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人間関係リセット癖のあるベストフレンドにリセットされた件について〜この俺が…プリキュアに…?〜

俺にはそこそこの数の知人と、たった一人の友達がいる。俺はこの短い人生の中で、畢竟人間にはたった一人でも好きな人間(様々な意味で)がいれば対人はもう十分だと思うに至った。故に友達だと言えるのは奴だけだったが、満足であった。

しかし奴には人間関係リセット癖のきらいがある。それを知ったとき俺は畏怖した。なぜなら俺が奴に向ける情は、奴が俺に向ける友情には釣り合わない大きさだろうと薄々感づいていたからである。これは俺もいつかその対象になるかも知れない、そう思った。

加えて奴はひどく人に気を使う人間だ。いかに友情を感じてくれていてもいざとなれば勝手に思いつめて、いらん気を回して、何も言わずにフェードアウトするのだろうことは火を見るより明らかだった。かるがゆえに奴が今回、何も言わずに全ての連絡手段を断ってきたのは無理もない話であったと言えよう。

真の友であれば甲は乙の意思を尊重し、精神の抉れた乙を気遣い、甲が乙の後を追って乙の心の傷にダメ押しをするべきではないだろう。しかしちょっと待てと。甲が尊重すべき乙の意思というのは一体どれなのかと。甲は嫌われたのか、気を使われたのか、誤解されたのか、アクシデントなのか、それとも乙は人と関わるのが無理になったのか。可能性はよりどりみどりである。

だから場合によっては、このまま抜錨を済ませた奴の船が地平線に消えゆくのを見届けるだけでは、乙の意思を尊重したいという甲の思いは伝わらない可能性がある。そしてもしこれが乙が抱く甲の最後の印象になるのだとしたら、有終の美を飾りたい。そこで俺は奴が何を考えて縁を切っていても対応できる文章を書いた(つもり)。そしてそれを動画にした。プレゼンみたいになった。尺は30分。

いい加減俺もこれは友情というよりは醜い執着だということはわかっている。なんなら印象操作のための最後の悪あがきだ。ただ本当に誤解で絶縁せしめんとされている場合、ものすごいもったいないので復縁したいとも思っている。

というか普通に有終の美を飾るより、できるものなら復縁したい。唯一の友人だし、ということは好きなホモ・サピエンスと関係がうまくいっている(いってた)唯一の事例なわけだし、なにより友人というのは作るのが難しい。

さすがに俺も寿命で死ぬならかなり老い先は長い方だと思うから機会はあると思うが、人との関わりが長続きするか否かというのは双方の努力によるから、また一からそれを始めるのはなかなか面倒だ。その面倒を乗り越えるほど好きな人間に会えるかどうかもわからない。

ということで動画というマジックハンドを用いて、去っていく奴の後ろ髪を引っ張ることにしたのだ。奴が幸運の女神じゃなければこれでうまくいくはずだ。

ここまで読むとこんな事を思う人もいるかも知れない。動画というのは、手段としていささか重すぎないかと。

それはそう。重い、重いよなそれは。ああ重いとも。でもそんなことはわかっているんだ。でも作らずにはいられない、なぜなら俺は重い人間だから!この重さに嫌気が差して(この動画が決め手となって)俺と縁を切ることに決める可能性はあるが、それもまた良かろう。俺が重いのは不変の事実だから、その場合遅かれ早かれ俺と縁を切っていたはずだからな。その時が今になったというだけの話だ。むしろそういうのは早めに気づいてもらったほうがお互いにとってプラスだ。ラッキーと言えよう。

それに、もともとは10000字くらいあるテキストで俺の思いを伝えようとしていたわけだから動画にすることによってより楽しく、よりわかりやすく、より明るく、より面白く、そしてより重く提供できる運びとなったわけだ。

それにもし奴が今うつ病なのだとしたら、もしかすると文章を読めないかも知れない。そも10000字もあるメールなんてよほど好きな人間でない限り読みたくないだろう。その点動画というのは、シークーバーを見ない限りはゴールを悟らせずに済むから良い。一度始まってしまえば(つかみがうまく行けばの話だが)気づいたときには完走していることだってざらだ。現代人の動画との関わりは密接である。丁寧に面白い編集がなされている動画がごまんとある今の時代を生きる人間なら、動画の尺の長さが足かせとなって視聴を躊躇することはまぁあるとしても、尺の長さが面白さに反比例するわけではないことは感じているのではなかろうか。実況などを見ていれば30分なんてざらにあるし、何時間もある配信だって広く需要があるではないか。というわけでメリットと時代背景を踏襲し、動画形式にしたというわけだ。けして重い人間特有の、動画のほうが喜ぶかも知れないという打算ではないのだ。ないのだよワトソン君。(仮に本当にうつ病なのだとしたら(わかんないけど)動画を見るのも無理な気はするが、どちらも受け取ってもらえないなら私はどうせならベストを尽くしてみたい。というわけでそれはそれでメリットがある、主にこちら側に。だから大丈夫)

して、俺も着手して一日で2つの疑問が湧いてきた。「これは本当に面白いのか」「これでは奴をより追い詰めるだけではないのか」。まさしく正論である。一部の隙もない気がする。

だが俺は(俺の中で)すぐ諦める人間で有名だ。できなそうなこと、つまらないこと、面倒なこと...何でも自信がなくなるとやってもいないのに諦めてしまう。俺は臆病だからすぐに不安になってしまうというわけだ。ただそんな自分のことはかねてから嫌いであった。私はここで諦めてしまったら今までと同じだと、駄目人間のまま一生うだつが上がらないぞと思ったのだ。(そう、俺は実を結んだことはないが完璧主義者でもあるので向上心はある)

