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hanaike Books #3 原田マハ『リーチ先生』

花のある暮らしに添えていただきたい書籍を、リレー形式で紹介いただくhanaike Books
Backpackers' Japanの 石崎嵩人さんにご紹介いただいた、暮らしの雑貨、古道具の店 sent.を営む秦 美咲さんに執筆をお願いしました。
お店でやきものや器を扱う秦さんらしい選書を、お楽しみください。

社会人になり、親元を離れ一人暮らしを始めたのをきっかけに、陶器市や器屋、窯元に足を運んでは器を集めるようになりました。お恥ずかしながら私自身は花の知識が乏しく、手先も不器用。華道の師範でもあった祖母のように花に詳しくも、うまく活けることも出来ないけれど、ただそこに美しく佇む「花器」に、いつしか魅了されていきました。

民藝に触れる

少しずつ集めたお気に入りの器のひとつに、民藝の器として知られる、大分県は日田市の山あいにある「小鹿田焼(おんたやき)の里」を訪れた際に手に入れた大きめの花瓶があります。今回ご紹介する本は、その「小鹿田焼の里」に、東洋と西洋の架け橋となったイギリス人陶芸家バーナード・リーチが訪れるところから物語がはじまる、原田マハさん『リーチ先生』。フィクションながらも史実に基づいた、リーチの半生を描いた長編小説です。

日本史の授業で見聞きした「白樺派」や「民藝運動」。近年の民藝ブームも相まって見聞きすることが増えましたが、柳宗悦をはじめ、濱田庄司、河井寛次郎など、実在する著名な芸術家が本の中で続々と登場し、今まで二次元的にしか見えていなかった単語や歴史が物語を通して絡み合い、人物に温度を感じ、三次元的に見えてくる。ノンフィクションとフィクションが入り混じった物語は、難しい語句が並ぶ民藝書とはまた違った角度から当時の様子を垣間見れ、陶芸や民藝に詳しくなくとも、どんどん引き込まれていきます。

水差しにみる小鹿田の歴史

江戸幕府直轄領であった日田の代官により、領内の生活雑器の需要を賄うために興された小鹿田焼は、平成7年に国の重要無形文化財に指定されています。また、平成20年には「小鹿田焼の里」の名称で重要文化的景観として選定されました。

『リーチ先生』のプロローグには、初めて小鹿田に降り立ったリーチが、小鹿田の陶工たちがつくる水差しをとても気に入る場面があります。イギリス人のリーチからするとジャグ(水差し)は当たり前にあるものですが、当時の日本では珍しく、九州の他地域はもちろん小鹿田焼と兄弟窯である福岡の小石原焼でさえも、古くからは作られていなかったそう。小鹿田の里がある日田は、幕府の直轄地(天領)であったゆえに、江戸や上方、長崎などとの交流を通して町人文化が築かれてきた歴史からも、オランダやポルトガルの南蛮文化が入ってきたと考えられます。弟子をとらず、親から子へと技を伝える “一子相伝” を現在でも守り続ける小鹿田焼だからこその水差しの特有性も、とても興味深い話です。

国境や身分、時代をも超えて

物語の中で、小鹿田の若い見習いが、普段自分たちがご飯をよそっている碗や漬物を入れている鉢などの雑器を、リーチをはじめ著名な先生方があまりにも褒めるので不思議でならない、といった様子が描かれています。
私の地元福岡の家庭や飲食店では、小鹿田焼や小石原焼にみられる飛び鉋や刷毛目といった特徴的な模様の器がよく使われており、幼い頃から馴染みのある器でもあります。だからか、不思議に思うその当時の陶工たちに少し共感する部分もありつつも、手仕事の日用品の中に「美」を見出した当時の偉人たちの偉大さを、感じずにはいられません。

著名な芸術家たちが登場する中で、河井寛次郎が言い放ちます。

 ”『有名』だからいい、というわけじゃない。むしろ『無名』であることに誇りを持ちなさい”

上京するときに実家の食器棚から分けてもらった、小鹿田焼の小皿によそった料理をいただきながら、「好いものは、好い。理屈はいりません」というリーチ先生の言葉を、じっくり、ゆっくり、噛みしめます。

writer
秦 美咲 @sent.__shop
1988年生まれ、福岡県出身。埼玉県北本市で雑貨店「sent.」を開業後、結婚を機に神奈川県小田原市に拠点を移す。主に作家モノの器や生活雑貨、古道具を扱う。

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