とんだ勘違い


ちょっと恥ずかしいのだけれど、だいぶ長いこと、脱サラは脱サラ金の略だと思い込んでいた。今でいう消費者金融のことである。

70年代くらいから多重債務で自殺者の増加が社会問題となっていて、サラ金のイメージは悪かった。周りの大人の刷り込みもあって、サラ金といえば地獄。兎にも角にも怖いものだった。

あれは中学生の時だったと思う。夕方のニュース番組の特集で、避暑地にオープンしたてのペンションのオーナー夫婦が紹介されていた。三十代半ばぐらいではなかったろうか。

「なんと、脱サラされて、このペンションをオープンされたんですよね。簡単な道のりではなかったと思いますがいかがでしょう」とリポーターが夫婦にマイクを向けた。

「はい。本当に大変でした。でも頑張って、やっとここまでたどり着きました!」


緊張した様子ながらも、愛想よく笑顔で答える夫婦。

おお! 私は画面に釘付けになった。

脱サラした人を見るのは初めてだった。地獄からの生還者だ。
リポーターがオーナー夫婦にいろいろな質問を投げかけながら、ペンション内を紹介して回る。

木で作られた、陽当たりのいい洒落たペンション。屈託のない笑顔のさわやか夫婦。

脱サラが彼らにこれほどの開放感を与え、笑顔にしているのだ。私は感動すら覚えた。

地獄を見た人が、こんなふうに笑えるなんて! 人ってスバラシイ! 脱サラ、おめでとう! 

私は心の中で、惜しみない拍手を彼らに送った。

それから随分あとで脱サラがなんたるかを知ったとき、私は地獄の赤鬼ぐらいに赤面し、あの笑顔にあふれた夫婦を思い出した。

脱サラ。脱サラリーマン。

今や、朝も夜も電車に揺られる会社員の私は、あの夫婦のキラキラを思い出して、ちょっぴりその言葉に憧れている。

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