多胡修繕店【小説】

空を、雲が、覆っている。

指先の感覚が無くなるほど、寒い。
そして、上之ヶ原駅のホームには、相変わらず全く人気がない。
簡単な屋根と壊れかけた木のベンチがあり、そこにオレンジと深緑のスケッチブックを両手で抱えて、ぼぅっと座っている女がいる。
久留米桂である。
黒髪のワンレングスに色白細身、ロングブーツにジーパン、黒のタートルのセーターにアイスブルーグレーのダウンを上から羽織っている。田舎駅で見るにはなかなかに見目好いタイプの女だ。
彼女がスケッチブックを開く。数頁に渡る洋服のデザイン画はどれも華やかで、美しい。
しかし、彼女の眉間には皺だ。
思い出されるのは、かの有名な西葛井國彦審査員長との会話である。
『君ねぇ、久留米君』
『はい』
『これ、何が言いたいの?』
『何がってテーマに添って作ったつもりですけど』
『君の作品は確かに奇抜で新しいけど、この作品からテーマの『夢』なんて微塵も感じないんだなぁ、僕は』
『はぁ』
『君は何を考えながらこれを作ったの?』
『ちゃんと考えて作りましたよ』
『君の夢のことだけを?』
『…』
『装苑大賞とりたいんでしょう?』
『それはだって、当たり前じゃないですか。みんな狙ってるから作品出してるんじゃないですか』
『わかりやすすぎて次点取らせる気にもならないよ』
公開処刑である。
残る憤りは行き場を失い、未だ手の中だ。
おかげで、彼女は手元のデザイン画をぐしゃぐしゃに握り潰すことになった。
収まりきれずに零れる嗚咽に自分自身で嫌気がさし始めている。

青い電車がホームにゆっくり入って来た。

目の前の青さを己の青さに重ねて苦い思いが込み上げる。ぐしゃぐしゃのデザイン画には涙が落ち続ける。
青い電車からはたった一人しか降りて来なかったが、桂は気付かないまま、下を向いていた。降りて来たのは肩までの黒髪がパーマでくるくるしている長身の男で、右手に提げたスーパーの白いビニール袋からは長葱の緑の頭が何本か飛び出していた。着ている濃いペールグリーンのダウンジャケットとニット帽が長葱の頭によく合っていた。
男は、ベンチに座る桂に気付いて、驚きながら近付いて来た。
「いつこっち帰ってきたんだよ、久留米」
声を掛けられた側は顔を上げて真っ赤な目で男を睨み、鼻声で答える。
「もう、無視してくれりゃいいのに」
久留米の手元のデザイン画を眺めて何があったかを悟ったような顔をした男は、桂のよく見知った人物であった。
多胡和朗、桂の通う服飾専門学校の先輩であり、地元の高校の先輩である。
「何してんだよ、久留米」
「泣いてんですよ、見りゃわかるでしょ。多胡先輩は何してたんですか?平日ですよ」
「買い物行ってた。今日、鍋にすんだ」
多胡はスーパーの袋をガサガサと持ち替えたりしながら、ジーンズの後ろポケットから白いハンカチを取り出し、桂に差し出した。
ハンカチは襞だらけでK・Tの文字が黒い糸で下手に刺繍されている。
「何この汚いハンカチ!刺繍も汚い!仮にも装華服飾専門の首席卒業生でしょ!?」
「いいから拭けって。みっともない顔になってんぞ」
「うるさいな」
桂はハンカチで顔を覆い、涙を拭いた。
「このハンカチ、線香くさい!」
「線香じゃねぇよ、白檀だよ」
「白檀てお爺さんじゃあるまいし」
「爺さんじゃねぇよ、ばぁちゃんだよ」
「は?」
「久留米、いつまでここにいんの?」
「ほっといて下さいよ、もう」
「鶏好き?」
「は?」
「うちの鶏鍋、美味いよ」

