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学芸美術 画家の心 第65回「マリー・ローランサン  マドモアゼル・シャネルの肖像 1923年」

 マリー・ローランサンはピカソやブラックなど革新性を求める新進の画家たちが集まり住んでいた安アパート、ラトー・ラヴォワーク(洗濯船)に同居することを認められた唯一の女性画家だ。

模写「マドモアゼル・シャネルの肖像」

 そして、お金を稼ぐ女性画家としても初めてのひととなる。
 その理由はこの当時はやり始めたアールデコ様式の家に飾るのにちょうど良い大きさと、明るくて品の良い色使い、さらに絵を購入するのに女性の意見が重要視されるようになったからだ。
 女性の力、地位が向上し始めたこととも一致している。

 さて、ピカソやブラック、そして詩人で美術評論家であるアポリネールらはローランサンのどこに革新性を見出したのだろうか。
 余談だが、アポリネールとローランサンは誰もが知る恋人関係にあった。

 ローランサンはデッサン力や構成力に優れていたが、油彩であるにもかかわらずふんわりとしたパステル画を思わせるやさしい色使いで、印象派のタッチとは明らかに異なるが、ピカソたちはそのことだけで洗濯船にローランサンに住んでも良いとOKを出したわけではない。もっと根本的に大きな理由があった。

 先に紹介したベルト・モリゾ(第62回)、メアリー・カサット(第63回)、そしてマリー・ブラックモン(第64回)は女性の三大印象派画家と評されたが、マリー・ローランサンは彼女ら先輩たちとどこが違うのだろうか。

 先の三女性たちは、例えばモリゾはマネを師と仰ぎ、マネのタッチで絵を描いた。カサットはドガに心を奪われ、ブラックモンはドガとマネに認められた。
 すなわち彼女ら三人は、男であるマネやドガのタッチや、男の考え方を真似ただけで、その範疇から逸脱していない画家だとピカソたちは断じたのだ。だから真の革新を求めるピカソたちは、この印象派然とした三女性を洗濯船に招待することはなかったのだ。
 彼女たち三人はたとえ許されたとしても、いかがわしい男どもが屯(たむろ)する洗濯船に出かけていくことはなかっただろうけど。
 
 それとは違って、ローランサンは女性の感覚や発想で、女性的な色遣いをしたことにピカソやブラックたちポスト印象派と呼ばれるひとたちがマリーを認めたのだ。

 ローランサンは次のように言っている。
「自分と同じ時代やそれ以前にも女性の画家はもちろんいますが、彼女たちは男性の真似しかしなかった。わたしは男性的なものについてはおじけづいてしまうけれども、女性的なものについては全く自信があるんです」

 それだけではなく、ローランサンは女性解放運動にも積極的に参加し、ナポレオン・グールゴー男爵夫人に認められ大きな援助を得られたことが、彼女の出世の始まりだった。

 マリー・ローランサンは、女性をコルセットの締め付けから解放したココ・シャネルとも意気投合し、多くの上級社会の婦人たちからも肖像画の注文が殺到することになる。

 すべてが順風満帆であったが、マリーの人間模様は複雑で、アポリネールと別れたのちの恋愛対象は男だけではなく、女性ニコル・グルー とも浮名を流し、彼女自身バイセクシャルとして生きた。
 1954年、ローランサン71歳になるとシュザンヌ・モローを正式に養女とし、そして2年後の1956年、波乱万丈の生涯を終えた。

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