見出し画像

外の世界といのちの音

外の世界は美しい。

わたしにとっての外の世界は

足元から美しいもので満ち溢れている。。。

この1~2年ほど、また写真が撮れるようになり

美しいと感じるものを撮ってきた。

それは、そこにいる足元からなかなか先に進まないくらいに。

画像2

じぶんがこころで感じる瞬間を撮れるというのは、しあわせなことで気づくと再開できたときはとてもうれしく、この先もできていたことができるようになると、胸を膨らませていた自分がいた。そして、2019年の9月はからだに合った治療と日常生活の工夫もあり気付くと日々感じていた骨の痛みも軽くなりからだの動きも病が発症し過ごしてきた年月の中では最高と思えるくらいの調子でこの先、これが続くと・・・徐々に旅行にも行けるようになるのでは。

と、おもうくらいに回復、そしてこれからまた元気だった時のようにいろんなところに出掛けたりしばらく会えなかった人たちにも会えるようになるのでは?と、希望に満ち溢れていた。

そして、このからだでどれだけのことができるのか、いろいろと試してみると・・・手足の動きが低下していくことになり、

画像4

見上げると美しく感じる空も地に根を張り生きている木や草花など

撮ることができていた世界を撮ることができなくなった。

画像4

しかし、そのおかげで

いまある世界をいまのからだで生きるには

まだまだ未完成なのだということを感じることができた。

そして、できないことをできるようにはなるには

何が足りないのか。あらためて考えることも。

そして、大切なことは いまできることをたのしむこと。

そうやって過ごしたある日、ふと絵を描きたくなった私がいた。

それは、蝉の声をきいた時。

画像2

蝉の声はいのちの音だ・・・

そうおもうと、ペンを取りたくなり描いてみた。

そして、描いている間は無心になり骨の痛みも

緩和されるように感じ8月から少しずつ描くように。

日常を過ごしていると、ふと撮りたくなる瞬間がある。しかし、いまはできないため、こころのカメラで撮ることにして、その分ふと感じたことを描くようになり、いまを生きている!ということをたのしめることがひとつ増え、あの日鳴いていた蝉にはありがとう。と伝えたい。。。

そして、美しいと感じる外の世界の写真が撮れなくなったおかげで世の中や自分の身体にはまだ足りないことがあることをあらためて体感することができてよかったと思う。何しろあたらしいことは何でも試してみないとわからない。なので、からだのQOLをチェックする節目をむかえた10月も変わらずいまをたのしみながら進んでいこう!

令和2年10月10日










この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?