などからも起こってしまいます。

これからここで書いていくものが、可能ならば少しでもそのようなものを分解し、音楽のエモーションをトリガーとして、あと少し音楽へ近づくきっかけになればと思っています。そして同時に、音楽の受け取りに適した音質実現への、ヒントとなる考え方や体験も提供できればと思います。


もちろん音楽に一つの正解はなく、人それぞれの考え方や楽しみ方があることも音楽の素晴らしさの一つです。そして求めるものによって、あるべき音も当然異なってくるでしょう。

ここに書く内容を完全なもの、あるいは全てをあまねく網羅したものとは、当然思っていません。私個人の稚拙かもしれない考えが、全ての人にフィットするとも思っていません。しかし、その考えがとても小さな角度から見たものだったとしても、それを手がかりとして、音楽への理解と愛情が更に深まり、ひいては自分の答えを見つけるためのきっかけに、もしかするとなるかもしれない、、、そのようなことを願って、書いていきたいと思います。

また、考えの理由も出来るだけ書いていきたいと思いますので、理屈っぽくなってしまうことがあるとすればご容赦ください。

音楽のエモーションの伝達

一般的なオーディオ機器を使っておこなう日常的な音楽再生では、どのような音が求められるのでしょうか。当然ケースバイケースで、求められる音に違いはあるとは思いますが、それでも基本的には誰もが自分なりの”良い音”で、音楽が再生されることを望んでいると思います。

人によってさまざまな違いがある"良い音"ですが、それでも一般的には「音源が持つ情報を余すことなく再現する」ことを、拒む人は少ないと思います。


でもそれは、言うは易し...  良い音を追求しだすと、たちまち多くの資金と時間と知見が求められ、いわゆる泥沼にはまり込んでしまうことにもなってしまいます。もちろん、そのような多くの努力と工夫で実現された音の素晴らしさは、程度の差や好き嫌いがあるにしても、聴いた人には何かが必ず伝わるものです。

そんなこともあり、 「音質を理解するためには良い音を聴けばよい」というような、少々乱暴とも言える言い方がされることもあります。しかし、私達のような一般的なリスナーは、たとえ良い音を聴いたとしても、それが自分自身の音の理解や再生環境改善に、直ちに結びつくとは限りません。


それでは一般的な音響機器を使っている一般的リスナーが、音楽と音質の両方を楽しむためにはどのようにすればよいのでしょうか?

その一つの道筋として、音楽が持つエモーションをトリガーとして、音楽と音質の個人的な価値を考えて、そこからもう一歩音楽に近付いていく、というものがあるのではないかと思っています。

そしてもっと近い距離感で音楽を楽しむことが出来たのならば、そこからリアリティとエモーションが伝わる音を感じるための、個人の軸の確立につながり、最終的には音質の判断をもっと自信を持って行えることに繋がっていくのではないか。そんな風に思っています。


 再生音に対するひとつの考え方

再生音質はエモーションの伝達にとって重要なファクターですが、同時に音楽は音質を越えた力を持っていることも事実です。

音楽は世界の何処かで日々誰かの気持ちを後押しし、その人の行動を支え、新たなステージに押し上げるパワーの原動力になるということが、実際にあらゆる所で日常的に起こっています。そして広い世界を見回せば、例えば安いイヤホンや、携帯電話のスピーカーでの音割れしながらの再生であっても、音楽の伝達は十分に実現されているのです。


再生音質の基準は、時代のテクノロジーの進歩とともに大きく変わってきました。でも、音楽の本質とも言える、エモーションの受け取りに関する感性は、昔から変わらず誰もが持っているものでしょう。蓄音機の音を始めて聴いた人も、今から見ればかなり低い音質レベルであったにもかかわらず、再生された音楽によって、今の私達と同じように感動したのではないでしょうか。


高度なテクニックで表現される、素晴らしい演奏や歌唱を聴くことは、音楽の代表的な楽しみ方です。そのような時に、音楽の「音」を聞き取ることに意識がフォーカスされ過ぎると、もしかすると意識が再生機器やその環境、演奏技術や歌唱スキル、あるいは音の構成や音楽理論という、技術的な部分へのアプローチに偏ってしまう可能性もあります。

「音質を意識して音を分析的に聴く」ことと、「音質を意識して音楽のエモーションに触れる」ことは、必ずしも同じベクトルではありません。また音質とエモーションの伝達には、必ずしも一定の関係性がある訳でもありません。

言い換えれば、音質には周波数特性のような測定できる定量的な部分と、エモーションが伝わる定性的な部分があるということだと思います。


エモーションの受け取りを行うには

再生音の音質評価では、特定の音の再現性を測定し、その数値の分析的・客観的な判断を行うアプローチが取られることが一般的です。例えば周波数特性のような「音の特性」は、測定器による計測が可能です。

しかし、「音質を測る測定器」というものは存在していません。音楽再生で楽曲のエモーションの受け取りを感じていくときには、自分の中で響く音を定性的・主観的な感覚として判断することも、音の特性を意識することと同時に重要になってきます。


エモーションの伝達が可能な再生音質を求めていくときには、演奏の場では奏者が楽曲世界に入り込んで演奏するように、音楽再生の場でも共感という側面から音楽にアプローチし、その音楽に込められたエモーションを、一人のリスナーとして主観的に感じる事が求められます。リスナーが楽曲に共鳴や共感できるということは、エモーションの受け取りには欠かせない重要なことだと思います。


音質改善に興味がある人でも、このように聞くとなんだか面倒くさいな、と感じる人もいるかもしれません。確かにこのような事は、手間がかかることに違いありません。仮説でもいいので、ビシッと明確に音質を定義して欲しい、と思う人もいるかも知れません。

しかし音楽や音質は、その部分的な要素を数値的に説明することは出来たとしても、音質そのもの、或いは音楽そのものは定量的に説明することは出来ないものなのです。


日常の中の音楽

太古から今の時代まで、音楽は聴く人にある種の精神的作用をもたらすために用いられてきました。そして現代では分娩室から葬儀のBGMにまで、日常的にあらゆるところで、イメージや感情への影響を目的として音楽が用いられており、人生は文字通り音楽に彩られています。

そのようなエモーションの直接・直観的な伝達こそが音楽の本質であり、聴く人のバックグラウンドに関わらず伝わる部分が多いことが、音楽と言うものの最大の特徴でしょう。また、受け手の感性で自由に解釈して楽しめる事も、音楽が普遍的に楽しまれる理由だと思います。


音楽をより高音質で聴こうとするときには、資金や時間や知見などさまざまなものが求められてきますが、昨日よりも音楽に更に少し近づくことは、誰でも自分のペースで今日からでも出来ることです。

そしてその時に一番必要なものは、興味・関心・好奇心などというものなのだと思います。楽曲やアーティストなどについて一つでもいいので、なにか共鳴するポイントを見つけることが出来たのならば、それをトリガーとして、音楽に近づいて行ってみましょう。


今回は以上です。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

引き続き、音楽と音質について書いていきますので、このコラムのチェックを、これからもよろしくお願いします。



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