その時点でこの動画編集は奴に向けたものであるとともに、自分との戦いとなった。自分しか面白いと思わなくともやりとげることに意味がある。なぜならそれはこの俺が、「諦めず」に「努力」した動かぬ証拠だからである。このことは本当に稀有っ稀有だ(びっしょびしょみたいなニュアンス)。しかもそれによってなかった自信が、束の間であれど俺のもとについてくれるのだ。今まで敵対していた”自信”とのアツい共闘となる。

???「ククク...俺のことを忘れてもらっちゃあ困るなァ...」

俺「...ッ!き、きさんは...!」

自信「『これではやつをより追い詰めるだけではないのか』ッ!!」

 ー『これは本当に面白いのか』を撃破した俺の前に、もう一方の疑問『(前略)追い詰める(後略)』が鎌首をもたげる。

『(前略)追い詰める(後略)』「冷静になれ俺よ...人と関わるのが嫌になった人間に積極的に関わってどうするのだ...?どんなに言葉を尽くしたところで、奴が俺に抱いてるであろう罪悪感は癒えないし、奴のあまねく事象を気にしすぎる性質も、考え方も、一朝一夕で変わるものでは無いことはお前もわかっているであろう...この動画を通して奴が俺とだけ国交を回復してくれるかもだなんておこがましいとは思わんかね...?第一そんなもの送られてなんて返信すれば良いのだね?対話や返信に難を覚えない人間ですら困りそうなものなのに、よりによって奴にそれを強いるのか貴様は?この外道が!」           

危うし、俺。『(前略)追い詰める(後略)』が言っていることは、全く全く全くもって正しい。だが俺は人間以下のゴミカスだから反論する。正義の勇者ではなかったのだ。私は『(前略)追い詰める(後略)』と比べると豆粒ほどしか無いそのちっぽけな体躯から、あらん限りの力を振り絞って大声で狼狽えながら反論した。

俺「うるさいうるさい!そんなこと百も承知だやい!それでも俺は今動かなかったら後悔するんだ!しない後悔よりする後悔だろ!それにその追い詰めるってのも仮定の話だろう!これはさすがに傲慢すぎるが、可能性の話なら奴を救えることだってあるかも知れないじゃないか!そして確実に言えることはこのまま動かなかった場合、奴が俺とコンタクトを取ってくることは今後一切ないということだ!あるとすればねずみ講のお誘いくらいだ!その場合よぉ!生きてれば何年かあとになって奴は一度くらいこのこと、ひいては俺のことを思い出すことだろう!このままじゃその時きっと、「あぁあんな奴もいたなぁ。申し訳ないことをしたな」とかぬかすことになるよなァ!そんなの嫌だ!縁を切るにしても契約満了!みたいな感じが良い!思い返すだに「もう友達じゃないけど、清々しい友人づきあいだったな」と思ってもらいたい...!「あいつ最後まで食い下がってきたよな、何だったんだあいつは」とか言って苦笑してもらいたい...!単なる轍じゃなくて思い出にしてもらいたいんだ!少なくともまだ好きだからね!そうだよ!エゴだよこれは!!ビターな思い出になるなかれ!!喰らってくたばれ!エゴビーーーーーム!!!!!!!!」   

丁々発止の議論の末、俺は遂に良心からくる疑問を己がエゴによってねじ伏せた。普段は俺も(気のせいでなければ)他人の気持ちを考えているし、自分の言葉が毒牙となって人に襲いかかる可能性を考えて書き、話し、己を表現するが、今回は俺的にのっぴきならない状況であった。だがそれは人のことを傷つけても良い理由にも、その可能性を無視する理由にもなりえない。『(前略)追い詰める(後略)』の断末魔は「地獄に落ちろ」であったが、確かに俺は死んでもおよそ天国に相当するところには行けないだろう。最後まで正しいことを吐く疑問であった。

こうして俺は様々な葛藤の末自分を優先し、自身の向上のために、奴に動画を送ることに決めたのだ。

そして三週間がたち、本日2021年3月31日。動画、もとい奴の人生から俺が消える前に伝えたいことムービーが完成したのである。その尺じつに30分。30分にわたっていかに俺に罪悪感を抱く必要がないのか、いかに俺が奴のことを好きなのか、そしていかに俺が奴の意思を尊重したいのかをこんこんと伝えられるものに仕上がったはずだ。それに際していらすとやさんにはクソお世話になった。思えば奴と向き合うこの三週間は、いらすとやさんと向き合う三週間でもあった。いらすとやさんの絵は本当に上手い。サイト内を巡っているとたまにものすごくセンスの良い一枚絵みたいなものも散見できる。

ところで次回予告というのは、あるのとないのじゃ全然違うものだろう。次の話をちらっと見せることによって、次も見たいなと視聴者に期待を抱かせる効果がある。次の話が気になれば見逃した悲しみもひとしおであろう。なかったらまぁ次は見なくてもいいかと思うかも知れないし、見逃してもすぐにその事自体を忘れるだろう。それでも次回も見たいと思うかも知れないが、期待度がまず段違いである。そんなことを考えて昼頃に動画を送る告知をして、夜送ることに朝決めた。このほうがエンターテイメント性が高いだろう。

ドデカミン片手にピーヒョロをくゆらせ、革張りのカウチにゆったりと腰掛けた俺は、フライヤーっぽい絵を告知っぽい文章とともに添付し、高鳴る胸を押さえつけて奴にメールを送信した(その通り。全連絡手段が消えたと冒頭では言ったが、メールだけは送れたのだ。そしてこれがちゃんと届くのは先月確認済みだ)。

↓フライヤーっぽい絵

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ーそして悲劇は起こった。

次回!「奴のgmailアカウントも、死す!」お楽しみにね!


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