痛みを知らない医者

ある本に痛みを全く感じない5、6歳の少女の写真が載っていた。古い写真なのでもうその子はいないと思う。彼女は体を切られても全く痛くないし何をされても痛くないそうだ。どうなっているのか?痛みを感じる脊髄求心神経がないのだろう。そうなると車にひかれても足を切られても痛くないので危険極まりない。これは極端な例であるが普通の人でも頭痛とはどういうものかわからない人がいる。私の親しい医者で頭痛ってどういうことかわからないと言う。彼は痛みを訴える患者を診察しても本当に理解できず当惑する。でも採血などされる時の注射の針は痛いそうだ。
 私ごとだがいろいろな痛みに関する病気をしてきたので痛みがどういうものか普通の人より知っている。痛みの強弱は主観的なものであるが人間である限り同じ神経の支配を受けている。神経の欠落があれば支配するはずだった場所は存在しない。血管壁にも細いて神経がはりついている。患者さんの訴える痛みが手に取るようにわかるはずだが。
 痛い事は体のどこかの不調を示すもので人間にとってなくてはならない感覚である。それがないのが前述の少女である。

癌になって痛みが強ければ患者さんの生きる意欲が低下する。痛みを抑えてあげれば病変は変わらないが生きる意欲は湧いてくる。食べることも動くことも積極的に出来れば免疫力は高まる。
痛みのアプローチにはメソッド、つまり決められたやり方・方法・方式がありその通りに結果が出なければお前の痛みは精神から来ているという事になる。それは真剣に考えない医者の逃げ道だろう。医学教育の中に外科、内科と同じように疼痛科がないからだ。痛みは神経が通っているところではどこにでも起こる。解剖学的に見てもなかなか理解し難いが痛みもあるというのは痛いはずなのに痛がらない。例えば痛みを訴えても形態的に異常がなければどこの病院へ行っても曖昧にされてしまう。それは痛みが二次的なので主役は別にある。
 整形外科医は形態的に問題がなければ鎮痛薬とコルセットの処方となる、慢性的な痛みにはうつ病の薬がいくつか適用になっている。それでもダメなら精神科への紹介だ。ペインクリニックも流行りだが痛み学は内科書全般と比べるとペラペラめくると終わり。もっと暗中模索をしてほしい。      

しかし患者さんにとって痛み治療は重要で麻酔科医から切り離したくらいの重要度のおき方である。私の知人で残念な死を遂げた人がいる。彼が訴えた痛みについて医者が知っていれば病院の帰り道に心筋梗塞で死んでしまうようなことはなかった。彼は医者に左の肩が重く苦しいと訴えたことは心筋梗塞の発症の典型的な症状である。こういう時こそAEDがあり、使える人がいたら助かったかもしれない。
 亡くなった天文物理学者のホーキンズ博士は人の余計な痛みは取ってあげるべきだと言っていた。何もホーキンズ博士が言ったからこのことが特別扱いされるのではないのだが、痛みは体の悲鳴である重要の訴えである。
意識ある動物を痛みで苦しめてはいけない。中国や韓国では愛玩動物の猫や犬のしつけには叩いて行う。日本に来て褒めてしつけるのを見てびっくりしたそうだ。話は全く異なるが国民性で文明度と関係が深いと思う。

痛みを取ってあげようと真剣に考えている医者はペインクリニックがあっても十分でない。特に自分が痛みを経験していない医者ならば他人の痛みを思いやることは難しい。私のペインクリニックの嫌な経験だが痛み止めさえ打てばそれで終わりになる。麻酔薬を打つとたちまちその場を去りその後どうですかと言いに来ない。痛み止めの注射を打ちっぱなしにする治療はもし医者自身が患者の具合になったら良いものか考えてほしいと思う。
 授業の中に内科や外科のように疼痛科が独立してあるべきだ。痛みがなければ癌になってもそれほど苦しくなく全身がけだるく話すのはおっくうだと言うのには直接は効かないが、平和な気持ちでいられるかも知れない。
 我々人類には痛みを抑える麻薬というものがある。清の時代各国が痛みに麻薬を使って中国を混乱させるため阿片を使ったことなど負の面を内包することもあり積極的に使うのをためらってきたこともあるのか。 

