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完全に無知のままではいられない(2023/8/5 クララさん)

これは私たちが誰かの話をきき、なるべくそのままを書き残すことで、現代に生きる人の生活や思想をアーカイブしていく試みです。ターニングポイントに関するお話をしていただき、あわせて、姿を写真に収めさせてもらっています。

――事前に送った通り、どんな大きさのターニングポイントでもいいし、いつのことでもいいし、言いたいことだけでいいみたいな。言いたくないことは言わなくていいみたいな縛りなんですけど、何かその話を聞いたときに「じゃあこれかなー」って思ったこととかありますか?

 ……は、ありますね。うふふ、いくつかありまして。絞るとしたら、ゲストハウスという宿の存在を知ったこと。

――ゲストハウス。

 うん。結構そっからブワーッと、なんか知るものというか、遭遇するものが増えたかなって、今考えると。

――へえー! ゲストハウスって……ホテルとかとは違う。

 うん、そうそうそう。まあ、宿の形態の一つで、宿泊するところだけど、大抵のところは部屋の中に2段ベッド2つとか3つあったりして、他のお客さんと相部屋になる、ドミトリーっていう、そういう宿があって。19歳ぐらいのときに、京都にめちゃくちゃハマってて。「京都狂い」してて(笑)。

――早いですね? ハマるのが。

 そうなのかな。なんかね、修学旅行、中学校のときにも京都行ったんだけど、全然それは楽しくなくて、何も自分に響かなかったんだけど。高3ぐらいのときから、あんみつとか、抹茶パフェとか、ある感じの……甘味処みたいな要素のあるカフェというか飲食店でバイトをしてて。それを機に、当時は「和カフェ」っていうのがあって、まあ普通に昔からある甘味処とか、そういうものにめちゃくちゃはまって。そう。都内にある抹茶のスイーツのある店はネットでチェックして巡ったりしてたんだけど。
 京都に行くとまたさらに、たくさんそれがあって、そっからかな、きっかけになったというか。最初お母さんと一緒にふたりで京都に行ったんだけど「あれ? 京都、めちゃくちゃいいじゃん」ってなって。で、それから改めて初めて一人旅で京都に行って、ハマってもう何度もひとりで、京都にこだわって行くようになっていったんだけど。

――その、食べるのが目的でってことですよね?

 食べるのもそうだし、街の景観も、東京とは全然違うところがあるから。整然としてるところとか。なんか街なのに、みんな遊びに行くようなところなのに、通りの向こう側に山が見えたり川が近いところがすごい魅力的で。まあ足繁くっていうほどでもないけど、1年か2年に1回は行ってて。
 それで本屋さんとか行っても「Hanako」とか「OZmagazine」とか、ああいう雑誌でも、結構よく特集されてるし、そのたびに立ち読みしたり買ったりするぐらい、すごい京都狂いになってて。

――あははは、すごいなあ。

 そのなかで巡りあった雑誌で、朝ご飯から夜のバーとか締めの一杯の店まで、もうとにかく一日中京都を楽しむための紹介をしてて。で、いろんなタイプの宿、綺麗なカプセルホテルからちょっとコンセプチュアルなホテルまで紹介されてたんだけど、その中で初めてゲストハウスの存在を知って、他のお客さんと居合わせるようなドミトリーの宿があるんだっていう。
 それでそこに載ってた宿に初めて泊まってみたんだけど。一人旅だと、なんだろう、自分ひとりの行動は楽しみつつも、やっぱりお店とかどっかで人と話せると、ずっとひとりでいる中でコミュニケーションが生まれると、結構それがうれしいから。
 ゲストハウスも、他の人と居合わせるっていうのが、その、ちょうどいいというか。なんか、コミュニケーションができるところがひとつあるっていうのがちょうどいいなって思って。で、その初めて泊まったゲストハウスが、京都だからっていうのもあるけど、うん、いろんな国からも宿泊する人がいて、アメリカとかイギリスとか英語圏の人もいれば、中国、台湾、韓国とか、アジアから来てる人もいたし、とにかくいろんな人がいて。


――日本人より多いんですか?

 そこはなんかね、多かった。日本人は私の他にひとりぐらいしか見なかった。

――じゃあ文化っていうか、海外の人の方がそういうところに行くハードルがないというか……なんですかね?

