今年の5・3憲法集会の「意義」は何か考える

5月3日は憲法記念日です。上記の集会は「護憲派の集会」として認知されているもので、国会議員あいさつでは志位和夫衆院議員(日本共産党委員長)もあいさつする。

集会スローガンは

私たちは
・改憲発議を許さず、憲法をいかし、平和といのちとくらしと人権を守りま す。

軍拡と敵基地攻撃能力保有の閣議決定を撤回し、外交努力での平和を求めます。
辺野古新基地建設と南西諸島へのミサイル基地配備の中止を求めます。
エネルギー危機と脱炭素社会を口実とした原発推進政策に反対します。
ジェンダー平等の社会をめざします。
これら実現のため岸田政権の暴走をストップさせ、安心してくらせる社会をめざします。

(憲法集会のサイトより)

となっている。

行動提起や目標実現を呼びかける系でない文言でもスローガンと言えるのかと新鮮な思いもするが、幅広い内容訴が並ぶ。まさに憲法とは私たちのいのち・くらしに関わることであるんだと言いたいのかなと思う。それに異論はない。

憲法とは政府を縛るもの。その憲法を擁護し、その憲法の示す社会を実現する派としての大同団結をめざす主催者・共催者だからかそ、「私たちは〇〇します。」というスローガンになったのだろう。これは憲法を擁護する立場を捨て、改憲に突き進む自民・公明・維新・国民等の勢力へのアンチテーゼとしても成り立つ、「旗」なのだろう。

今回の集会では「国会議員あいさつ」というプログラムある。政党代表あいさつではないのだ。あくまで、このスローガンに賛同できる市民の集まりなのだ。この国会議員あいさつでは日本共産党の志位和夫衆院議員もあいさつするそうだ。志位議員は共産党の委員長。共産党としては党首を出すくらいの賛同の立場なのだろう。

ん?政府に対する、対抗的なスローガンではなく、「自分たちは〇〇します宣言」の中に出てきて大丈夫と思ってしまうのは私だけでしょうか。

何が言いたいかというと、スローガンの一つ目に「改憲発議を許さず、憲法をいかし、平和といのちとくらしと人権を守ります」と。人権とは幅広く、特に日本国憲法では基本的人権の尊重が大きな柱になっている。その中には「表現の自由」「言論の自由」「集会・結社の自由」などさまざまな「自由権」も尊重されるべきものとして憲法には示されている。憲法を守るのは政府であり、志位氏をはじめ国会議員や公務員には憲法擁護義務がある。

この間、「結社の自由」を盾に、マスメディアに対し、批判を攻撃と言う姿勢は結社の自由の「判例を都合よく解釈」し、表現・言論の「自由を脅かす」行為をしてきたの志位氏はじめ共産党そのものだった。

その共産党の委員長を務める志位衆院議員がこのスローガンの集会であいさつをすることはこの集会の本気度が問われると思う。しかし、集会は参加団体・参加者を「リスペクト」するということで不問にするだろう。

しかし、問題は憲法を生かすという立場の人たちが、憲法を生かす行動をしていないのに、それをスローガンにしていいのかという大きな問題。これは共産党は「憲法を守る」という法体系的に誤ったスローガンを掲げていたため、政府に憲法を守らせる立憲主義的な論戦が弱かった。いま、自分たちの公約は「憲法を生かす」に変わっているが、「天皇条項を含め、憲法を守る」が共産党を語るときには上位にくることも。これは、党内で憲法の精神を生かすより、革命政党としての気質と性格が優先される組織であることの証と考える。だとすると、この隊列に入る(入りたい)のであれば、その点を改めなくてはならないのではないだろうか。これは日本共産党の綱領や規約の再検討が必要だと考える。しかし、共産党にはその必要性すらないという立場なのだろう。だから、除名問題も起こってしまうのだ。

そこで、志位氏の挨拶時に何らかの意思表示を参加者にお願いしたい。話に背を向けたり、「表現の自由を守れ」「言論の自由を守れ」のプラカードやボードを掲げたりすることだ。

それだけ深刻な状況なんだと理解をしてもらう絶好の場ではないか。志位氏は安保法制反対の2015年の運動の中で国民連合政権構想を描き、共産党は候補者も降ろすという180度違う対応を示し、政権時の日米安保廃棄の主張凍結・一時容認、自衛隊合憲のするなど、社会党を彷彿させる提言を行える政治家だ。ならば、運動の声に応えてくれるのではと信じたい。

ネット署名もいいが、やはり、「共産党よ、目を覚ませ」は現場で行わないと。これは夢物語で終わる話かな…。


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