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玉味噌から”すまし”を作って見えたこと

南部地方の味噌作りは春先に味噌玉を吊るし天然のカビを麹として作っていました。玉を作ってから仕込むので玉味噌。              米麹を使わない先人達が命を繋いできた味噌の味を知りたくて冒険の旅へ。
そして玉味噌から生まれた調味料の“すまし”とはどんなものなのか。
3度の夏を経てようやく完成した自家製玉味噌を使って“すまし”を作ってみました。

玉味噌の口開け

初めて作ろうとした時には味噌玉を吊るす時期に悩みました。文献を見ると2月中旬とかお彼岸の頃とか。春先であることはわかるものの近年の温暖化で北国の冬も暖かくなり、煮た大豆に寄ってくる地球外微生物?(笑)納豆菌の存在を恐れ11月にとても小さく作りました。僅かに白いカビが着きましたが何が乏しさを感じていたところ翌年の春3月、新聞1面にずらりと並ぶ味噌玉写真が。
2月に仕込まれたとのこと。
少し玉を大きくして4月にまた吊るし翌月に無事、玉味噌第一号を仕込むことが出来ました。

https://hanakouchida.tumblr.com/post/617378395984150528/%E5%8D%97%E9%83%A8%E7%8E%89%E5%91%B3%E5%99%8C%E3%81%AE%E7%8E%89%E6%89%8B%E7%AE%B1%E7%A7%81%E3%81%AE%E8%A9%A6%E3%81%BF%E2%91%A1

2年目の2019年からは、3月11日を味噌玉作りの日と定めました。
世界の発酵仲間と共に東日本大震災そして福島原発事故を忘れまいと3.11misoとハッシュタグをつけて味噌仕込みをしているのです。  
平成31年3月11日に味噌玉を作り、令和元年5月8日に仕込み、3度の夏を経てようやく食べ頃を迎えました。

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2018年第一号玉味噌はもっと色が黒く熟成感が増していますが、極めて少量仕込みでしたのでこれは記念に取っておくことにします。
すっかり豆味噌の風格です。

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“すまし”を訪ねて「森の楽校」へ

南部地方では料理の味を決める調味料として味噌が主流でした。
南部玉味噌は趣向を凝らして更なる命が吹き込まれます。        ばっけ味噌(ふき味噌)・南蛮味噌・にんにく味噌・じゅうね味噌…。  
また漬け床としても使われ、味噌大根は岩手の味です。野菜のエキスを蓄えた漬け床は調味料としても使われました。
味噌は醬として使われていたのだと思います。

初めて“すまし”の存在を知ったのは、季刊誌『うかたま』(2018年夏)青森県八戸市南郷区にある「山の楽校」の特集記事でした。

旧南郷村小中学校の廃校を利用した体験交流施設「山の楽校」は南郷の農業や食文化の伝承に努めておられ、焼畑で痩せた土地を育て大豆をまき、玉味噌の復活に挑戦されています。そしてその味噌を使って醤油の様にして使う調味料“すまし”を復活させようと取り組まれているとのこと。
施設内の「楽校のそば屋」では“すまし”を使った「すましそば」が食べられるとあり翌年の夏、北へ車を走らせました。
https://www.yamanogakkou.com

南郷は夏は“やませ”と言って冷たい風の吹く、稲作には厳しい冷涼な地域で蕎麦や粟などの雑穀や大豆、南部たばこの畑も多く見られました。余談ですが南部たばこは高級品で花魁御用達だったとか。

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この施設で中心となって活動されている犾舘(えんだて)さんが出迎えて下さり、かつての職員室でしばし玉味噌談義。
復活させるにもお婆ちゃん達が歳を取り過ぎていて記録や記憶が無く困ったそうです。
少し無理を言って未だ熟成中の玉味噌を見せていただくことが出来ました。これまで口にした玉味噌は全て米麹入りだったので純粋(?)に天然麹菌のみで作った玉味噌は自分で作ったもの以外初めてです。奇しくも同じ年に仕込んだ玉味噌の味比べをすることが出来たのです。心の中で小躍りしていました。
茅葺き屋根の古民家に吊るしただけあって良い菌を感じました。私の玉味噌と似た味であることに嬉しくなりました。 

