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ああ、鉄筋コンクリートの建物って、なんて楽なんだろう。 現在の住まいに越してきたとき、私はそう思った。 それまでは、都内某市に16年間暮らしていたのだが、そこは木造二階建てのアパートだったからだ。 元々、夫はあまり住処こだわりがなく、通勤にかかる時間が30分以内であれば、贅沢は言わない。というタイプだ。 私も大きな出窓が欲しいとか、ロフトがいいとか、特に希望もなく、心霊現象さえなければいいや、くらいにしか考えていなかった。 何のこだわりももたずに、《縁》だけで
三十代になった頃から、歯医者さんで、 「歯ぎしりしてませんか?」 と、訊かれるようになった。 これまで、家族からそういった指摘を受けたことがないので、 「いいえ」 と答えたが、歯が欠けてきたりヒビが入ったりしているので、噛みしめ癖があるのではないかと言われてしまった。 鏡に近づいて見てみると、前歯が少しばかり擦り減っているのがわかる。 診察を受けて驚いたのは、 「普通は口を閉じているときは、上下の歯の隙間は空いているものなんですよ」 歯科医師から、そう教えても
その日、私はショッピングカートをゴロゴロ引っ張っていた。 月に2回ほど開催されるワイン2割引の日を目当てに、近所のスーパーマーケットに、買い物に来ていたのだ。 会計を終え、カートに戦利品のワインをつめていると、真横から独特な匂いが漂ってきた。 ポマードだろうか。 スーパーマーケットという場にそぐわない重たい独特な匂いに、思わず目をやる。 するとそこには、スーツをビシッと着て、頭をビタッとなでつけた若い男が、買い物を終えて袋詰めをしていた。 ほう。 何に感
寄る年波、という言葉がある。 幾重にも波が寄せる様子を、年を重ねていくことに例えている言葉だ。 確かに、波打ち際の海面を見ると、目尻に刻まれた皺のようでもある。 寄せる波、返す波。 波はきちんと返ってきてくれるのに、若さというものは、そう簡単には返ってこない。筋トレ、ダイエット、化粧、整形、ありとあらゆる手を使って、押し寄せる波を自力で返すしかない。 私は体格に恵まれ過ぎていることもあって、顔に一切のやつれがない。そのお陰か、顔全体の皺は少ないような気がする。
かつてNHKの朝の連続テレビ小説で、「おんなは度胸」という作品があった。最近つくづく思うのだが、度胸と同じくらい、股関節は大事だ。 40代も中盤になってくると、生理前後の体調不良を感じることが増えてくる。何となく調子が悪いという感覚は、積もり積もると、生活に影響が出てくるものだ。 正々堂々休んでしまうのも手なのだが、洗濯物やホコリ、髪くずを見て見ぬ振りでやり過ごすのは、なかなか忍耐力がいる。蓄積されていく家事を横目で見ていると、寝ていても気持ちがちっとも休まらない。
「そろそろ靴を買い替えたらどう?」 夫が通勤時に履いていく靴が、どうにもくたびれてきた。一年近く前から、そろそろ靴を買い替えようと、夫はネットで検索し、出掛けたときに靴屋を見かけると、良さそうな靴はないか、眺めてはいたようだが、どうも、これ、といったものが見つからないらしい。 夫がここまで同じ靴を履きつぶすのは、初めてかもしれない。夫は靴にはうるさいほうで、あれこれ、横文字のメーカー名を口にしては、ここのは靴底が張り替えられるんだ、とか、こういった革靴は足になじんで
私たち夫婦は、とにかく食べ物が好きだ。 それもあって、食事中や晩酌中には、飲食店の厨房に密着した動画をよく見ている。 どこのお店も本当に手際がいい。仕込み、調理、提供で大わらわなはずなのに、厨房がピカピカだったりすると、見ていて胸のすくような気持ちになる。 その日見ていたのは、若い店主が営むお好み焼き屋さんの動画だった。 ジュージュー焼かれる、美味しそうなお好み焼き。その魅惑的な映像を眺めていると、夕飯を食べたばかりのお腹が、きゅるきゅる音を立てた。 どうや