 なのかな。でも多分、ゲストハウスによるかもしれない。なんかゲストハウスのカラーというか。日本人の方が多いところもあるし、そこはなんかたまたま、海外からのお客さんが多いところで。

――それが初めて行った?

 初めて行ったところ。うん、そう。なんとなく事前情報も知ってて、そのゲストハウスは、海外からのお客さんもよく来てて、ゲストハウスのオーナーの人の計らいで、みんなで夜ご飯を食べに行ったりすることもありますって書いてあって。

――ええ、みんなで?

 みんなで。まあ別に強制ではないけど、オーナーの人はそういう計らいをしてますっていうふうに紹介されてて、なんか面白そうだなーって思って、泊まってみたんだけど。実際に行ったら、やっぱり「今日はみんなで何か飲み物とか食べ物を買って、鴨川に行きましょう」って英語で書いてあって。

――あー、アナウンスされてるんですね? ホワイトボード的なところに。

 そうそうそう、入口のホワイトボードに書いてあって「へえー」って思って。なんだろうな……今考えると、私はもしゲストハウスに泊まるとしたら、そういう「ここは泊まりに来た人で、みんなで仲良くしましょう」みたいな雰囲気のところは、今になるとそんなにこう、行きたいとは思わなそうなんだけど。なんかそのときは、自分の好奇心の強さもあったと思うけど、強制でもないし、みんなでどっか行きましょうとかが、オーナーの人が自然にそうしてるような……感じというか。なんだろうな。

――わざとらしさがないみたいな?

 そうそう、うん、わざとらしさがない。嫌な感じがなくて、泊まりに来た人も、割とみんな喜んでそれに行ってる。「なんか川に行くみたいだけど……とりあえず向かおっか」みたいな。で、もちろん海外の人、いろんな国の人が多いから、使う言葉はほとんどみんな英語なんだけど。私の英語レベルは、本当にもう正直、全然ではないけど、別にそんな特別得意なわけではない。洋画を字幕なしでは内容はわからないぐらいのレベルなんだけど、そのときは、なんとなく英語で知ってる限りのものを使うだけで、なんかね、よくわかんないけど……行けたんだよね。コミュニケーションがとれた、楽しく。
 そのゲストハウスに、やっぱりね、楽しくて、何度か泊まったりしてて。他の国に友達ができたりしたし、それは本当にそこで居合わせただけで、別に長時間ともに話してたわけではないんだけど、なんとなくこう名前を聞くような感覚で「Facebookやってる?」みたいな感じに聞かれて教えるみたいな。あ、それを機にFacebookを始めたかな。2007年……ゼロ年代そのぐらいだったから、人々がFacebook始めるか始めないかぐらいのタイミングだったと思うんだけど。
 別に毎回友達ができるわけじゃないし、別に友達を作りに行ってたわけじゃないし、ゲストハウスは安いし、まあ、安く済んで、楽しく泊まれるなら、ちょっとどういう人と居合わせるかわかんないけど、そういう楽しみもあったから、うん、だから、何回か利用してたんだけど。そうだね、何度か泊まっていくうちにそうやって……なんだろうな。見える世界が、広がっていったような気がする。全然あの当時は、海外に行ったこともなかったけど、海外から旅行客が多く来る京都に何度か行ったことによって、海外の人と話す機会ができたのが、今考えると、ちょっと豊かな気持ちになるというか、その、見える世界の幅が広がったかなって。


――ターニングポイントって、ちょっと言葉がでかいからあれなんですけど、なんか点があるとして、それ以前とそれ以後で自分が何か変わったみたいなことになると思うんですよね、なんとなく。


 ああー、たしかに、うん。

――それで言うと、その思い出が選ばれたっていうことが結構、私としてはびっくりしたというか。

 おおー、あっ、そうなの?

――そうそうそう。あー、なんか、そこすごい重要なんだっていう、クララさんにとって……っていうのがすごい気になったんですけど。それ大体20歳ぐらいですよね?

