安楽死する、しない選択

日本だからか?死ぬことを気軽に話せないのは。他の国ではどうなっているか?一般の人の間では死ぬことを話題にすると縁起でもないといわれる。平均寿命をかなり超えた人も自分が死ぬことはまだ先のことと思っているようだ。他人の死は受け入れやすい。死が迫った時にみな狼狽する。私は普通の人がどんな死生観を持っているか気楽に雑談してみたい。

理論物理学者のホーキンス博士は21歳で筋萎縮性側索硬化症(ALS)を発症した。体は大きい方だったが病気の進行と伴に手足が細くなり体も曲がって頭だけが目立つ人になってしまった。70代半ばで亡くなったが、進行の遅い病型であったがそこまで生きてこられたのはこの人の明るい性格も関係があったのではないかと思う。 彼は食べるという人間にとって根源的な幸せを奪い取られた。それでも楽しそうに生き続けた。 死後ロンドンにあるウエストミンスター大寺院に葬られた。歴代の栄誉ある王族、科学者、文学者等が床や壁に葬られて寺院は死体の山でもう隙間はないと言われているが何とか中に入れられた。彼には生きることによって成し遂げねばならないことがあり病気であろうと生きることに意義があり喜びがあった。テレビで見る姿は首の周辺は布で隠されていて人工呼吸器は見えないがつけられていることはわかった。直径2センチから3センチぐらいのプラスチックのチューブが気管支に入れられる。チューブが声帯を通った後は声を出せない。 チューブを入れる決心をした時どのような思いであったろうか?ホーキンスは呼吸筋がいずれ麻痺するそれを知っていたので顔の筋肉を動かしコンピュータに連動させ言葉を作り、自分の音声に似た音までも出せるように準備していた。ホーキンスは安楽死について人間は死を選ぶ権利があると述べている。その時のために薬剤を用意して楽に死なせるようにしてあげるべきだと。死ぬ権利とは死を選んだとしてそれが第3者でなされた場合でも犯罪にならないと明言した。

日本の判例で死に瀕した人に安楽死に導く薬の投与のタイミングが問題になり執行猶予のついた有罪になった東海大学病院の判例がある。早く死なせてほしいと言う家族の要望を請け負った若い医者はその要求にそった。癌で長い間苦しい思いをしてきた。せめて死ぬときは苦しまず死なせてあげたいと善意で思ったのだ。すると後日医者の処置に問題を投げつける人が出て裁判に持ち込まれた。意識がないのだからそれほど苦しんでいない、そのままにでも早晩死ぬ。医者が致死量の薬を与えたのは殺人と判決された。

医者には苦しみでもがく人がいても何もしない方が良いと言っているようだ。この事件以後安楽死が社会的な問題として持ち上がる事は無い。 ターミナルケアをする病棟、病院は別だが一般の病院では患者の苦しみを見たくないため医者はできるだけ病室に入らないこともあると聞く。何かすると周囲のものに訴えられる。麻薬などを沢山使うとアンプルが残るので悪意を持つものがリークすることがある。 苦しみながら死にゆく患者について患者側の家族、看護師、医者などが話し合う事は少ない。これを読んでいる人の中にも患者のお見舞いに行くと 苦しみに耐えているのか唸っている患者の声をカーテン越しに聞くことがあるのではないだろうか。誰も注意を払う人もなく患者は一人取り残されている。 癌になれば多かれ少なかれそのような事はあり得て読者も自身に起こると思わなければならない。

癌は安楽に死ねない疾患である。 尊厳死は高齢となり家庭で死を迎える人にはあり得る死に方だ。癌での尊厳死は特別な場合を除いてないだろう。現在の医療は経管栄養補給がなされるようになって死にゆく人を苦しめている。胃や腸に穴を開けて栄養補給を受ける場合、本人も家族も相当考えねばならない。苦しみだけが増える時間かもしれない?その人が生きていれば貰える年金などもあることが大いなる理由になることがある。

