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萌え袖警察

 若い人たちの服装に文句を言いはじめたら、「老害」などという部類の人間に成り下がってしまうのかもしれない。若者に理解ある人間でありたいとは思うものの、表に出てきてしまうこの感情を、どうしたらいいのだろうか。私が気になり続けているもの。

 それは、萌え袖である。

 あの手の甲を包み込むような袖が、私のジリジリとしたセンサーに引っかかる。一度引っかかったら、もう止められない。私は、
 ウゥーーーウゥーーー
 
と柳沢慎吾の警察24時のモノマネの如くサイレンを鳴らし、萌え袖民の袖をまくり上げるべく鼻息を荒くする。

 萌え袖警察だ!

 その萌え袖を口元でムニョムニョして、男心や女心を惑わそうとしておるな! こちとら四十路を過ぎた中年女。そんなことくらい、まるっとお見通しなんだ!

 さぁ!神妙にお縄を頂戴しろ!

 萌え袖警察の取締りは、思いのほか熱が入る。
 普段、穏やかな私もついつい、鬼平犯科帳の長谷川平蔵のような形相になり、思わず
「おとなしく縛(ばく)につけぃ!」
 などと言ってしまうのだ。

 しかし、世間から「あざとい」と思われてまで、萌え袖をする人がいるのは何故なのだろう。 おしゃれ以外の、何か深い理由があるに違いない。もしかしたら、あの長い袖の中に、何か良からぬものを隠し持っているのではないだろうか。

 雑誌にでも載っているような可愛い顔をしていて、実は薬の売人で、あの袖の中に白い粉の入った袋を、大量に隠して売買しているのだ。
 そうなったら、もはや萌え袖警察の手には負えない。本物の警察に出動頂く必要がある。萌え袖も、使いようによっては何とも物騒なものだ。

 数年前から、若い女性の間でモコモコのルームウェアが流行している。雲や綿飴のようにモコモコして、冬は温かそうだし、見た目も可愛らしい。そして、その部屋着は例にもれず萌え袖であることが多い。
 モコモコと萌え袖のハイブリット。
 そのエグいほどの可愛らしさの中に、獲物を狙うギラリとした女豹の視線を感じるのは私だけであろうか。

 例えば、ここに一組の若いカップルがいる。
 彼女が初めて彼氏を自宅に呼ぶという、ワクワクドキドキなおうちデートの当日。彼女は、この日のために買っておいた、某有名ブランドのモコモコ萌え袖ルームウェアに袖を通す。
 ドアを開けたとき、彼氏が自分のモコモコ萌え袖姿を見て、ニヤニヤするのを、シメシメとほくそ笑む算段なのだ。
 それだけではない。

「何か作るね」

 などと言いながら、そのモコモコの萌え袖を適度な位置まで上げる。
ここで注意しなければならないのは、あくまでも、肘までいかない程度に袖を上げるのだ。
 するとどうだろう。
 たぐまったモコモコから伸びる彼女のスラリとした白い腕。かつて一斉を風靡したルーズソックス的な視覚効果で、華奢に見えるその腕に、彼氏も思わず鼻息が荒くなる。
 自分の姿をより可愛く見せることに成功した彼女は、中途半端に上げた袖で手料理を作り始めるのだ。

 メニューは肉野菜炒め。
 カレーや肉じゃがなどの定番を避け、最近流行の兆しが見える町中華メニューで彼氏を驚かし、ビールを飲んでもらおうという、計画的な犯行である。
 彼氏におのれの姿を見せつけるようにキッチンに立ち、野菜を切っていると、たぐまった袖が徐々に落ちてくる。豚バラ肉を切っている好タイミングで、完全に袖が手の甲まで落ちてくるのだ。
 ここで彼女が言い放つ。

「ねぇ、袖まくってくれる?」

 中途半端に袖を上げた大きな理由がここにある。
 壁ドンに並ぶ、少女漫画の胸キュン仕草「袖クル」を彼氏に再現してもらおうというのだ。
 彼氏は、彼女の背後にまわり、袖を上げてくれる。
「うふふふふ…」
 なんて笑いながら、彼に甘えると、彼氏の鼻の下は際限なく伸びていく。ここまでは彼女の計画通りである。

 しかし、ここからはそう簡単にはいかない。
 肉野菜炒めは火力が命。
 町中華の厨房の様子を想像すれば、火力はおのずと強くなる。
 火力マックスのガス火と、ジリジリと下がってくる袖の相性は最悪だ。
鍋を振りながら下がってくる袖が気になり、炒め作業に集中できない。
しかも、これ以上袖が下がろうものなら、危険が伴う。

 萌え袖が、燃え袖になりかねない。

 それを避けるべく、彼女は仕方無く火力を下げる。
 こうして水っぽい肉野菜炒めが完成してしまうのだ。
 町中華のそれとは明らかに異なる、ビショビショの肉野菜炒めの完成に、彼女は涙目。萌え袖にこだわってしまったあまり、せっかくのおうちデートが台無しになってしまった。

 そんな悲劇を産まないようにするためにも、私はさらなる一層の取締りを強化していきたい。
 やはり、萌え袖警察は必要だ。
 今後も鼻息荒く、張り切って取り締まっていこうと思う。







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