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story 院内託児室

(突然、お話が沸いてきたので、メモを兼ねてここで公開)

手元のスマホが震えた。画面を見ると、救急外来からだった。
午後9時30分。今夜も長くなりそうだな、と思いつつ画面をタップして耳に当てる。遠くで規則的な電子音が鳴り、人のざわめきが聞こえる。
「はい、託児室です」
『こちら救外。5歳の女の子。落ち着いています。預かり検討中です。説明をお願いします』
手短に状況を聞き取り、犬のぬいぐるみとグミとお煎餅と一緒に手提げバッグへ入れ、奥の部屋にいるエミさんへチャットで救急外来へ行くことを伝え、夜間警備室へ向かう。小窓から覗くと、田村さんの顔が見えた。小さなガラスを開け、声をかける。
「お疲れさまです。救外へ迎えです」
こちらへ視線を向けた田村さんが目元を少し和らげ、
「はーい、救外ですねー。すぐ行きます」と返答してくれた。

すでに消灯された廊下の灯りを田村さんが点けつつ、一緒に救急外来へ向かう。

救急外来に続く扉を田村さんが開けてくれ、そこからは1人で向かう。廊下のベンチに母親と見られる女性と一緒にいる女の子がいた。今夜のお客様だな、と軽く会釈をして、その向こうの診察室につながる受付の扉を開けて入った。

「託児室の五十嵐です。迎えにきました」と声をかけると、ベッドの周りに集まっていた人たちの中から見知った人がこちらへ来る。
「ソフィさんの日でよかった。時間がかかりそうで。1時間くらい前に到着したのだけれど、これからCTに行くことになってて、病棟に上がるのが日付を超えそうなの。自宅までちょっと距離があるから、早くて朝食後、遅いと昼食まで見てもらうことになると思う」
看護師のワタナベさんが廊下の方へ目をやりつつ話す。
「昼食まで、ですね。了解。患者さんの様子は?」
「うーん、小学生のお兄ちゃんで突然の頭痛と嘔吐だから、ねー。」
「頭痛と嘔吐ですかー。救急車で?」
「そう。救急車で8時過ぎに来たの。では、行きましょうか」
「了解。」
ワタナベさんと一緒に廊下にいる母親のところへ行く。
ワタナベさんが母親らしき女性に私を紹介し、診察室へ戻っていく。
「急なことでびっくりされているのではないですか?」と母親に向けて声をかけた。
「えぇ。私が仕事からこの子を連れて帰宅したら、上の子が珍しくソファーに横たわって気持ちが悪いと言って吐いて、頭も痛いと言い始めて、怖くなって救急車を呼んでしまって…」
「そうだったのですね。夕食は摂られましたか?」
「この子はさっき、そこのコンビニのおにぎりを食べました。私は喉を通りそうになくて…」
「そうですか。先ほど、受付の者からお話があったかと思いますが、ごきょうだいのお子さんは託児室でお待ちいただくことができます。もちろん、ここで待っていていただいても構わないのですが、この時間ですから診察や検査に時間がかかるようです。託児室の利用には費用はかかりませんが、スマホで利用申請をしていただく必要があります。いかがされますか?」
「えーっと、もう少ししたら主人も到着しますし、もう眠いみたいなので、ここで寝かせようかと思っていたのですが…」
「そうですよねぇ。眠い時間帯ですよね。」母親にくっついてじっと黙ってこちらを見る女の子の目は眠そうだ。
「託児室で寝て待っていただくことも可能ですけれど、お母さんと一緒がいいでしょうか?」
「そうですね…突然、救急車に乗ったりして、ちょっとびっくりしたようなので…」
「そうですか。お嬢さん、おいくつですか?年長さん?」
「はい、保育園の年長です。」
「眠いよねぇ。別の場所のベッドで寝たかったら、案内できるけど、お母さんと一緒がいいかな?」と女の子に話しかけていたら、扉が空きワタナベさんがでてきた。
「お母さん、検査の説明とサインして欲しい書類があるのですけれど、入れますかー?妹ちゃんは託児室に行く?これから検査で、たぶん今夜はお兄ちゃんは泊まって行ってもらうことになるでしょうし、病棟に上がるまでもう少し時間がかかりそうだから、託児室をお勧めしますけど、どうでしょう?」と言う。
お母さんは強張った顔になり、女の子に説明に時間がかかるんだって。お姉さんと託児室で待っていてくれる?と話している。
私はカバンから犬のぬいぐるみを出し、この子と一緒にベッドのお部屋で寝よう、お兄ちゃんの検査が終わったらお母さんは迎えにきてくれるし、お母さんに会いたくなったら会いに行けるよ、保育園でのお昼寝と同じだよ、と話しかけた。
女の子はお母さんと私の顔に何度か視線を往復させ、「行ってみる」と言った。
お母さんは「お兄ちゃんは大丈夫。終わったらすぐにママがお迎えに行くから」と自分に言い聞かせるように、女の子の背中を撫でながら言った。
利用が初めてだったので、女の子の名前とお母さんの携帯電話番号を聞き、院内用のスマホからすぐにメッセージを送った。女の子は、萌ちゃん(めぐむ)と言った。メッセージのリンクから、患者さんと情報をリンクする同意、子どもの保育園への情報照会の同意をしてもらい、子どもの保育園名を聞き、食物アレルギーや注意することがあるかを聞いた。
メッセージを送ってもらえれば、萌ちゃんの様子を答えられることなどを簡単に説明した。

