頭でっかち反省野郎

社会人になって4年で、3度引っ越しをした。

これだけ目まぐるしく住む街が変わると、心機一転というよりは千変万化という感じで、例えば朝起きる時間とか、どのスーパーが安いとか、部屋の広さに合わないテレビに違和感を感じたりとか、些細でも頭によぎるちょっとしたズレは、自分にとって変化の一つで、数を重ねると大きな変化に感じる。これらは暮らしていく中で歯車を合わせていくしかなく、カチッと音がするまで首を傾げなら過ごしていくしかない。

一方で、どこに暮らしていても、何をしていても、私は私で変わることはないと確信できるようになった。
忙しくなくても部屋は汚いし、どの街にいても休みの日は本屋ばかり行くし、痩せられないし。自分を取り巻く環境は大切だけど、自分がどう動くかで周りが変わっていくのだということを、環境の変化に甘んじて忘れそうだった。3度目の引っ越しでようやく、(遅い)「ああ私は本当に変われない」と気がつくことが多々ある。
私は友達と話すときは自信家で強気にものをいうことが多いけれど、一人になると頭でっかちの反省野郎に変わる。「ああ今日もここが余計だった」とか「どうしてもっとこうできなかったのか」とか。一人でブツブツ呟きながら毎日帰路につく。
こんなに毎日反省ばかりしているのに、何も変わっていない。なぜか?
「分かっているのにやらない」からだ。

分かっているのにやらない理由も分かっている。
とにかく理想主義で忘れっぽいのだ。私は。
完成形を求めて、こうなりたいと簡単に思い、なぜかできそうだと思って(ここも自信家過ぎてダメ)数日やってみるものの、モチベーションが下がるよりも前に、やることを忘れてしまう。「あれ?私って何に憧れたんだっけ?」みたいな感じだ。要は、なりたい姿とかやりたいことが全く具体的でなくかつ本気じゃないので、あれこれ手を出して、目標を見つけたことも忘れて目移りするので、何も続かないのである。
そしてこの目移りは仕事でも多大な迷惑を被っている。一つのことを最後までやれない。あれこれ手をつけて、結果何も終わらない。この性質が治らない限り、私は私に、永遠に苦しめられることになるのである。

散々自分に苦しめられたので、もうそろそろこの苦しみを軽減したい。私が可哀想で見てられない。(本当に哀れ)
だから、一先ず公の場で反省することから始めてみることにする。

こいつ、また反省ばかりして何も変わってないじゃないかと突っ込まれる未来しか見えないけれども、それでも「辛うじて苦し紛れに言葉にはしている」という事実くらいはここに残していけるように、やっていきますのでお付き合い下さい。

6月23日(日)



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