系統解剖

初めての解剖
医学専門課程に入り他の学部とは全く違うことをしなければならない。遺体となった人(死亡した人をアルコールで固定してあり病死は含まれない)を使っての解剖である。体の隅々まで解剖していく。臓器は骨、筋肉、内臓、血管、神経、脳その他甲状腺などの小さな組織についてである。
系統解剖は医者になる必須条件である。肉眼での解剖実習はグロスと言われ顕微鏡を使っての組織実習はミクロと呼ばれていた。

専門課程に入ってすぐ始まる。初日の解剖実習のことを考えると2、3日前から緊張して前日は眠れなかった。いよいよ系統解剖の実習が始まる。ほとんどの学生は私と同じように緊張していた。系統解剖の教授は厳しいことで有名だった。毎回午前中の授業で今日の解剖は何をするかを教えられる。それを受けて昼から解剖が始まる。メインの建物と離れたところに解剖室があった。平屋建てで粗末な木造の建屋だったが、しばらくしてから鉄筋コンクリートに建て変えられた。解剖教室の教員は遺体を提供してくれる特定の場所があるのだと思うがそれがどこか全く知ることは出来ない。死後献体に関わる白菊会と言うのは知っているが。

以前から解剖室は犯してはならない聖域と思っていたし、怖かったのでその建物の近くには近寄らなかった。みんな怖かったのだ。         私たちは午前中に受けた講義ノートを持って解剖教室の扉が開かれるのを待った。誰も口をきかなかった。人によっては重い解剖学書を持ってきていたが、私は汚れるのでノートだけにした。
ついにドアが開けられた。ステンレスの解剖台の上にカバーがかけられ大きく膨らんでいるのがずらっと並べられている。下に人体があるのがわかった、当たり前だ。
教授は自分の名が書かれている台に行くよう指示した。中央講義台から2列目で窓側より2台目に私の名前があった。私の担当は右側で左側がT君になっていた。2人に1体が与えられているので頭のてっぺんから足先まで解剖しなければならない。前途の厳しさと共にこのような解剖に関われるのは医学生の特権だと思った。もう何十年も経っているがその時の光景は忘れられない。私たちは木のサンダル以外長靴を履くことも手袋をすることも、またビニールの前掛けをすることも許されなかった。初めそれが当たり前と疑問もなかった。他の大学ではマスク、手袋や前掛けは許されていると聞いて羨ましく思った。毎回匂いのついた衣類を洗うのは辛かった。アルコールはホルマリンより臭いが弱いらしいがホルマリンの方が安くできるなどの噂があった。私を肉片から守ってくれるのは弱々しい白衣しかない。遺体を被っているカバーが助手の手で開けられた。この瞬間こそ私たちが医者になることを自覚させられる瞬間だと言ってよい。


教授が「これから始めます、全員礼をしてください」と慣れた調子で言った。私たち二人にあてがわれたのは小柄な痩せている老いた男性だった。噂では小柄で脂肪がない男性にあたるのはラッキーとの事だった。解剖していくのに脂肪を取り除く労力が少ない。大柄な女性は皮下脂肪も内臓脂肪も多くそれだけ仕事量が増えるので時間がかかる。
遺体には個人を特定させるものは何もない。誰もそのことについて触れないが、ある遺体には首筋を絞められた跡があった。自殺か刑死だろう。この違いは法医学で習った。左右に分かれて解剖していく。頭のてっぺんから足の先まで調べる。

4月から翌年2月まで半分の遺体を解剖することになる。
1週間に2回解剖実習はあった。実習の前はアルコールに浸された担当の遺体をプールから出してくる。ビシャビシャのアルコールや肉汁がたれて足を汚す。実習が終わると次回まで乾燥しないようアルコールのプールに運んで入れる。出したり入れたりで初めのうちは手足がついていて重いので6人で運んでいたが、人体の部分が切断されてプラスチックボックスに入れられるにつれて軽くなっていった。
木製のサンダルで下はコンクリートなので滑りひっくり返りそうだった。こんなに年を取った今だったら私は転んでいただろう。
解剖実習中は椅子に座って午前中に習ったことを確認していく。ノートと照らしあわせながらぺージをめくったりするのでノートはぶよぶよで気持ちが良いものではない。                         解剖の教授が生徒のやりかたを観たり質問をしたりして成績をつけていく。8時ごろになるとお腹が空いてくるが、みんな帰る様子もなく遺体と向き合っている。11時ごろになっても教室の明かりがついていることもあった。
私と向かい側の相棒は目と鼻の先にいるが、互いに何をやっているか見る時間も話す時間もなかった。黙って必死にやっていた。

骨、筋肉が終わると頸部、胸部、腹部に移っていく。一つ一つの骨と筋肉の名前とその付着部、それに関連して走る神経と血管を追わなければならない。 例えば教授はこの神経はどこの枝かを述べよとか。授業ではそこまで習わないので、かなりの予習が必要であった。血管、神経は抹消に行くほど細くなって肉眼的に見えないところで終わりだ。
脊髄神経は中枢側に進むと脊髄腔内に入っていく。私たちの体は細部に至るまで神経と血管の支配と栄養を受けている。きりが無いのでこれぐらいにしておこう。