患者さんと情報がリンクされれば、住所や親の氏名などはわかる。萌ちゃんの通う保育園への情報照会ができれば、日常の様子も把握できる。
萌ちゃんに向けて名乗り、犬のぬいぐるみと一緒に行く?を聞くと、にっこりうなづいたので、渡した。一緒に救急外来を出る扉を開けると、田村さんが立っていた。
私と手を繋ぐ萌ちゃんを見ると、何も言わずに託児室へ向かって歩き始めた。

託児室へ向かう廊下は明るい。
「さっき、何のおにぎりを食べたの?」
「えーっとね、さけ。」
「鮭のおにぎり、美味しいよね!おやつも食べた?」
「ママのバッグに入ってたキャンディを食べた」
「そっか。今、お腹が空いてるかな?何か食べたいかな?」
うーん、と萌ちゃんは顔を傾ける。
「お部屋に行って、ふりかけとかおやつを見て食べたかったら、食べよう。要らなかったら、歯磨きしちゃおう」そんなことを話しかけつつ、突き当たりの扉から出て、渡り廊下を進み、別棟の託児室へ到着した。 

託児室のドアに鍵をかけるのを確認して、田村さんは引き返して行った。これから付けた廊下の灯りを消して、夜間警備室へ戻るはずだ。

託児室の奥のエミさんの様子を伺う。今日はすでにお泊まりの子どもが2人いるが、電気は消え、静まりかえっている。待機スタッフにあと1人、来室者が増えたら来てもらうことになる旨のメッセージを定型文選択画面から送った。

ダイニングに入り、萌ちゃんを座らせ、戸棚からふりかけとおやつボックスを出す。お水と麦茶のどちらが良いか聞くと、お水、と言うのでお水を出した。私も自分のお水を入れ、萌ちゃんの横に座る。萌ちゃんが「いいの?」とお菓子を指さして聞くので、「どうぞ」と言うと、ラムネを選んだ。どんなおやつが好き?と話をしながら、ラムネを食べるのを見守り、食べ終えて歯磨きする?と言うと、うん、と言うので、一緒に洗面室へ移動して歯ブラシを渡した。歯磨きを見守りつつ、Tシャツとズボンのセットと下着を出して、着替えたい?と聞くと、うなづいたので着替えを手伝った。

「眠れそう?眠れなさそうだったら、ここで絵本を読む?ベッドのお部屋は他の子が寝ているから、ここでなら明るいのだけど」と話すと、犬のぬいぐるみを抱いた萌ちゃんは「ベッドに入ってみる」と言うので廊下を挟んだベッドルームに行った。エミさんが空いているベッドの枕元の灯りをつけてくれていた。萌ちゃんをベッドに入れ、そばの椅子に座って寝入るのを待った。

程なくして萌ちゃんは寝息を立て始めたので、エミさんに頼んで私は事務室へ戻った。
事務室のパソコンにパスワードを入れカルテをチェックした。萌ちゃんのお兄ちゃんは用意が整い次第、手術室へ向かうと記録されていた。両親への説明も終わったようだ。
萌ちゃんのお母さんのスマホにメッセージを入れる。
「託児室の五十嵐です。22時15分、萌ちゃんはラムネを食べ、お水を飲みました。歯磨きをして、着替えました。22時40分、寝ました。とても落ち着いて過ごしていらっしゃいます」
すぐに既読になり、返事が返ってきた。
『萌のこと、ありがとうございます。兄は緊急手術になりました。手術が終わり帰宅する際に迎えに行きます』
「五十嵐です。了解しました。朝食後、昼食後までお預かりすることも可能ですし、落ち着かれたタイミングで託児室へ会いに来ていただいても構いません。どうぞご無理なさらずに」

エミさんとベッドルームでの見守りを代わりに行き、ベッドルームの入り口で静かに連絡事項をお互いに伝え合った。
エミさんが出ていき、3人の子どもを1人ずつ確認してから、寝息を立てる萌ちゃんを見ながら、お兄ちゃんの手術の成功を祈った。

病気の子どものそばに、きょうだいの元気な子どもがいる。
突然の病気の時、そのきょうだいは二の次になる。
子どもにはどんな時でも、安全で安心できる場所が必要だ。
その場所の1つが、ここ。とある篤志家の想いが詰まった、院内託児室。

お話はまだまだ始まったばかりーーー。

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