 そうだね。うん。20歳前後。

――で、それまで京都に全く興味なかったというか。

 そうね。

――その前後っていうのは、こう「自分が何か変わった」みたいなのはあるんですか。

 あー、そっか。そういう見方を……そうか。

――あ、別になかったらないでもいいんですけど(笑)。

 そうだなあー。今考えるとそんなにはっきりはないかな。そこに目を向けたことによって、その機会が増えたっていうのが変わったことかも。自分の中で何かそれ以前と以後で何か変わったかというと、そこに目を向けると……それはないかな、うん。

――そっか。うふふ、いやいや、いいんですよ。正解があるわけじゃないんで。

 そうね(笑)。いろんなね、ターニングポイントっていうか、いろんなこういう曲がり角があったなっていくつか考えたうち、それが一番今の自分の感じだと、うん。今それが一番喋りたいって思ったかな。

――なるほど。私が見てるクララさんのイメージは、本当に旅好きだし、音楽活動されてますけどそれがメイン……なんて言うんだろう。音楽のためだけに音楽をやってるわけではないというか。例えばいろんな人に会いに行きたくて京都で演奏したり、他の土地にも行ったりとか、そういうイメージがあるんですよ。

 あっ、そう……うん(笑)、そう見えてるんだなと思って。

――はい、やっぱみんな大体盛り上がってるシーンみたいな、例えば下北沢のベースメントバー(ライブハウス)とか、あって、そこでみんな何回もそこに出て、こう友達増やしたり、つながり増やして、何か業界の人がどうのこうのとかそういう感じになっていくじゃないですか。こう、場所を決めていくというか。逆に広げていくというか、そこがすごい私のクララさんの好きなところなんですけど。

 あー、うれしい。

――そういうところにつながってるのかなって、聞いててね、思ったんですけど。そういう、なんて言うんですかね、ひらいていたいというか、常に移動できる状態でいたいというか。

 そう、そうね、たしかに。移動したい(笑)。

――移動、最高ですよね、移動って(笑)。

 移動最高(笑)。移動っていいよね。初めて話した、移動っていいよねって。

――はい、移動最強説あって。なんか移動してたら、連絡取れなくても許されないですか?

 あーたしかに!

――ね、新幹線だったんですいませんとか、飛行機だったんですいませんみたいな。

 免除される。

――電波が届かない場所にいられるみたいな、すごい極プライベート空間になれるのは結構移動かなって思うんですけど。

 たしかにそうだね。取り込み中になれる。

――そうそうそう。「そっか新幹線なら仕方ねえ」みたいな。で、着いたら知らないところに行ける。

 エキサイティングなことを楽しめるし、そうだね、移動好きだね。

――移動好きなイメージあります。それはだからその京都に行くところから始まってるんですかね? その移動好きは。旅行好き。

 そうかもね。それまでだったら、移動するとしたら、おばあちゃんちに、新潟に両親の実家があって、そこに毎年のようにお盆に田舎に帰るというか、遊びに行って。その新幹線の移動も好きだったし、その連れられていく感じ。
 小学校の頃にひとりで新幹線に乗ってみたこともあって、それもすごい楽しかったというか、特別な体験だったなと思ったし。でもそんな別に旅行に重きを置いてたわけじゃないというか。

――子ども時代は?

 子ども時代というか、それこそ20歳前後までの旅行とかもそうだったかもしれない。なんか友達とちょっと近場というか、関東圏内に旅行に行くこともあったけど。

――イベント的に。

 イベント的に、そう。楽しかったけど、まあ別に自分が計画してるものじゃなかったし。

――そうなんですね、誘われて行ったり?

 そうそうそうそう。だから、なんだろうな。友達とどっか遠くに行くっていうことを楽しんでたような感じだから。北海道行きたいとか、沖縄旅行行きたいとか、うん。自発的に思ってなかったかもしれない、今振り返れば。アメリカ行ってみたいとかヨーロッパ行きたいとか、そんなに全然、目は向けたことなかったかも。
 だからやっぱ、20歳前後の一人旅に出たことは、そっからだったのかなあ。かもしれない。「移動おもしろ」みたいな。

――あはは、移動にハマりました?

 ハマったね、うん。移動してるね、行けたらって感じだけど。でもかんなさんから言われたことは、確かにそうで。音楽やってるけど、なんか別に歌ってることだけがその……なんだろうな。うーん。それもしっかり向き合いつつ、でも、旅も好きだから、複合的に。街を歩くのも好きだからとか、日記を書いて、ブログだよね、ネットでそれを公開するのも好きだから、なんか複合的にクララズ(クララさんの活動名称)として動いてる感じはするかな。だから、そういうふうに見られてたんだなっていうのは、ちゃんと自分が思って動いてたのが反映……その通りに解釈されてて、うれしいです。ほっとした感じ。よかった。

――あーよかった、ほんとですか。そっか。京都には今も結構行きつづけていますか?