WHOからの癌治療法が約30年前からおもには癌の痛みから解放されるよう具体的な指針出ている。しかし現実の問題も浮かび上がる。薬事法で厳しく麻薬の管理について定められている。それが足かせになっているならきちっとした手順を踏むようにすれば良い。
 友人のお母さんは10年以上痛みに耐えながら亡くなった。若い頃から首が前屈していた。これは皆が癖だと思っていたが75歳を過ぎたころから腰の曲がりが極端になり脊柱の圧迫骨折が所々に生じていた。コルセットを着けて痛み止めを飲んだり塗ったりしてその痛みに耐える生活を送っていた。しかも助骨にもヒビが入り寝たきりになった。医者に行っても症状が良くならないので行かなくなってしまった。痛みに悶えながら死んでしまった。それを聞くといたたまれない気持ちになる。そのお母さんは破骨細胞をおさえる薬は投与されていたようだが骨折を予防するには遅すぎた。骨代謝に対する理解が解明される専門部門の科が出来たらと思う。これは人類特に女性が総じて長生きになることに関係するが。十分な疼痛対策がなかったのである。骨折ぐらいで麻薬を出したら警察が入るからと恐れたのかも知れないし、医者自身は痛くないのでどうせ老人のことだと思っていたのではないのか?みんなこんなのは医者がやることではないと思ったのだろう。日頃太陽を浴びていたのか? ビタミンDやカルシュームは取っていたのか? 更年期には大幅な骨量減少が起こっていなかったのか? 今日にはホルモン補充療法と言う治療もある。体操などしていたのだろうか? 現在では骨量を上げる薬も出ているが若い頃にはそんなこと無頓着である。

私が一番びっくりしたのは何か良い治療方法を教えてもらいたいとペインクリニックへ行った時のことである。待合室にそこの医院が他の地域の病院と比べてどれだけ来院者が多いかとグラフが張り出されていた。私は単純にすごいな!!と思った。ここで治らなければどこに行っても治らないのか。私は背部のどこをとっても痛みがある。患者が多くがしばらく待たされた。私は軽い診察を「受け隣の部屋で治療しますからベッドに寝てください」と看護師に誘導されてそれに従った。その部屋は左右に6、7個のカーテンで仕切った小さな場所がありベッドが置かれていた。カーテンで仕切られ、中央の廊下で看護師が薬をのせた移動式トレイを医者の所へ運ぶ。私は何か注射を打たれた記憶があるが痛みが特に良くなったとは思わなかった。

請求書にはトリガーポイントと書かれてあった。先生は来週また来てくださいとそれで終わりになる。医者は順番に患者のもとに行き注射をするようで、次から次へと患者さんに麻痺薬を打ちその後30分以上寝かされている。板でベッドとベッドの間は区別してあるが医者とか看護師の声は聞かれない。トレイがジャラジャラと響く、次から次へと患者のところへ行く。一周して様子を見る。その処置を繰り返すようである。総じて親切だった。どんどん患者が増えていくことは完治しないのだと思った。私もその後何回かいった。こんな治療が流行っているのは痛みをなんとかしたい人が増えたことになる。行くたびに何処に注射をするか先生はまよう。一度私の持って行った腰の写真やCT( Computer Tomography )を見ていたがその後の診察で見直したことはない。痛みの発生は脊椎周囲では複雑なのは理解できる。沢山の神経が体に向かって出ていきまた体にむかって入ってくる。わたしは3回ばかり通院したところ先生が整形外科で再度診てもらったらとのことで終わりになり東京の有名な病院に行くことになった。自分でできる処置でしかもさほど効いた様な気がしなかった。

痛みを経験したことがないラッキーな医者は痛みを理解できないので我慢しなさいと妊婦に伝えることもある。
 私は医者になる人は1度でも麻酔なしで足の指1本をナイフで切り取りその指を縫合する体験をしたら良いと思う。真面目な話だ。患者の痛み・苦しみを理解することは必要である。患者がどのような期待をもって来院するか,痛みと言う複雑な感覚がわからないから同じ所を注射し続ける医者が多い。痛みは機能障害の代弁者で患者の痛みに対する閾値はさまざまだから診る側の責任が多い。患者自身も医者を信用しない事も多い。しょうがないから医者に行く。


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