内臓になると本格的な臓器を見ることになる心臓、肝臓、肺、内分泌器官、と食道、胃、十二指腸、小腸、大腸、直腸も手に取ったはずだが消化器官の事はすっかり忘れてしまった。さして面白いところではないと先入観があり、外胚葉からなるこれらの器官を専門にしようと思う気にはなかった。食べ物の通過するトンネルぐらいに思っていたがとんでもない。直腸に至る道すがら胃、胆嚢、膵臓から消化液をもらい粉々にしていく。自分の食べたものや色鮮やかな果実、野菜、鯛、いわし、キャベツ全てものが消化された結果は糞便と言う何ともいい難いものになってしまう。
糞便に水を入れ分析したいと思ったが多少抵抗感があり少しの量で試して見たものは2から4ミリ四方の固形物、薄くなったものが沢山あった。
さらに言えば消化管は筒状になって丸いので気に入らなかった。馬鹿げた理由だ。

それに対しその他の臓器はあまりにも精密にみえた。例えば腎臓には動脈が入り静脈と尿管も出て体の科学的な平衡を保つようにしている。心臓はと言えばそれは精密な臓器で消化管とは比べようもない。
心臓には4つの部屋に分かれているが小さく狭苦しい。心臓の弁を動かす紐のようなものが心室壁から弁膜に付いて弁を広げたり縮めたりして無駄なく血液を入れたり出したりしている。指揮者はいない。
心臓から出た血液は上行大動脈に入り、ステッキのような丸みをした大動脈弓にはいる。その大動脈弓から総頸動脈、鎖骨下動脈などに血液を出して下行大動脈に入る。それは実に巧妙にできている。その太さが直径3、4センチと想像した以上に太い。
臓器の基本的な構造は誰も同じである。自分の体の中にはこんなものがあるのかと考えると感慨深くもあり、またこんなものかとガッカリする。
特に肝臓は思った以上に大きく横隔膜で胸部と腹部を分ける。このドス黒い大きな臓器、まさに肉屋で売られている豚や牛の肝臓だ。それに八角を入れて煮ると格別おいしい。

それに膵臓や胆嚢、精巣、卵巣などの臓器もある。
人間がものを食べると食道に入っていくわけだが入り口は2つ別れて肺ではなく胃に間違いなく入っていく。これも誰が考えたか気管支と食道の間に巧妙な弁がある。食物が通るときに気管支の方に流れないようにする蓋である。蓋が閉まらないと食べ物が気管支の方に行って誤飲性肺炎になってしまう。自分が知らないうちに蓋が開いたりしまったり、心臓では弁膜が開いたりしまったり、何と言う巧妙なできなのだろう。

最後は頭になる。頭だけになると軽くなり私たちは匂いから解放された。
脳は肝臓や腎臓と同じく外から見れば誰が誰だかわからない。脳は固定されているので硬くなっている。が実際の 脳はふにゃふにゃで支えてあげないとダランと落ちてしまうくらいだ。不思議なのは脳の細胞の新陳代謝である。脳も古いものは捨てられていくと考えるには無理がある。脳細胞の中には判断力や記憶力などあらゆるものが入っているので捨てられたらその力もなくなるのか? いろいろな能力など途切れてしまわないように細胞にもバックアップする細胞が控えているはずだ。それはすべての細胞に言える。眠れる細胞がたくさんあるに違いない。廃用になった細胞は腸管に集められて捨てられる。その時ほとんどのものが2、3ミリになっているはずだ。

この男性は体を残した。意識や記憶はどこに残しているのだろう。これは抽象的なもので形として残るのだろうか?いつか脳科学が変化し脳の構造と意識の関係などわかるようになるかもしれない。脳を移植することは可能だろうか? 部分的には可能かもしれない。ちょっとボケてきたから脳のいち部を売る人から買って頭蓋骨に穴を開けて中に入れると認知症がなおる。
話はそれるがアインシュタインの脳について。この人の脳はいくつかに分けて科学者に分配されている。もっと脳科学が進んだ時のためにいろいろな分野の人に分配されている。

最後に行う脳に何かあるかと期持した。脳は各セクションを分けるのにギルスという言葉を教わったが、脳を切片にしたか否かは忘れてしまった。脳に到達すると他の体は全部解剖台の側にある箱に入れて頭蓋骨と脳だけになってしまった。もうそろそろこの遺体とのお別れがやってくる。私達に切り刻まれた臓器は大きなバケツに入れしかるべきところに返される。


2月には慰霊祭があった。私たちは実習に携わった色々な人たちと改めて感謝の気持ちこめて共同墓地に行った。コンクリートでできた小屋みたいなところで代々引き継がれている。その中に入るのは引き取り手のない人たちだろう。受け持った男性が共同墓地に入ったなどと先生は何も誰にも言わなかったがおそらく大部分の人がここに入れられたと思う。

私に解剖された人! 顔も体も決して忘れることはないだろう。
上記の解剖が終わると学部2年になり病理解剖や組織解剖が待っている。
基礎医学は専門の1, 2年で終わり3、4年で初めて病気に関することを学ぶことになる。それは臓器を見たので病気の何たるかを想像できると思う。


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