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平成死亡遊戯

人はみな、ある一定の間隔で退行したくなるようにでもなってるんだろうか。

今年で私は30歳になるけど、色んな事の“節目”というのを凄く感じる。
Y2Kが流行したりあゆも宇多田もMISIAも25周年だって。カービィも30歳だし、私が女王を始めてキッカリ5年にもなった。なんだか全部キリの良い数字だから余計にそう思うのかも。

春が来ると、私は今何歳で、今は何年で、どこまでが過去でどこまでが現在かとか、昔好きだったものとか忘れてた事とかをふと思い出したり、色んな世界線が絡まりあって、おもちゃ箱をふいにひっくり返したような切ない気持ちになる。“節目”の今年は結構、いやだいぶ、それが顕著かも。

私の学生時代にお母さんが「それ、私達が若い頃に流行ったのよ〜、ジーパンをイカ焼きみたいに、自分たちでカミソリなんかですぱすぱ切ってさ、ダメージジーンズ作って、お父さんによく怒られたんだよね〜、流行ってまた巡ってくるもんよ〜」って言ってた事の意味がハチャメチャに分かってしまった。当時はふ〜んそうなんだ、程度にしか思わなかったけど。

私たちの中では、その時代では、とても革新的で最先端のものに感じても、実は新しい物って全く無い。過去の様々なルーツやオマージュが重なって重なって、新し〜っぽく感じてる。

人も同じ。

だからこそ私は、昔の私を絶対に忘れたくない。
惨めだった私も、絶望してた私も、理不尽に蹂躙された私も、今年の春までまた連れてこられてよかった、とこの先も思えるようでありたい。

令和に来られなかったあの子達も。

もうメールは届かないし、F5を押しても更新されないし、好きだった雑誌もお店ももうどこにも無いけど、来るとは思ってなかった今日に、連れてこよう。

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