日本共産党は「民主的な組織」か?~29回党大会を前に②

日本共産党は1月の党大会に向けて、大会決議案を全党討論で練り上げ、支部総会-地区党会議-県党会議-党大会と代議員を選んでいくのだ。

この地区党会議で、除名批判をする党員が2~3割の得票を得る状況が一部にうまれているようだ。一方、除名や再審査が決議案に書いてないのであえて触れずに代議員になっている人もいるのではとの憶測、疑心暗鬼が生じている。

その点にくぎを刺しているのが、組織局長による文書(土方文書)だ。こちらの文書は常任幹部会のお墨付きをもらい、ひとつの指針となる文書になった。今日は、この文書に関連して、共産党の階段式の代議員選出方式の会議システムは本当に民主的なのかということを考えたい。

支部の代表とし地区党会議に参加したとして、そこで多数を得ないと次の県党会議に参加できない(声を届けられない)のである。つまり、少数意見切り捨ての多数代表制と言える。共産党が民主主義の根幹を揺るがすという小選挙区制と同じなのである。

自ら民主主義の根幹を揺るがすと批判する小選挙区制の問題点を、実はずっと党内で民主的として採用しているのだ。とてもおかしな話に聞こえないだろうか。

もし、共産党に民主主義の良心があるなら、多数者が少数者の意見を尊重するお手本をみせることだ。今回でいえば、除名撤回や除名行き過ぎといった声だ。これを「そういう意見が出た」と言えるのかが試金石だと思う。

しかし、「そういう意見も出たが、支持が広がらなかった」などという伝え方は、少数意見の尊重していると言えるのだろうか。あくまで、自分たち多数者の意見を尊重している言い方だ。自分たちこそ正しいと言いたいがための、マウント論法だ。こんなことが行われたらどんどん共産党の評価を下げるだけだろう。

では、少数者が多数者になるべく、党内で多数派工作(他支部の代表と連絡を取り合う)をしたらどうなるのか。これは分派活動と言われ処分の対象となってしまう可能性がある。つまり、党中央の方針に反対の少数者は「団結」できないのである。

志を同じくするもの―同志による団結と統一は民主主義を勝ち取る闘いには必要不可欠だが、党内批判のためともなればそれは処分の対象になる。それが日本共産党なのだ。

どんな異論を党内で述べるのは自由と言っても、それを実践しようとして行動する手段がないのだ。そして、党大会に向けた中間機関の会議では、少数意見が淘汰され、最終的には、少数意見を容認しない人による多数者集団が党大会の代議員となるのである。

2か月かけて民主的な議論をしているというが、実態は、2か月かけて都合の良い人物を見つけ出す議論をしていると言って過言はないではないだろうか。

共産党はこの代議員選出システムで集まった党員が信任した中央委員が承認した執行部が誕生することが民主的といっているが、すでに、代議員選出に民主的なのか疑問符がついている。これは、共産党の今の委員長決定過程が非民主的といわれても仕方ないのではないか。

このようなシステムの中で、除名について細心の注意を払ってできた「決議案」と除名再審査の扱いをどうするかはっきり示さない状況下、様々な意見があってしかるべきだが、地区党会議で一つの意見に集約されるというのが日本共産党の誇る民主的な党大会議論と言うわけだ。

「異論を許さない党ではない」と言うが、異論が淘汰される。「党内で自由に意見は述べられる」と言うが、異論は党大会で議論されない。これが現在の日本共産党の実態だ。

そうなると、異論(除名批判)は、中間機関段階では議案としての扱いが不透明だから積極的に述べず、党大会をめざすというのが、分派も作らず、無理やり表明しないことで内心の自由も守られる対応と考え、代議員になる人がいてもおかしくない。

これを批判するのが土方文書だ。
議案としての扱いを正式に示さず、除名反対者は正々堂々議論せよというのは、異論のあぶり出しによって、異論を淘汰させるシステムを機能させるための文書と言える。

日本共産党が民主的と誇るこのシステムが、民主的でないという事がいえ、「異論を認めている」と言っても、異論が議論されることが許されない以上、留保して活動すべきか、離党すべきかという選択肢しかなく、虹色の多様性の党などというのは幻想にしか過ぎず、党活動への意欲低下をうむだけではないだろうか。この現状を打破する改善案や改革案を常幹に提案するのが組織局ではないだろうか。常幹の保身のための組織局では、共産党の組織が強く大きいいものになるのだろうか。

党大会で異論も含めて議論されるようになって、初めて「自由に意見が言える党」となるのではないだろうか。そのためのシステム改善が必要と考える。締め付けだけの現状はとても民主的な組織と言えない。

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