気の向くまま読書note 女二人のニューギニア
久しぶりの読書noteです。
(実は常にあれこれ本は読んでいるのですが、感想を書きとめるタイミングを逃してしまっていました(汗)これからおいおい書いていきたいと思います)
あるとき、たまたま同じ日に好きな作家さんが二人、この本を取り上げていて興味を持ちました。
有吉佐和子さんの「女二人のニューギニア」
作家の有吉佐和子さんが、お友達の人類学者・畑中幸子さんにフィールドワークで滞在中のニューギニアに誘われ、訪れたときの命がけの珍道中を描いたエッセイです。
有吉佐和子さんの著作を読むのは実ははじめて。
「恍惚の人」や「複合汚染」など、社会に切り込み深く掘り下げる社会派の作家さんというイメージでしたが、こちらは開いた口がふさがらない、笑いと驚きに満ちたエッセイでした。
(初・有吉佐和子がこれでいいのか?!)
時は1968年ーー今から55年以上前、戦争の爪痕もまだ残っているであろう頃の話です。ニューギニアもまだまだ近代への黎明期といえるその時代、多くの人類学者が研究のため訪れていたようです。
当然ながら道路も舗装されていなければ、電気や水道などインフラも整っていない。ジープだって通れるはずもないそんな場所に、有吉さんも軽い気持ちで訪れてしまったことを激しく後悔することになります。
ニューギニアの抗えるはずもない風土や生活様式に翻弄され、キョドキョドする有吉さん。そんなのなんのその、果敢に突き進む畑中さんの豪放磊落な人柄との対比が面白い。
それにしても畑中さん、大胆で堂々としていて、そしてあっけらかんとしていて
ほれぼれするばかり!
その胆力、大雑把さは辺境の地で生き抜く中で培われたのでしょうか・・・
それとももともと?とにかく頼もしい。
有吉さんのお尻を叩きまくる畑中さん。
ちなみに、日本では二人のキャラが真逆になるらしい。そこもまた面白い。
それでも、有吉さんもパンツを縫うという役割を見つけ、
人々と関わりあい、中身の濃い(?)ニューギニアライフを送ります。
読み進める中で、どうしても気になってしまうのが
「で、有吉さん、どうやって日本に帰るのさ?」ということ。
行きですでにバーガラップ(こわれる)してまともに歩けなくなり
帰るに帰れない状態なのに・・・
が、ある日突然怒涛の展開が起き、帰還することができたのです!
まさに奇跡、宝くじクラスとしかいいようのない幸運。
そんなのあり?まさに小説より奇なり。
しかし、奇跡的に日本に戻った有吉さん、帰国後また別の意味で当たりを引くのですが(ぎょえ〜〜〜!)
とにかく戻ってこれてよかった、生きていてよかった、それに尽きます(笑)
ほんと、よかった!!
話は変わって。
わたしにとってニューギニアといえば、子どもの頃日曜の夜にやっていたネイチャー系の番組。そしてなんといっても漫画家・諸星大二郎氏の代表作のひとつ、「マッドメン」です
有吉さんがニューギニアに訪れたのが1968年。
マッドメン、初出は1975年。かの国がパプアニューギニアとして独立したのも1975年。
女二人のニューギニアの文中に「日本に帰ってからパプア地区の開発をめぐって、日本でも狙いをつけていることを知って何かシシミンたちの哀れさを思った」という表記がありますが、
マッドメンでも終盤、石油の採掘権を日本の企業が獲得したなんていう描写があり、有吉さんも複雑な想いを抱いた近代化の手が着実に入ったことを感じさせます(マッドメンは漫画なのでフィクションかも)
諸星大二郎氏は執筆当時はパプアニューギニアに訪れたことはなく、初来訪はなんと掲載から40年経った2014年。
マッドメンのムックにその貴重な滞在記が掲載されていました。
これがすごく興味深い!
女二人のニューギニアと重ねてみるとまた新たな発見があります。
諸星一行の滞在記を読むと、都市部には立派なホテルが建ち移動手段なども整い、発展のほどがわかります。
それでもジャングルの奥地での過酷な取材の連続に、取材班一行へとへとになるのですが(諸星氏が一番元気なのがさすが!)
でも、それでも有吉さんたちに比べたら全然ラクじゃないか!!!
どう読んでも、2014年に取材旅行だってじゅうぶん過酷なのですが、
女二人のニューギニアを読んでから見ると、ずいぶんラクになっているのがわかります(訪れた地域が微妙に違うので一概には比べられないのかもしれませんが)
有吉さんたちが過ごした日々がどれだけクレージーだったのか
ここで理解がさらに深まりました・・・
諸星一行の滞在記の写真で見るように、ネイティブたちは今も仮面や衣装を身につけ化粧して歌ったり踊ったりするようですが、それはあくまでも観光客向け。
普段は洋服で暮らしているのだそうです。
2014年、パプアニューギニアでもすでに多くの人が携帯を所持しているのだとか。奥地にも鉄塔が建ち、電波が届く様子にはとても驚きました。
(2024年の今はみんなスマホを持っているかもしれませんね)
下半身を覆っていた腰蓑やひょうたんを脱ぎ捨て、有吉さんが塗ったパンツを履きだしたところ、突然偉ぶって他の者に威張ったり横柄な態度をとるようになったネイティブたち。
はじめて携帯を持ったとき、彼らは果たしてどう感じてどんな態度をとったのでしょうか。
話を女二人のニューギニアに戻して。
畑中さんの研究するフィールド(分野)についてイチ作家が物知り顔で書くことに躊躇いがある、ということで
女二人のニューギニアは主に畑中さんと有吉さん二人と、ポリスや下働きのネイティブなどの関わりに焦点を置いて書かれています。
有吉さんいわく「私がニューギニアで再発見した畑中幸子さんのことは何かに書きとめておきたかった」
そう、この本の主役はなんといっても畑中さん。
でも、文中に垣間見る、
この時代だからこそのネイティブたちの暮らしぶりやニューギニアの空気感は作家である有吉さんの視点があってこそ描ききれたものだと思います。
(逆に専門の学者さんだったら切り取れなかった世界かも)
ちなみに、畑中幸子さんは90を過ぎて今もお元気のようです。
当時の日々を、そして今の変化したパプアニューギニアについて今どう感じているのでしょうか。