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画家の心 美の追求 第75回「レンブラント・ファン・レイン ゼウクシスとしての自画像 1669年」

 レンブラントは1606年オランダに生まれ、同じオランダ人のフェルメール(第74回)より26歳年上になるが、その名声は圧倒的にレンブラントにあった。

模写「ゼウシウスとしての自画像

 レンブラントは「光と影の画家」、または「光の魔術師」と呼ばれるほど絵具の使い方や絵の構成などに優れ、バロック時代を代表する大天才画家にひとりだ。

 彼は若くして名声を得ていたが、それを決定づけたのは「テュルフ博士の解剖学講座 1632年(レンブラント26歳)」だ。テュルフ博士はアムステルダム市長を務めたほどの名士で、彼の講義を聞く人たちは医者の卵ではなく街の名士たちだ。
 今でいうなら東京都知事とその要人たちの集合写真といったところだろう。

 この絵が大いに評価されことからレンブラントの人気は一気に上がり、絵画依頼が殺到し、大金持ちになった。
 そして あの有名な3.6メートル×4.3メートルもある大作「夜景」(別名「フランス・バニング・コック隊長の市警団 1642年(36歳)」が作成される。レンブラントは精魂を込めてこの作品を完成させ、最高の出来だと自負していた。ところがこの絵は不興を受ける。隊長と副長以外は存在も容姿もよくわからない暗闇に沈んでいる。これではお金を出した他のメンバーから不平が出るのも当たり前。
 すったもんだの挙句、火縄銃手組合の壁に飾れられることになったが、これを境にレンブラントへの絵画の依頼が激減し、浪費癖もあり生活は苦しくなっていく。そのうえ1652年(レンブラント46歳)英蘭戦争が勃発しオランダ経済は不況に陥り、絵の依頼もなくなり、生活は困窮していくが、レンブラントの浪費は続く。

 その挙句に妻サスキア・フォン・アイレンブルフの実家(父はレーワルデン市長を務め程の名士)の金までも食い尽くし、挙句に無一文となる。
 そして、サスキアと我が子を相次いで病気で亡くす。レンブラントは妻と子をとても愛していたようだ。

 このような苦境の中でもレンブラントは細々とであったが画業を続け、初期の滑らかな筆使いから、絵具を盛り上げる荒々しいタッチへと変わっていき、鑑賞者に大きなインパクトを与えた。

 さて今回の自画像だが、にんまりと笑う老人がレンブラントその人だ。過去には老婆だとか、晩年生活の苦しさから気がおかしくなったレンブラントだとの説があったようだが、今ではレンブラントその人だとされている。

 さてもうひとつ不思議なものが描かれている。それは画面の左上方に隠れるようにして顔半分と体半分の男が突っ立っている。暗くて判別しずらいのだが、なんだか苦い顔をしている。
 さて、この人物は誰だろうか。そして画面中央の老いたレンブラントとの関係はどうなっているのだろうか。

 この男はタイトルにもなっているゼウクシスその人だろう。
 この当時、ゼウクシスの研究が進み、紀元前5世紀に実在した画家で、写実性、細密さ、斬新な主題、独特の様式であったと知られるようになる。彼は光と陰を操り質感豊かな表現を実現し、これまでの絵画技法に変化をもたらした、とされる画家で、絵の神様とされていた。しかし、残念なことにゼウクシスの絵は現存していないという。

 63歳になり死を直前にしたレンブラントがこの絵に込めた想いとは何だったのろうか。

 背が高くすっくと立つ苦い顔をした絵の神様ゼウクシス。それに対して腰が曲がり、右手に杖のようなものを持った年老いた小柄なレンブラント。だがレンブラントはこちらに向かって不敵に笑っている。
 そう、レンブラントは絵の神ゼウクシスを超え、己が神だと断じた瞬間ではないだろうか。右手に持つ杖は、王の権威を表す王仗かもしれない。同時期に描かれた自画像に光背を背負うものもある。

 これだけを見ればレンブラントという人はとても尊大で傲慢な性格のように感じる。彼は大天才と呼ばれるほど画力が優れており、それと同時に大きな名声を得た。しかし、この性格のためか友人や知人たちからは敬遠されたのではないだろうか。
 彼は死の直前まで己は天才画家、いや神の化身であると信じていたのだろう。

 合掌。

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