見出し画像

民生さん

15年前、いや20年前、いいや、もっと前か。ミュージックステーションで、奥田民生さんがギター1本で『息子』を歌っていた。そのころ、確か世の中は、小室さんのユーロビートのリズムのヒット曲が蔓延してたと思う。そんな中でアコギ1本で大きな確かな声で歌う民生さん、しかも愛しているとか私はなんとか、みたいな歌ばかりの中、演歌かよ、っていうぐらいストレートすぎるタイトル、そして紺碧の海へ漕ぎ出せと歌う『息子』。まあ、ハートを射貫かれた。『息子』っていうぐらいなんだから、心を射貫かれた、と書いた方がよいか。なんなの、この人。なんなんだ、この歌は!

ユニコーンがブイブイいわせていたころ、私は貧乏学生で家にテレビがなかった。もちろんインターネットもなく、BANDやろーぜ、とかPATi・PATiとかを買うには、若さもお金も若干足りなかった。だから、家庭教師先の高校生の机の上においてあったユニコーンのアルバムの曲名のかいたメモを眺めてて、ちょっとおもしろいタイトルの曲を書く人、ああ、あの大迷惑のグループ、ぐらいの認識だった。

射貫かれた私は、奥田民生さんのアルバムを買い、ユニコーンも聞きあさり、グッズを買ったり、コンサートも東京、愛知あたりまでは遠征する日が続いた。ギターも始めてみた。もちろんFで挫折した。射貫かれてから10年近くは奥田民生ファンと他の人に言えるぐらいの活動はしてきた。が、本格的に仕事と子育てが忙しくなってしまったことと、ホールでピョンピョン跳びはねてたらくらくらして倒れそうになって体力の限界も感じたこと、民生さんのソロ活動以外にも他の人とのコラボなんかも増えている感じがして少し足が遠のいていた。少しじゃないな、、めっちゃ足が遠のいていた。黒ラベルの大人エレベーターのCMの民生さんをみて、おおさらにいい感じになった、とえらそうに思ったりしてた。そしてユニコーン再結成になるけど、ユニコーンは後付けでのファンだったせいか、川の対岸でちょっとみえるのを、おおやっているなあとチラ見する日々が続いた。

2020年は、ミュージシャンや俳優さんなど舞台にたつエンターテイメントに関わる人達には、大変な年になってしまった。奥田さんも類にもれなかったようだ。twitterで、民生さんのバーチャビレがすごい!って流れてきて、思わずDVDをポチったし、広島のひとり股旅の配信チケットを買った。22日は、最初はちっさなスマホの画面で、息子にミラーリングすればいいといわれ、後半はテレビの大画面でみた。ギター1本で大きな確かな声で歌う姿は全然かわりなく、もしかしたらパワーアップしてるかぐらいの勢いで、もうかじりつきで一緒に歌った。今は今なのだけど、民生さんの一曲一曲をスピーカーの前に張り付いて嬉々として聞いていたわくわくした感じを思い出した。いやー、よかった。人生長く生きてきてまたこんな感じになれるとは。。。新しく雷に打たれるような経験はなかなかできない年にはなったけど、忘れていた感じを思い起こすのも嫌じゃないし、むしろにまにましちゃう程度に嬉しいなと自分で思う。民生さんのファンといえるぐらい活動しててよかったとほんとに思う。ピョンピョンとび跳ねたらきっと酸欠で倒れるけど、、、。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?