 あー、でも、だいぶなんか落ち着いてきて(笑)。

――頻度は減りました?

 そうだね。でも結構毎年のように行ってたし、行ってるし、1年に1回行ってるっていうペースは、あんまり変わってないかもしれない。遠征に行くのも京都が一番多いかな。それはたまたま行っていくうちに、京都に知り合いとか馴染みのライブハウスが増えて、行きやすくなった。精神的に。知ってる人がいるっていうのは心強い。そういうこともあって行ってるかな、うん。

――今日の服も、京都のバンド。

 あっ、そうだね(笑)。

――1回ライブ見に行きました。

 そうだよね、そうそうそう。これ京都のKailios(カイロス)っていうバンドのグッズで。ポケモンのカイロスっていう。

――あー! そこから来てるんですか。

 それもあるし。カイロス……何か別の語源があるのかな、うん、なんかそうみたい。そうだね。たまたま。

――たまたまなんですね、今日この話をするから着て来てくれたとかではなく(笑)。

 いや、ではなく(笑)。本当は全然別のTシャツを着てこうと思ったんだけど。これは実は部屋着っていうか、もう家からそのまま着て来たもので、白いTシャツでもいいかなって。なんか自分らしいかなと思って。


――自分らしくしてくれようとして。ありがたい。

 そうこれは自分っぽさを出していこうと……うん、たまたま。

――たまたまだったんですね。たまたま京都話になったっていう。

 京都話になりましたね(笑)。そうだね、結局そうなった。それで、本当につい最近、先週7月末に香港に初めて海外一人旅に行って。

――行ってましたねー! ひとりで行くのすごいよなあ。

 いや私ももうドキドキだった。そう。実は京都のゲストハウスで知り合った香港の友達がいて、その友達も、ワーキングホリデーで日本にちょっと滞在して働いてたこともあったから、その時に会ったり。あとその友達が香港に帰国した後も東京に遊びに来たことがあって、自分もいつか香港に行きたいなって思ってたんだけど。

――それが実現して。

 実現まで5、6年ぐらいはかかったけど。コロナも間にあったし。

――その人とはいつ出会ったんですか?

 その人とは、2016年。だいぶ前だね。

――たしかに。結構前になりますね。

 そうだね、2016年……あれだ。2014年に京都に旅したときに知り合った秋田県の友達と、2016年に京都で待ち合わせをして。

――へー! すごい。

 沢木耕太郎の『深夜特急』を読んだばっかりで、沢木耕太郎が20代の時にアジアからヨーロッパまで、まあざっくりしてるけど、バックパッカーとして旅をし続けたっていう旅行記なんだけど。そう。それの最初の章が、たしか香港だったんだよね。多分80年代だったと思うんだけど。
 その香港の描写が、なんか今もう忘れちゃってうまく説明できないんだけど、すごく印象的で。どんなにすごい熱気のところなんだろうって、ものすごく気になって。もう何十年と経った今では全然違う景色だと思うんだけど。それから何となく香港が気になっていて、その矢先に京都に行って、ゲストハウスに泊まったら香港から遊びに来た人がいて。
 帰る時に秋田の友達の荷物が増えて整理をしてて、荷物送ることになって、なんか袋が必要だってなったときに手を貸してくれたのがその香港の人で。

――よく覚えてますね。

 いやなんかね、すごい印象的で。で、「香港の方なんですね、実は最近沢木耕太郎の深夜特急っていう本で香港のことを読み終わったばっかりで、香港のことが気になってたんですよ」って話して。その人はたまたまその作品のことを知ってて。日本語の話せる人で。それから香港大学の、売ってるのかなんなのかわかんないけど、トートバッグをこれよかったらどうぞってくれて。

――荷物を送る用の袋として?

