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許容力

朝はいつも通りに起きた。
ご飯を食べ、今日の分の子どもの勉強に付き合った。
雲の種類云々…というのが今日の課題で、ほほぉ!と思いつつ子どもの側で本を読み込んでいた。
勉強をそこそこで切り上げ、練習をした。
うーむ。十六分音符を4つ飛ばしちゃうのは困っちゃうな…、という仕上がりで、飛ばさないで弾けると良いね!と、もう最後は運任せにすることにした。

焼いたスポンジの2日目のしっとり具合を確認するという理由をつけて、朝のおやつタイムをしたら、子どもはスプレーホイップを持ってきて、家人にフルーツを切ってもらって、自分でケーキを作っていた。
ねぇ、1週間後にまさにこの味のスポンジでケーキを作るのよ?その時に食べ飽きたと言わないでね…と言うと大丈夫と言っていた。お願いしますよ。。。

メイクをし、着替え、荷物の用意をして出かけた。
会場に到着して、イヤリングを片方どこかで落としたことに気づき、厄落しだわぁ〜と子どもと話をした。家人が慌てて近所で買ってきてくれた。
衣装に着替え、私と子どものリハーサル後に時間があったので、年賀状用の写真にしよう…と会場スタッフに写真撮ってもらった。本番前に緊張感のない一家だった。

子どものデュオのリハーサルは散々だった。
音が消えかけちゃうし、途中でしっかり止まっちゃったし。まぁ、どうにかなるでしょ。とにかく最後の音までたどり着けば、拍手で終われるから!と声を掛けた。緊張感に欠ける感じのグダグダさだった。

本番が始まり、小さい子のピアノ演奏を眺めつつ、子どもの小さい頃を思い出していた。
私と子どもの親子アンサンブルは、あぁ、こんな風に子どもの伴奏をすることが夢だったなぁ、と思った瞬間に音を外して、あらあらまぁまぁと思っていたら終わった。

続いてデュオのお相手のソロは思うような演奏にならなかったようで、気持ちを切り替えられないまま、2人のデュオになった。
練習やリハーサルよりも速いテンポでお相手が始めちゃったものの、子どもも良く着いていっていて、途中で止まることもなく、これまでで一番良い出来で終えられた。
会場からおぉー!というため息のような歓声が上がり、弾ききった!と思い、何よりこれでこの曲を終わらせられる!ということに私はホッとした。

本番後に着替えつつ、弾けば終わるし、終わった後でいろいろ言っても仕方がない。ミスもあったけどそこそこな演奏だったしまぁ良かった、と子どもは言っていた。どこまでも冷静だなぁ…と思っていた。
子どもの許容力というか、練習をきちんとして、本番は精一杯頑張る、という姿勢には本当に頭が下がる。相手がどうであれ、自分のことをきっちりして言い訳をしたり、相手にあれこれ思うことがないのは、子どもの優れたところの1つだと思う。

終わってホッとした私は、こんなに良い仕上がりになると分かっていたら、十六分音符を4つ飛ばしちゃうとか、フレーズ感がないとか、音量が足りないとか、細かいことをガタガタ言わずにもっと楽しく練習すれば良かったなぁ。子どもに練習ばかりさせずにもう少し余裕を持ったスケジューリングでも良かったな…とか、いろいろ思った。
それを家人にこぼすと、はいはい、こんなに良くできるならあの努力は過剰だったエピソードが始まりましたよぉ〜と笑ってくれて、有り難かった。
念入りな準備をしたからこの結果を手に入れられたのだと正当に評価できない、というフレームを私は持っている。

帰りに遅いお昼を食べて帰宅した。
私は大舞台が終わったご褒美に封印していたSwitchのポケモンゲームを初めた。家人たちが図書館へ行くというので送り出し、ゲームをしていたはずが、そのままの姿勢で寝ていた。
家人たちが帰宅して慌てて用意をして、子どもの合奏レッスンへ出かけた。

子どもを送り込んで、クリスマスプレゼントを調達しに買い物へ。
レジに並んでいると前の子連れが、お揃いのDiorのダウン、Diorの帽子、プラダの靴…と全身ハイブランドで固めた服装の人たちで、ほほぉ!と思いつつ眺めた。毎日毎日練習三昧の私の人生と、このハイブランド女性の人生が交錯することはないなぁ、とか考えた。人生いろいろ。

子どもが合奏レッスンから出てくるのを待っていたら、次のセミナーの話をしているのが聞こえてきて、1つ終われば1つ始まる…終わりは始まり、始まりは終わり…と頭がぐるぐるしてきた。

頑張るのは子どもということをあまりよく考えず、親がすごくのめり込んで子どもを走らせ続けることに、私はすごく抵抗感がある。

私が大学院時代に行き詰まった時に、指導教官に「しなくてはならないことなんて存在しないのですよ。いつでも、ケツまくって辞めちゃえば良いんです。健康に生きていくために、いつでもケツまくる覚悟だけ持っていれば良いんです」と言われたことが、私の中の1つの指針になっている。

子どもの練習を必死に付き合っていても、どこか冷めている自分がいる。
たぶん、私はこんな風に生きていくのだ。
嫌ならいつでも降りれば良いと思いつつ、良い結果を目指して努力をし、良い結果を手にしたら過剰だったと反省する。

もっと優雅に余裕を持って、自信を持って歩いていきたい。
たぶん、それは手に入らない夢なのだろう。

大舞台を無事に終えて、家人とシャンパンを1本空け、寝た。
お疲れ、私。今日もよく生き延びました。

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