母と暮せばを見た。自分の死生観を見つめ直した。

仕事をやめてから毎日ネトフリでいろんなものを観ている。
先日二宮くんと吉永小百合の「母と暮せば」を観た。
数年前に話題になってたなとなんとなく見始めた映画だったけど、自分の中の死生観を見つめ直せた映画だった。

この先はネタバレしかないからお気をつけください。





話を要約すると、母一人子一人で暮らしていた母と息子、医学生だった息子は長崎への原爆投下で即死、お母さんはその死を信じられず3年間、息子の婚約者と、息子の帰りを待ち続けるが、原爆投下から3年経った時、お母さんは息子の死を受け入れる。
そうすると、お化けになった息子が「お母さんが僕の死を受け入れてくれたから、漸く出てくることができた」とお母さんの前に姿を現す。
お母さんは、死んだ息子と色んな会話をする、そのうちに婚約者が幸せになることを、二人で願えるようになる。
でもいざ婚約者が、新しい恋人を連れてくると、お母さんは「何であの子が幸せになって、あなた❨我が子❩が死ななければならなかったのか」と嘆く。
大晦日の晩、お母さんは息子に迎えに来てもらって天国へ。
良くしてくれていた近所の人が、亡くなったお母さんを発見して「ひとりきりで。かわいそうに。」と嘆く。

私は映画を見終わったあと、映画のレビューをみて他の人がこの映画についてどんな感想を持ったのかを読むのが楽しみ。
❨ちなみに本を読み終わったあとも、読書メーターで同じ本を読んだ人の感想を読んでいいねをつけまくっている❩

母と暮せばのレビューをみているとそもそも「父と暮せば」という物語があったことも初めて知った。
レビューの中に「死んで終わりなんて」「浩二は死神」といったものもあって、ああ、こういう感じ方や捉え方をする人もいるのか。と知った。

私は、死んだら終わりとは思わない、昔から、人よりは死に憧れているところがある。全く別のところへ行ける気もするし、無にかえるんだという気も、生まれる前にいたところに戻るんだという気もする❨ちなみに私は、神道も仏教もカトリックの教えも文化も好きで、いいとこ取りして生きてる典型的な日本人❩。
看護師として、患者さんを看取ったから、体から魂が抜けていくことは、簡単なことではないことも知っている。

「母と暮せば」の、お母さんの伸子は、息子の浩二の生存の可能性を諦めた瞬間、自分の命も諦めたのだと思う。夫が病死し、長男が戦地で戦死した伸子にとって、最後の生きる希望は、医学生である次男の浩二だった。医学生なら兵隊さんとして戦地へ行かなくてもよかったから、安心してた。浩二の医師としての活躍を、婚約者の町子と浩二の幸せな結婚生活を、助産婦として他人の子を昼と夜となく取り上げながら夢見て暮らしていた。
そんな希望が、世の中の多くの母親なら当たり前に抱いた希望が、浩二の死を受入れることによって砕かれたから、もう伸子にとっては、この世にいる意味がなくなっちゃったんだよね。

そう考えると、浩二の死後も自分のことを実の母親のように大切にしてくれた町子に、新しい婚約者が現れたこと❨しかもその相手が大切な人を失った町子にとってこの上ない相手であったこと❩を見届けてから浩二にお迎えにきてもらえて、伸子は生きてる時は辛いことばっかりだったけど、幸せな死を迎えられたんだなと思う。

「死んだら終わり」という考え方は、私はしたくない。宿った命は生まれてくるべき❨べきという表現は語弊もあるかもしれない❩だし、すべての命は死んだら終わりではないと思う。良くも悪くも、周囲に影響を及ぼしながら生きて死んでいく、死んだあともその生き様死に様が周囲に影響を及ぼすし、何もかもないまぜにしながら各々の人生は進む。

毎日色んなことが起こり自分の感情に振り回されているけれど、私にとっていつか訪れる死は、希望だ。
死は避けられないからこそ、それに向き合う人に、患者さんに、看護師として、一人の人間として寄り添うような関わり方ができたら、と思う。

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