 そう、袋が必要だったのは秋田の友達だったけど、私にもついでにお土産としてくれて、やったーと思ってしばらく愛用してたんだけど。
 なんかそんなこんなで、多分Facebookなり何なりで繋がって、それからその人がワーキングホリデーで日本に滞在してる間も、私は京都にライブしに行く機会があって、そのライブを観に来てくれたり、一緒にご飯食べてたり遊んでくれたりもして、友達になったというか。
 そうしていくうちに、最近自分が香港にようやく行って、友達に5年ぶりに再会して、ということがあって。まあ直後だからこのことはやっぱり、話したくなる……っていうところに繋がってるなと今は思っているかな。
 香港については、なんだろうな。…………。けっこう私旅行から帰ってきた後、旅行が楽しすぎちゃうと、その後の日々がなんていうか感傷的になっちゃうというか、恋しすぎて、ああ戻りたいっていう風になっちゃうけど、今回の香港の旅も、ものすごく何ヶ月も前から楽しみにしてたし、なんかもう帰ったら抜け殻になっちゃうんじゃないかなって、どうなるんだろうって。心配というか、予想がつかなかったんだけど。
 帰った後は、自分が体験した香港や、自分が見た香港の町の日本と違うところとか、歴史的なところとか、うーんと……なんだろうな、政治的なところとかも、いろんな人にお土産話としてすごく伝えたい思いがあって、だからすごいインスタにめっちゃ写真をね、投稿しまくったんだけど既に。でもそれでは足りない情報も、現地で友達が本当にたくさんのことを教えてくれて、「えーおもしろ」っとメモりたくなるようなことがいっぱいあって、それを自分でnoteの記事にもいずれまとめて書きたいし。あとはあんまり頻繁に更新してないけど、自分のpodcastのラジオ番組というか、それにもまとめて伝えたいし、なんかどういう手段でこれから伝えていこうかなっていう気持ちになってて。
 意外にも抜け殻になってないというか、むしろ「さてこれからどうしようかな」って気持ちになれてることにちょっと自分でびっくりというか。あっこうなれるんだ、意外としゃんとした気持ちになってるっていうところがあって。むしろこれからやりたいことが出来て、びっくりしている。

――何か伝えたいことがある旅行なんて、なかなかないですよね。

 たしかにね、そうだよね。ものすごい何かいろいろ持ち帰ったような気になってる。でも、ひとりで行ったからっていうのはあるかもしれない。友達と行ったら、もちろんそれはそれで楽しいかもしれないけど。多分ひとりで行ったから、立ち止まりたいところは自分の使いたい時間だけ使って立ち止まって、観察できるし。でもほとんどは現地でその香港の友達が案内をしてくれたから、人とはいたんだけれども。友達が日本語でいろいろ教えてくれたし、それをひとりで感じて…
(店内BGMで「世界の車窓から」のテーマ曲がかかる)

――BGMがぴったりすぎて(笑)。すみません。

 本当だ(笑)。計らいかな。だとしたらありがとうございます。よくあったねこれ。

――深夜特急とか聞こえてきて、かけてくれたのかな(笑)。……で、それを人に伝えたいっていうところに持っていくというか、それがすごいなと思いました。

 そうだよね。うん。でもあれだな。前からなんかね、京都も行くたびになるべくブログとかで旅行記みたいなの書いてたな。最近はでもね、書こうとすると力が入ってまとめられなくなって、結局下書きのままってことも多いんだけど、今回すごく……どうにかしてお伝えしたいというような気持ちが強いかな。わかんない、頓挫するかもしれないし、わかんないけど、今、そういう気持ちでいる。


