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急須に窮す

 私はかつて、急須に窮す日々を送っていた。
 なぜ、あんなに急須というものは割れやすいのだろう。
 生活に馴染み、日々を共に過ごしている急須は、なぜか突然注ぎ口が欠け、蓋が割れ、持ち手が欠ける。そのたびに、心に大きな衝撃が走り、自分の不注意を責め、精神的に弱っているときには、うっすら涙さえ浮かべることもある。

 あのどっしりとした見た目に反し、急須は実に繊細な瀬戸物だ。

 某通販雑誌で、高級な急須を見かけた。
 その雑誌は、こだわりのある品揃えで、時折、芸能人や文化人がCMで、掃除機や枕などを薦めている。
 生活が豊かになることを目指した、意識の高い通販雑誌だ。そこで見かけた急須の謳い文句は、

《最後の一滴まで注ぎきれる急須》

 というものであった。
 お茶は、最後の一滴をゴールデンドロップといい、そこには、お茶の旨味甘み渋みの一番いいところが凝縮されていると言われている。その一滴を逃さない、と謳っているのである。
 お値段もなかなかな物ではあったが、手が出ないほどの値段ではない。究極のゴールデンドロップのためには、惜しくない値段とも言える。
 だが、何度も言うが、とにかく急須というものは割れやすい。

 用心して扱えばいいじゃないか。
 そんな声が聞こえてきそうだが、毎日のことなのだ。最初のうちは、丁寧に扱うかもしれないが、急須ひとつに、蝶よ花よと、ちやほやしていられない。毎日毎日お茶を淹れ、洗ったりしているうちに、急須というものは、あっという間に日常に溶け込んでしまうものなのだ。

 せっかく気合を入れて買った急須が、ふとした瞬間に、欠けたり割れたりしたら、悲しい。何かが壊れるということは、思いの外、精神的ダメージが大きいものだ。

 私は恐らくこれまで、四つほどの急須を割り、そのたびに衝撃を受けてきた。今の急須になってから数年経つので、それをもとに暗算してみると、大体、四年に一度程度の割合で割っている計算になった。
 子供にとっての四年は長く感じるのかもしれないが、大人にとっての四年はあっという間だ。新しい急須を買いたいと夫に報告すると、

「えぇ! また、割ったの!?」

 と言われる。四年前なんて、もう先週レベルの認識なのだ。
 この、「また」という一言も、自分の出来の悪さを強調されているようでつらい。「また」が脳内でリフレインされる度に、心はすんなりと自己否定へと向かってしまう。

 こんなに急須を割るなんて、私はなんてダメ人間なんだ!

 大袈裟に思い始め、気がついたら、
 こんな役立たずが、生きていていいのだろうか……と、途方に暮れ始める。急須を割っただけで、なぜか、命すら危うい状態になってしまうのだ。

 そんな私が某通販雑誌の高級急須を買って割った日には、その瞬間に心臓麻痺を起こし、あの世に召されるかもしれない。

 召されたところで、社会的影響のない身分ではあるが、死因が《急須が割れたことによるショック死》では三途の川を渡り終え、閻魔様の前でなんて申し開きしたらいいかわからない。
 閻魔様も、私にまつわる書類を見て、

 急須を割ったことによるショック死。

 などと書かれていたら、百戦錬磨の閻魔様も戸惑いを隠しきれないだろう。

 随分昔のことになるが、ラジオで、生前の永六輔氏が、こんな話をしていたのを聞いたことがある。
 妻の昌子まさこさんが、不注意で高級なお皿を割ってしまった。
 そのお皿が惜しくて、思わず文句を言おうとしたら、

「さすが、良いお皿は、割れても良い音がするのね!」

 昌子さんがそう言ったそうだ。その一言に思わず感心して、あの多弁な永六輔も、何も言い返せなかったと話していた。

 割れてしまったものを瞬時に手放し、思いを残さず見送る潔さ。割ってしまった事実を自己否定に結び付けない機転の良さ。心に負を残さず、自分の機嫌が取れる人が羨ましい。こういう人は、閻魔様と話をしても爽やかに対応して、閻魔様に気に入られるんだろうな、と思ってしまう。

 それに引き換え、私という人間は閻魔様を戸惑わせるばかりでどうしようもない。お忙しい閻魔様にご迷惑はかけられないので、某通販雑誌の高級急須の購入は諦めることにした。

 そんな私が今使っている急須は、トライタンという素材の、割れない急須である。お茶好きならば、瀬戸物の急須で淹れたいところではあるが、割れない安心感は、何者にも代えがたい。

 そんな安心感に浸っていた頃、母のところに顔を出した。
「お茶淹れるわね」
 母がポットからじょーっとお湯を出し、急須に注いだ。蓋を閉めるのかと思いきや、そのまま、チョロチョロ湯呑にお茶を注ぎ始めた。

「あれ? お母さん、蓋は?」
 と聞くと、へへへへ、と笑ってごまかす。
 私の母もなかなかの急須クラッシャーだ。会うたびに、急須に何かが起こっている。これまで母娘で、随分多くの急須を葬ってきた。殺し屋だったら、なかなかのやり手である。

 母にこれ以上、罪を重ねさせるわけにはいかない。
 そう思いたち、我が家で愛用中のトライタン急須をプレゼントしようと、
ネットで検索し、買い物かごに入れた。
 しかし、ここで私の頭に不安がよぎった。

 トライタンの急須は軽い。とても軽い。
 幾度となく急須を葬ってきた母の勢いに、軽量のトライタンは勝てるだろうか。勢い余って、蓋がどこかへ飛んでいきそうである。
 早々に急須の蓋を無くし、私にそれを指摘され、へへへへ、と笑ってごまかす母の姿が、ありありと目に浮かぶ。

 しかし、蓋のない急須は危ない。
 うっかり手を滑らせ、蓋がなかったせいで大やけど……なんて可能性だってある。私はためらいつつも購入ボタンをクリックし、母にトライタンの急須を買った。

 おかげさまで、それから三年経った今も、母は蓋を無くすことなく割れない急須を使い続け、私も閻魔様のご厄介にならずに、今日まで生きながらえている。めでたしめでたし。




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