基本的には人の苦しみはわからない。苦しいが生き続けたい人には十分な麻薬を含めた投薬を行い、意識を保ちながら少しでも楽にしてあげる。しかし日本の医療における麻薬は疼痛の治療の場合ほんの1部の麻薬を除いて使用できないことになっている。そこにも問題がある。高齢になり骨折を繰り返す患者、筋肉の病で激しい痛みを訴える患者、他の病気での痛みを訴える。その場合麻薬は軽いものに限られている。診断名を追加し強い麻薬を使って患者の痛みをとってあげたとしても癌でない限り医師の免許証を取り上げられるので出来ない。死への準備の教育などと言う講座は大学教育にはない。医者になって各個人が手探りでやっているのではないだろうか? 日本では安楽死は犯罪である。いずれ立ち向かわなければならない死、これは例外なく全員にやってくる。日本は安楽死を強く望んでいる人でもどうぞ他国に行って死んでくださいという無責任国家である。

安楽死についてNHKで放映されたものより考えてみたい。 令和元年6月NHKで放映されるということで話題となり多くの視聴者がいた。安楽死を選んだ1人は50代の女性でAとする。 もうI人は60代の女性(B)で人工呼吸器をつけて生きている。Bに関して踏み込んだ内容にはならなかった。両者ともに神経の病気で四肢の麻痺から始まり動くことができなくなるので筋肉が萎縮し、脊髄の上に進みむに従って呼吸することも話すことも出来なくなり何もしなければ死に至る。 Aは筋萎縮性側索硬化症でBは類似疾患である。心臓だけは動き続ける不幸に見舞われるが心臓が動かなくなったそのような時ペースメーカーで心臓を動かすことまでするのだろうか。 神経の支配がなくなるのは遺伝子や酵素の異常であろうがそれを解明しようとする研究者もいるのだろうが具体的な成果は未だない。原因が分かったとしてIPS細胞を使える可能性があったとしても長い年月を要するだろう。 呼吸することや食べることも話すこともやがて出来なくなると知っていたAは何とか意思が伝えられる間に安楽死をしようとした。 安楽死を認めている国はヨーロッパの3~4の国と州によって異なるがアメリカ、オーストリアである。外国人を受け入れ安楽死を認めているのはスイスだけである。 Aはスイスに行くしかなかった。なぜスイスは外国人を受け入れたのであろうか?運営にあたり費用が必要であるからだけとは思えない。そこには誰かの強い意志が感じられる。

Aはソウル大学で韓国語を習い翻訳の仕事で生計を立てていた女性である。3人姉妹の1番下だ。親や子供がいないので安楽死を選択できやすい環境にあった。妹の選択に姉妹には複雑な思いがあり、はじめは反対したようであるが最終的には妹に同意した。Aは手足に力が残っている間に自殺しようと何回か試みたが筋力が失われているので実行は出来なかった。もし姉妹がそれを助けると殺人罪になる。そのころの会話が録音されていた。発音は不明瞭で身内でないと聞き取りにくい。病気は呼吸筋や気道に及び早晩人工呼吸器が必要になるであろう。そうならない前に彼女は少しでも動けるうちにスイスに行き安楽死をしてもらおうとした。引き受ける団体の一つであるライフサークルへ自分の状態を手紙に書いて送った。安楽死を引き受けるとの回答であった。姉妹2人は車椅子に乗せた妹を連れてスイスに向かった。 ライフサークルにつくと責任者である女医は安楽死について話し合い、実行まで心が変わればいつでも中止できると伝えた。 責任者の女医は痩せてストイックな顔立ちで多くの死に立ち会い患者の苦しみが染み込んだ人のようだった。安楽死にはもう1人の医師の同意が必要である。安楽死の実行が決まるとあれこれと考えない方が良いのか、2日後となった。随分速いと私は思った。姉2人に見守られAはその女医からの点滴をうけ自身でコックを開いた。液が落ちるとまもなく眠りに落ち間もなく呼吸が止まった。ほっとしたようななんとも幸せそうな優しい顔であった。その映像は忘れられない。 スイスのライフサークルに登録している日本人は100人ほどいるという。どんな苦しみを抱えた人達だろう? 私に置き換えてみてもそのような死に方があったらなんと楽かと思うが安楽死を受けられるスイスといえどもバリアは非常に高い。 Aは現地で火葬された。 日本は焼いた骨をもって入国できないそうでわずかな量の骨の粉をもらい残りはスイスの河に撒いた。河はレマン湖につながり彼女の骨が地中海に出るまで1000年(レマン湖の入り口から出口まで1000年)以上かかるとおもわれる。レマン湖から流されないとすればあの美しい山々に囲まれた湖の下に沈む。