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さて、すましそばの実食です。出汁はいりこと昆布そして根菜。まだ玉味噌は出来上がっていないので山の楽校で作った玄米や黒豆のお味噌から作ったすましです。素朴な十割蕎麦となんとも丸みのある優しいお汁のお味でした。   

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すましの作り方

森の楽校の作りや農文協の聞き書を紐解いて以下のレシピで作ってみました。タイマグラのマサヨおばあちゃんも大きな焼酎のペットボトルに作り溜めていたそうです。分量は味噌の水分や塩分量によっても異なるので塩梅を見て作ってみて下さい。

材料 約150ml分

・玉味噌(八丁味噌など熟成させた豆味噌) 1カップ
・水 2カップ

作り方
①鍋に味噌と水を入れ5〜15分ほど味噌を煮溶かし少し煮詰める。
②晒し布やキッチンペーパー、コーヒーフィルターなどで一晩掛けてゆっくり濾す。

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塩分濃度が低いので冷蔵保存し、早めに使い切りましょう。

味噌と水を同割りにすれば濃く出来ます。私は濃いめに作って先ずは盛岡・花巻の郷土料理「わんこそば風すまし蕎麦」に。
江戸に行く途中立ち寄ったお殿様(南部直利)に椀こ(岩手では“〇〇こ”と付けます。姉っこ、お茶っこ、べこっこなど。)に少しのつゆとお蕎麦を盛って出したところ、美味い美味いと何杯もお代わりをして椀を重ねたのが始まりとか。

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次いで、岩手の郷土料理
「ぬっぺい汁」

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醤油には無い何処か懐かしい優しい味わいに心が和みます。
昔は味噌カスを家畜の牛にあげていたそうです。牛は塩が好きなんですね。
現在の醤油カスも家畜飼料にしているそうです。
せっかく作った味噌のカスを牛も居ない私がどうして捨てられましょう。
ということで、タイマグラのマサヨおばあちゃんが作っていた「ニンニク味噌」を真似て作ってみました。
鰹節や薬味を沢山入れますし、程よく塩分も抜けているのでおすすめです。
さらにしそ巻きならぬ荏胡麻巻きにしましたら、とてもカス利用とは思えない一品に。

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因みに「みそっかす」という言葉がありますが、まだ幼いため遊び仲間に入れてもらえない子どものことを指して使われます。味噌汁を作る際に味噌漉しに残る小さな滓が語源で、東京の方言だそうです。

垂れ味噌という文化

江戸時代、醤油は上方からの“下りもの”で高級品でした。江戸で作ったものは「下らないものですが…」と謙遜して使われる言葉。

室町時代から、味噌と水を合わせて煮たものを袋吊りにして垂れた液を調味料として使っていたのです。文字通り「垂れ味噌」。
火を入れないものは「生垂れ」。
また生垂れに鰹節を入れて煮たものを「煮貫き」と呼んで蕎麦つゆにしたそうです。江戸時代初期のレシピ本「料理物語」に書き残されたことにより私達も再現が可能となっており、書き記すことの大切さを思います。

江戸時代に銚子や野田で醤油が盛んに作られ庶民にも手軽に手に入るようになってからその作りは廃れましたが、東北では割と近年まで残っていたということなのだと思います。
江戸の調味料として「煎り酒」も醤油のようにして使う調味料ですが、醤油とは一味違う素晴らしい調味料ですよね。

このように二次加工的に生まれる調味料を思う時、まだまだ創意の余地は無限だなぁと思えるのでした。

玉味噌から作る“すまし”から、江戸時代以前の食を垣間見る旅が出来たことは大きな喜びです。





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