空が暮れ始めている。

多胡に連れられてきた店には、古い木製の看板が掛かっていた。
看板には『多胡修繕店』と書かれている。
桂がそれを充血した目で見上げる中、多胡は店のガラス引き戸を開けて「ただいまー」と大声で言いながら、中に入った。
多胡の後ろから桂が中に入る。
店内には受付のような台と古いレジがあった。奥にはビニールカバーのかかった服が何着も吊り下がっていた。受付のところに『刺繍入りのハンカチ承ります。1枚525円』の貼紙がしてある。その貼紙を見て、桂は呟くように
「これ…」
と言った。
気付かず、多胡は桂に
「何ぼぅっとしてんの、上がれよ」
と声をかける。
「あ、お邪魔します」
急かされてちょっと足をもつれさせながらも桂は靴を脱いだ。靴下を履いていても、板の間の廊下が足に冷たい。
廊下を入ってすぐ左手側にこたつのあるお茶の間があった。こたつには猫背で白髪の老女が入っていて、テレビを観ながら皺の刻まれた手で刺繍をしている。側には食べかけの蜜柑があった。お茶の間はかすかに白檀の香と蜜柑の香がした。
「あ、ばぁちゃん、また蜜柑食べたのかよ。腹減らなくなるじゃん」
「かずの鍋なら入るわよ。あら」
老女は桂に気付き、微笑んだ。
「今日は。多胡先輩にはいつもお世話になってます。久留米です」
「へぇ。かずにこんな素敵な女の子、お世話する甲斐性あったの。いらっしゃい。久留米、何ちゃん?」
多胡はお茶の間のすぐ横の台所で鍋の準備をしながら、
「桂。久留米桂。高校と専門の時の後輩。俺が連れて来た」
と答えた。桂は多胡の手伝いをしようと、台所の方へ行ったが、こたつで待っているようにと促されて、老女の向かいに座った。
「桂ちゃん。お蜜柑食べる?これ、うちの庭になってるの。今年は甘かったの。美味しいのよ」
「だぁから、もうすぐ鍋だから、腹減らしとけってば」
差し出された蜜柑の鮮やかな橙色にそそられた桂だが、多胡の声をきいて辞退した。
「あ、だそうなので」
「かずの鶏団子鍋、自慢なのよ。美味しく食べてもらいたいのね、きっと。じゃあお蜜柑はお土産にしましょう。あたしはね、多胡ホシ子、多胡和朗の祖母でございます。よろしくね」
「あ、こちらこそ」
ホシ子は桂に微笑むと、再び刺繍に取り掛かった。それをじっと見て、桂はまた小さく声を上げる。
「あの、それ」
「タコカズー!すいませーん!」
呟きは小さな女の子の大声に掻き消された。店側からの呼び声だ。
「かず、かわいいお客さんよ」
「はいはい」
いつの間にか白いエプロン姿になっていた多胡は手を前で拭きながら、店側に出て行った。桂は気になって、廊下に顔を出し、様子を伺った。
受付のところでは、受付台くらいの身長の女の子がそわそわしていた。多胡が出て来たのを見て、嬉しそうに声を上げる。
「タコカズ!!出来た?出来た?取りに来た!」
「出来てる出来てる。見たい?」
「見たい!ちょーだい!」
「おっと。その前にお金ー」
「タコカズはゴーツクバリだな、はい」
「難しいこと知ってんな、チカちゃん。じゃ、ハンカチ、はい 」
桂は多胡の後ろから店先に顔を出し、そのやり取りを眺めていた。
チカと呼ばれたその子は、多胡から渡された薄いピンク色のラシャ紙に包まれていた白いハンカチを取り出し、広げている。
ハンカチには、『H・M』というイニシャルと小さな赤いばらの花の刺繍が施されていた。
「きれい。ありがとう!タコカズ!ママにプレゼントするんだ!」
「おめでとうって言っといてな。あ、これもおまけでつけちゃう」
多胡はそう言ってから、一旦奥に引っ込んで、また戻ってきた。右手には小振りの蜜柑が5つ、左手には紙袋だ。
