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【大人のひとり暮らし】せっかくのお休みの過ごし方、充実させたい!って思い過ぎて苦しくなってない?


来てくださって、ありがとうございます。
牧ハナコです。


週5日働いて、残りの2日休む。
社会人として大多数の方と同じようなライフサイクルで暮らしている。
『せっかくのお休み、充実した時間にしたい』
『せっかくのお休み、寝て過ごすのはもったいない』
いつもそう感じていて、
”一週間のうち、2日しかないお休み”だもの、なんとしても”いいもの”にしたい!と思っている。

例えば、
しっかり掃除と洗濯をして、気になっていたクローゼットのなかの捨て活。
図書館から借りたレシピ本に載っていた、パウンドケーキを焼く。
ホットヨガで汗をかいて、ごほうびにお気に入りのカフェでチーズケーキ。
ずっとほしいと思っている、小さなカフェテーブルを探しに行く。

つまり、いま私がやりたいと思ってることリストを、
着実にこなしていくような過ごし方。


おうちのなかがすっきりしたり、ケーキが焼けたり、
思っていたとおりに過ごせたら、その日の夜は、
ああ、いい一日にできた。充実してた。
と、ほくほくと眠りにつける。
プランと実行、という気持ちのいいひとセットを、わずかな休日のなかに組み込めた達成感。

ただ、
そういう、
『やりたいと思ってること』っていつも豊富にあるわけじゃないし、『やりたいけど、パワーがない』って日ももちろんある。

そんな日は、だらーっと時間を過ごしてしまって、
夜に『ああ、今日は何もしなかった…どこにも行かなかった…何もなかった…』と、まるで悪いことしたかのような気持ちに。


その思考の巡りについて、少しもやもやするようになってきて。


そんななか、
いろいろと本を読んでいて(特にミニマリスト系の方の本が好き)、
気づきがあったことがあって、

幸せって、何もない、変わったことのない日常を喜べること、なのかもしれないなあと。
それは、そういう何もしなかった一日でも、『よかったなあ』と思えること、なのじゃないかなあと。

幸せだと思える条件は、
”○○があること”ではなくて、”○○があってもなくても、よかったなあ、いいなあ、と感じられる心があること”、と。

40歳を過ぎて、体力もだんだん衰えを感じる。
これからは、さらにそうだと思うし。
そんななか、思ったとおりに動ける、したいことを思ったようにできることって、結構すごいことというか、当たり前じゃあなくなってくるのだよな、とも思う。


お休みが”いいもの”じゃなくても、
いつもどおり眠れて、食べれて、ねこが元気で、自分の体のどこにも痛みがないのなら、もうそれだけで、花丸あげてもいいんじゃない?

と、自分に話しかけてみる、この頃。


読んでくださって、ありがとうございました。

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