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第18話 入院の日々と心の基盤

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中学2年生の私は、病院でのハンストをやめて治療食を食べるようになりました。

その頃から、看護師さんや小児外科専属保母さんのお手伝いをするようになっていきました。今思えば、情操教育みたいなものでしょうか?

難しい子は任せられませんが、比較的元気な赤ちゃんにミルクを与え、ゲップさせて寝かしつける。
自分の食事を後回しにして、ベッドの柵を半分上げて、そこに赤ちゃんを座らせ離乳食を与える。

はい、重湯だよー。噛み噛みしてごらん?
そうそう!上手上手!
ほうれん草苦いね!重湯と混ぜようか!
トマト酸っぱいねー!
はい、おぶーだよ。(お茶)

使用前のオムツの重さを計量し、オムツに数値を大きく書いていくなどなど。

オルラヤホワイトレース
ご近所のお庭にいました。



保母さんの行事の手伝いは、プレイルームで季節ごとにかわります。天井まで届く巨大クリスマスツリーを飾ったり、クリスマス会ではサンタに扮装した医師が来る鈴の音を、段々近づくように鳴らしたり。

2月には立派な7段飾りの雛壇を飾り、3月3日が過ぎれば直ぐに片付けられないので、人形を後ろ向きに。
プレイルームでの小さな運動会では、フラフープに紙を貼り、アンパンマンの絵を描いて、簡単にくぐれるように切れ目を十字にいれるなど。

保母さんが、自分のお子さんの行事で休む時に、巨大紙芝居を皆にプレイルームで読んであげたり。色々とさせてもらえました。

それで、やっとちゃんと私は笑えるようになっていったと思います。そうそう!夜は医局にお邪魔して、ソファーで医師達と雑談していました。

食事は厳しくても、体調は良くなり、笑顔は増えました。その頃の体重は38kgくらいでした。

そういう穏やかな日々に、病棟で見かけた事で心に刻まれたものがあります。
残念ながら亡くなった子がいて、次は自分の子供じゃないかと病室の外で泣く母親と、慰める違う母親です。それを見た時、親よりはやく死んではいけない、、と学んだのです。

病棟の廊下を歩いていて見かけたのが、手の小指に点滴の針を刺される子です。
その子を、しーちゃんと言います。痛いとも言わず、医師が一回で入れてくれるのを信じているのです。

なぜ小指になってしまうのか、わかるでしょうか?刺しやすい場所は既に何度も刺し、血管は硬くなり、丸い血管が針が通らないくらいに潰れていくからです。そして、そんなに頑張ってる子ほど長生きが出来ません。

しーちゃんは、私が18歳くらいの時に亡くなりました。私はその頃、外来受診の時に病棟に立ち寄り、知ってる子を見て回っていました。しーちゃんはICUにいて、髪は元々栄養不良で茶色かったのが、金髪になっていて不安な目をしていました。

私は手を握り
頑張るんだよ?2週間したら、また来るからね!

弱々しく頷いてくれましたが、2週間後に来た時そのベッドにはいなかったんです。看護師さんに聞くも首を振るのみ。しーちゃんのお母さんが、着替えを取りに行っている時に亡くなったと聞き、私の心にザクッと亀裂ができたような気がしました。

これが、看護師さん達の苦しみか。。。


しーちゃんが、まだ病棟で点滴棒と一緒に歩き回っていた頃、珍しく家族と外泊した時に妹さんにおんぶしてもらって、楽しく帰宅していく本当の輝く笑顔が、私は忘れられません。

どれだけ過酷でも、命と向き合う心が病棟には沢山ありました。


大切なものを感じ取れて、よかったね。
ここで、私の基盤となるものができたね。

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