「じゃ、紙袋に入れるなー。ほい、どうぞ」
「ありがとう」
チカは、多胡の後ろを覗いて面白そうに尋ねる。
「ねぇ、タコカズの後ろにいる人、お嫁さん?」
口を開こうとした多胡を遮るようにして、いつの間にか後ろに立っていた桂が答えた。
「違うよ。弟子よ、弟子」
「ふーん。タコカズ、すごいんだねぇ。タコカズ、刺繍すごい上手いもんね!うちのクラスの女子みんなタコカズの刺繍したハンカチ持ってるもん」
桂が尋ねる。
「流行ってるの?」
「うん!」
「ふぅん」
多胡は照れたように
「チカちゃん、もう帰りな。暗くなったら危ないから。気をつけて帰れよ」
と促した。
「うん!」
満面の笑顔で手を振って立ち去るチカに、多胡も桂も手を振り返した。
チカの姿が見えなくなってから、多胡は手を降ろし、奥へ戻ろうとしたが、桂はそこを動かず、急に怒った口調で多胡を見ずに言った。
「先輩、私ずっと知りたかったんです」
「うん?」
「首席で卒業して、才能あるって騒がれて、装苑大賞でグランプリとって。プロの道は完全な開けてたのに、何で田舎戻ってきて家業手伝ったりしてんのかなって。頭おかしいんじゃねーの、くらい思ってました、なんなら」
「うん」
「でも、今日何かちょっとわかった気がします」
「お前、装苑大賞、取り損ねたんだろ」
「…こっちの話はいいんです」
「時期考えりゃわかるよ、卒業だしな。お前の噂はよく聞いてたし。有名よ?次期首席だって」
「ほっといてください。赤っ恥ですよ」
「俺はさ、この家に生まれて、ばぁちゃんに育てられて、ずっと考えてただけ。どうしたらばぁちゃんを助けられるかを。究極のばばコンよ?」
「見てたらわかります」
「でもさ、本当は装苑大賞に作品出すとき、迷ってたんだ。やっぱり周りに才能あるとかちやほやされると舞い上がっちゃうんだな、俺も。だけどちょうどばぁちゃんが倒れて。まぁ大丈夫だったけど。俺には母さんもいないし、今までずっと、ばぁちゃんはいつか死んじゃうんだって気持ちが周りにいる人より強かったし、それがあってからはもしかしなくてもいつ死んでもおかしくないな、って思ったら、何だかいてもたってもいらんなくなって」
ホシの名の付く当の本人は多胡が来ないことを確かめながら、こっそり蜜柑を食べているのだが、多胡はそんなことは知らずにお茶の間側に目をやりながら、ジーンズのうしろポケットからハンカチを取り出した。
「これ、俺の初めての作品」
「え!?」
「小学生の時の。ばぁちゃんが倒れた時さ、もう最期だと思ったのかいつももってる巾着袋からこれが出て来てさ。こんなの後生大事に持ってんなよ、とか思ったけど、これ作った時のこととか思い出して。ばぁちゃんの手伝い出来るようにって、喜ぶ顔が見たくて、針で指刺しながら完成させたんだ。って、泣いてんの?」
「…泣いてませんよ」
「目、赤いけど」
「泣いてませんよ!ハンカチ貸してください」
多胡は笑って、ハンカチを差し出しながら、
「久留米、鷄団子係な。俺は鍋の総監督。食べながら話そうよ。腹減ったろ」
と言った。
お茶の間ではホシ子が3つめの蜜柑に取り掛かろうとしていた。蜜柑に手をかけながら、ふと窓を見る。
「あら、きれいねぇ」

雪が降りはじめた。

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しろくまʕ ・ω・ )はなまめとわし(*´ω`*)ヨシコンヌがお伝えしたい「かわいい」「おいしい」「たのしい」「愛しい」「すごい」ものについて、書いています。読んでくださってありがとうございます!