もう一人のBはAとは全く違う過ごし方を選んだ。子供をいれた何人かの家族は人工呼吸器をつけた患者のそばでVサインをにこやかにしていた。本人は人工呼吸器がつけられて周囲がいくら自分を励ましてくれていると分かっても表情筋もやられているので喜怒哀楽を表せない。人工呼吸器をつけてみて初めて苦しいことがわかっても声を出せないから人工呼吸器を外してくれとも言えない。手が動かないので自分で外すことは出来ない。人工呼吸器も胃瘻の設置もそれを付ける時は家族の同席しないところで医療者側と十分な話し合いをする必要がある。一旦人工呼吸器をつけたものを外すと殺人罪になるので医者はそれを取り外せない。 何らかの病気で呼吸不全になった人はどうするか?急性呼吸不全であれば人工呼吸器は大いに適用がある。しかし、慢性呼吸不全では人工呼吸器をつけても病気の回復は望めない。それでは慢性呼吸不全の人が重篤になった場合どうするか?医師は十分な酸素を送り、呼吸苦を和らげる薬を投与し、意識レベルを少し落とし自然死を待つことが自然ではなかろうか? ALSになった人の中には医者の力を借りず力のあるうちに自殺する人がいる。私の知り合いの男性は人工呼吸器を付ける前に自死した。どのような方法をとったか?家族は話したがらなかった。鉄道に飛び込む、これは多大の迷惑がかかり賠償費用も半端ではない。電車に乗っていると事故のために電車が遅れると言う車内放送を時々聞くがその原因は自殺のことが多いにあろう。家族に山等に連れて行ってもらい木の枝を使って首を吊る。家で実行しようと思っても昨今はツーバイフォーの家が多く鴨居がないので紐を引っ掛けることはできない。 ガス自殺はあり得る選択だ。見ている側が死んだ頃を見計らって窓を開ければ良い。いずれの場合も医療関係者と家族に見守られて安楽死を遂げたAのよう幸せな死に方にはなり得ない。慢性呼吸器疾患のある人は自分が呼吸不全になったときどうするか考えておき家族に伝えておくが良が良い。また自分の希望を書いた紙をすぐに見える所におく。救急車が要請され命の危険が迫っていれば救急隊員は人工呼吸器も装着できる時代になった。本人の意思をそのような場合は確かめる余裕は無い。

人間は必ず死ぬ。死のことについて尋ねてみると誰でも死ぬなら安らかに死にたいと言う。安らかに死んだと言う人はどのぐらいいるのだろうか知りたい。死亡の統計を取る時死に方が安らかであったかなかったか。そのような統計があったら良い。それによって死への学問が進歩するのではないか。それはひいては死を無駄に恐れない私どもになる さらに死に方を研究し、実際に移せること、その他死ぬことのいろいろな側面を研究する学問があったら良いと思う。安楽死による死を選んでも許される前述した国があるがそれは日本とどのように違うのだろうか?自立した個人が社会を形成している、自分のしたことを他人の責任にしない人々のいる社会。そして生きている間自分も満足し、社会にわずかでも何らかの良い足跡を残した人たちがいる社会に違いない。 安楽死をしたAは上に挙げた人間像に近い。 同情すべきこのような疾患、長い年月の苦痛で歪められた顔と体で死んでいく。自分の事として想像をしたくない。安楽死は大いにあり得る選択だと思う。 2人に1人は癌死だから読者自身にも断末魔の苦しみがやってくる可能性は多いにある 。日本の医者は麻薬の使用に不慣れで使いたがらない。使用する際が煩雑である。世界的に見て日本は痛み止めとして使う麻薬使用は非常に少ない。日本のトップクラスのペインクリニックでも麻薬は使用はしないところがある。また患者自身と家族も麻薬を拒否することが多い。使い方が上手であれば生活の質も向上するのに残念なことである。 癌の場合に限らず激しい痛みの際に使える麻薬のあることを知って欲しい。骨粗しょう症の究極の状態で病的骨折による激しい痛みに対して強い麻薬を使うことは日本では許されていない。日本では痛みを我慢することが美徳とされる国だからだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?