そろそろ新生活に向けての準備を始める人も多かろうと思う。 人生の様々な節目に、引っ越しはつきものだ。新生活に向けて、家電を準備したり、部屋を探したりと、芽吹き時というのはどうにも落ち着かない。 新生活というものは何もかもが新しい。 新しく住む町に慣れるまでは、目に映る全てのものが自分に抗っているように感じてしまうものだ。 数年前、埼玉に引っ越すことが決まったとき、東京生まれ東京育ちの私は、故郷から離れる切なさを感じていた。でも、なんだかんだ言って埼玉は東京から近
「ねぇ、これ買ってみようと思うんだけど、どうかな?」 夫が私に買い物の相談をしてきた。わざわざ訊くのだから値段が張るものなのだろう。そう思い、身構えながらパソコンのモニタを覗くと、そこには小さなボトルが、ちょこんと映し出されていた。 「なんだい、これは」 「導入化粧水だって」 「導入……?」 私は思わず渋い顔をした。 正直、私はお肌のケアというものに、かなり無頓着のほうだ。牛乳石鹸でバシャッと洗顔したあとはその辺の油でも塗り込んでおけば充分だと思っている。 薬
2024年7月3日。いよいよ渋沢栄一が1万円札の顔になる。 長いこと拝んできた諭吉の顔も見納めと思うと、なんとなく寂しい気持ちになる。 福沢諭吉は40年もの長きにわたって、1万円札の顔を勤めてきたわけだが、その前、元祖1万円札の顔といえば、聖徳太子だった。 聖徳太子は10人の人間が同時に話す言葉を、聞き取ることができたと伝えられている。最強のヒアリング力を誇る聖徳太子だが、我が夫も、太子様に負けず劣らずの耳を持っている。 私は同時にいくつもの音を聞くのが苦痛な
こうしてあれこれエッセイやら小説などを書いていると、世の中には才能あふれる人がたくさんいるという事実に直面することばかりだ。 上を見たらキリがない。 わかってはいるものの、ついつい上を見て、首が抜けそうになる。 自分には書けないような、素敵な文体を見ると、 「あー、すごい。うまいなぁ」 などと思う。 文体だけではない。 ミステリー、ファンタジー、SF、時代もの、怪奇もの、青春もの。そんな数々のジャンルを書ける人が、プロだけでなく、アマチュアの書き手にも多
今年もクリスマスが終わった。 長年、夫婦二人でクリスマスを過ごしていると、余程のご馳走でも揃わない限り、そうそう盛り上がるものではない。 私はワインが大好きなので、クリスマスになると決まって、ワインを水のように飲み、パスタを食らい、チキンをかじり、またワインを水のように飲むという、イエスが見たら呆れるような、飽食のクリスマスを送っていた。 しかし近頃、寄る年波か、ご馳走を食べてもいい日に、何を食べたらいいのかわからない、という情けない状況に陥っている。 元々、大
「そういえば、『ムーチョ』って、スペイン語で『もっと』っていう意味らしいよ」 何が「そういえば」だったのかは忘れたが、夫にそんな話をしながら、私は鍋物をつつき、ビールを飲んでいた。他愛ない、夕飯時の夫婦の会話である。 夫は妻が唐突に披露した豆知識に、これといった返答をするでもなく、ただ一言、 「へぇ」 と言って目を輝かせていた。 思えば私は、これまでスペインと縁もゆかりもない生活をしてきた。 マドリードに行ったこともなければ、スペイン人の知り合いもいない。
先日、服を新調した。私の横に広がったボディを少しでも小さく見せようと企んで購入した紺色のカーディガンだ。それを部屋の鴨居にかけていたら、いつの間にやら夫が着ていた。 「ほら、見て」 夫がくるりと一周回る。 残念ながら、私より似合っている。 細身の人は何を着ても大概似合う。悔しいが、ここで不満を言っても仕方がないので、私は正直に褒めた。 「あら、ステキよ」 すると夫は、間髪入れずにこう訊き返したのだ。 「え? スケキヨ?」 唐突にやってくる犬神家の気配。 夫