恐怖!「今日のゴハンなあに」
休日、出掛けもせず、家の中に家族が集合している時のあの何ともいえない怠惰な空気は何であろうか。
まったりを通り越し、だらーんと半分溶けたアイスクリームのように、全くと言っていいほど締まりがない。普段は働き者の人でさえ、こういう怠惰な空気感染からはなかなか逃れならないはずだ。
何となくテレビもかかったままで、お笑い芸人さんの笑い声が、完全なるBGMとなり、リビングにこだまする。家族それぞれがの各々のスマホを手にし、恐らく3分後には忘れてしまいそうな情報をぼんやり眺めては、
刻々と時間が過ぎていく。
そして家族の誰かが、言い放つ。
「ねぇ、今日のご飯なあに?」
怠惰な時間に、急に現実が襲いかかる。普段、料理をするのが好きな人でも、この怠惰な時間を自ら蹴破り、台所に立つには、それなりの気合が必要となる。
このまま怠惰に飲み込まれたい。
飲み込まれたまま、誰かの作ってくれたご飯を食べて、誰かが皿を洗い、誰かが風呂を入れ、それにザブンと入って、風呂から上がって、そのままダラダラ夜ふかしして、気がついたら眠っていたい。
今日のご飯、という現実の言葉を、鼓膜に反響させながらも、思い描く理想の怠惰時間が、瞼の裏に去来する。
一瞬思う、
(ピザでもとろうか)
きっと、子どもたちは盛り上がるだろう。しかし、家族全員を満腹にさせるには、それなりの値段を覚悟しなければならない。怠惰の維持には意外とお金がかかるのだ。しかも、
(ピザだけだと、ちょっと栄養が偏ってるかなぁ…)
などと、怠惰になりたいくせに、急に家族の健康が気になり出したりする。自分から溢れ出る、家族を想う深い愛情っぷりに一瞬うっとりするも、
(だったら、サラダとか作んないといけないのかなぁ…)
そんなことが頭をよぎった途端、うっとりは一瞬にしてうんざりになる。もう立ち上がるのだって億劫なのに、野菜を切って、水切りするなんて、そんな過酷な労働は出来ない。
いけない、いけないと思いながら、大きなため息が出てしまうのだ。このため息に、
あぁ、面倒くさいんだろうな、
と察した家族が何かを言葉に出す時、気をつけなければならないのが、
「カレーでいいよ」
などの「〇〇でいいよ」という言葉である。せめて「カレーがいい」と言ってくれさえすれば、なんとか自分の愛情に薪をくべられるものなのだが、
「で、いいよ」
では、逆に体がソファーにめり込んでいくのだ。
しかし、刻々と時間が過ぎる。
喉から手が出るほどほしい、三食昼寝付きが、こういう時に、叶えられた試しがない。
チェ・ゲバラやジャンヌ・ダルクが革命に乗り出したような荒ぶる気持ちで、キッチンに向かわねばならない。
食材がないなら、何と外に買いに行かなければならないのだ。
1999年に公開されたミラ・ジョボヴィッチ主演の映画、ジャンヌ・ダルクのように
「フォローミー!」
と叫んだところで、家族が立ち上がってくれる気配はない。
あぁ、家族よ、今こそ立ち上がってほしいのに…。無念である。
世間は大型連休に突入した。
昨年に引き続き、外出は控えてほしいと、お上からのお達しが来ている。普段なら、外食したり、お出かけしたりして、家族でのイレギュラーな時間を楽しむところなのだろうが、おうち時間なるものを楽しまざるをえない。
今、日本には、巣食った怠惰時間をなんとか蹴破ってキッチンに立ち向かうチェ・ゲバラやジャンヌ・ダルクが多くいらっしゃることだろう。
あなた達は勇者だ!
家族の腹を満たすために
その身を投げ打つ勇者なのだ!
「そんなことを言って励ましてくれなくていいから、代わりになんか作って」
そんな声が聞こえてきそうなので、そろそろ兵を引き上げようと思う。
お読み頂き、本当に有難うございました!