――それがすべてそのゲストハウスに行ったことから始まってると思うと、すごいですよね。

 さかのぼるとそうだよね。

――ね。行ってなかったら絶対今回の香港もなかったですもんね。

 そうだね、なかったと思う。友達が住んでなかったら、行ってなかったかもしれない。

――しかもひとりでね。

 そうなんだよね。

――やっぱ会いに行くっていうのがあるから、ひとりで行けたっていうのはありますよね。すごいなー。

 今に繋がってるなーと、振り返ったら思う。

――実際やっぱりクララさんの作家性というか、そこにも繋がってるようにも思えるし。

 にじみ出てるということでもあるから、うれしいかな。

――ちゃんとターニングポイントでしたね。

 って感じでした?なんか、どうかなと思ってたけど。

――いい具合な感じです。逆に何か言いたかったこととかあれば。もちろん言ってもらえたら。

 なんか後から出てくるかもしれない……。

――あるあるですけどね(笑)。

 そうだよね。なんか、うわーこれ話しとけばよかったとか。

――ありますよね。

 ……なんだろうなあ。えっと、またゲストハウスの話になるけど、私が最初に泊まったゲストハウスのオーナーの人も、その人の話が興味深くて。共有スペースに居合わせて、朝ダラダラ話すっていうことがあったんだけど、世界中を旅してきた経験のある人で、実際に自分で宿をやっていろんなお客さんと触れているっていうのもあるし、だからすごくその人の話を聞くのが面白かったんだけど。
 その人が言ってたことで印象的だったのは、多くの日本の人は歴史に関心がなさすぎるって。多分他の国の人と比べてそう見えるっていうことなのかも。
 恥ずかしながら私も小中高の頃は勉強が本当に好きじゃなくて。社会科、歴史・地理もそれに漏れず、ものすごく……なんだろうな、全然関心を持たずにいた身で、自分もその類の人間だと思いながらその言葉を聞いてはいたんだけど。
 だから自分もそのひとりだっていう意識もあって。今になって、それから10年ぐらいは経つけど、別にその直後から歴史の勉強を熱心に始めたっていうわけではないんだけど、ちょっとずつ……身近なところからいろんなことに関心を持ち始めて、今は歴史とか勉強し直したいなっていう思いが強くて。
 未だにニュースを見てて、「なんかこれってよく聞く言葉だけど、どういうことなんだろう」ってあんまりよくわかんないこともあるし。やっぱり他の国の人と話をする時、香港って1800何年から100年位かな、イギリス領だったんだけど。その間に日本が占領してた時代もちょっとあるんだけど。香港に行く前にいろいろ調べたりしてるうちにそういうことを知ったりして、ちょっと日本がその間、どういうことをしてきたかっていうのはぶっちゃけよくわかってないというか、これから詳しく知っていきたいっていう感じなんだけど。
 ただ香港の街を歩いただけでも、イギリス領だったときに整備された、山の中を歩くコースがあって、柵とか定期的に置かれてる電灯の器具もそのときのままでデザインもちょっと曲線があったりして。

――イギリスを感じるってことですか?

 そうそうそう。だから、歩いてるだけでも、まあ友達が補足して教えてくれたからわかったんだけど、この自然公園に残ってる説明書きに日本語の説明もあったんだけど、これもイギリス領の時に設置されたものだよって教えてくれて。だから、やっぱ歴史的な背景というか前提は切り離せないというか、完全に無知のままではいられないというか……っていうのを本当に、20代の頃にはなんか、そういうことは思ってなかった。

――うんうん。

 今はやっぱり、ゲストハウスのオーナーの人が言ってた言葉を思い返すと、その国で何があったかとか、日本がどういうことをしてきたかとか、もし知らないでいるとどこかで恥ずかしい思いをしたり、傷つけたりすることもあるんじゃないかなーって思うから。その言葉は覚えてて、印象に残ってて良かったなって思ってる。


――ゲストハウスで会った他の国の人との繋がりもそうですけど、そのゲストハウス自体との出会いも重要ということですよね。

 そう、そうだね。だからそこに行ってよかったなって思ってる。そこのゲストハウスは、オーナー家族が別のところに引っ越してもうないんだけどね。

――そうなんですか。

 だから、今自分がこういうことを思ってるってこと、こういう行動や考えに至ってますってことは、その人には伝わったらいいなって思ってる。多分ゲストハウスのその時のメールアドレスが多分まだ生きてて、連絡すれば教えられるんだけど。

――そういうのもあって、やっぱり伝えたいみたいなのがあるんですかね、人に。note書いたり。

 そうかも知れない。伝わったらいいなっていう思いは、なんでか、あるかなあというのが。

――最後に言っておきたいことでしたか?(笑)

 そうですね(笑)。長くなりました、聞いてくれてありがとうございました。

――なんか、よりクララさんのことを……少しだけ、わかった気もします。

 今、すごい話したいことの大部分というか、大事なことを話せた感じがする。うん。

――ああ、よかったよかった。ありがとうございます。

話 :クララ
文章:サトーカンナ
写真:服部健太郎

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