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白鳥の伝説 🦢

前回は、
しだみ古墳群ミュージアムすぐ側の古墳群のレポでしたが。

今回は、
しだみ古墳群の元になったといわれる古墳。
白鳥塚古墳(しらとりづかこふん)へ🦢
4世紀前半の前方後円墳です。

こちらの古墳は、
愛知三大古墳の一つでもあるそうです😳
(ここは3番目

立派な柵

ミュージアムから徒歩でも行けます🚶‍♀️

駐車場も6台ほどあります🚗

この白鳥塚古墳ができたからこそ、
その後に他の古墳もできたようです。

なぜ白鳥塚と呼ばれるようになったのか。
二通りの説があるようです。

  1. 石英(白い石)を古墳に噴いて白く輝いた姿が白鳥のようだったから

  2. ヤマトタケルと白鳥の伝説の地だから

個人的にはどちらの説も掛け合わせてなのかな…と🤔

素人の考察はさておき、
ひと先ず古墳へ。

白鳥塚古墳

木に覆われているのでわかりにくですが(笑)
左側が前方、右側が後円です。

汚い線で申し訳ないけどもこんな感じです😅
後円

階段があって墳頂へ登れるようになってました😆

けっこう急な階段

古墳というより森林の散策道な気分𐤔𐤔𐤔
この辺りは山に近いのでなおさら。

墳頂

墳頂はもちろん円形です◯
中心部は石英を敷いて復元されていました。

本来はどこまで綺麗に石英で葺いていたのからわならないけれど、
なにせ大きな古墳なので、
すごい量の石が必要だったでしょうね💦

墳頂の石英

陽が当たるともっと白く輝くのかもしれないですが、大きい木に囲まれていて木影なので輝きが足りない…。

墳頂から空を見上げる

木影は気持ちいいけど景色は見えず⭐︎

前方部分を見る

墳頂から前方部分を見たけど、
木が邪魔してわからなかったです😂

前方部分

後円から下りて前方へ。
階段と木で形がよくわからない💦

経年劣化で崩れたのか埋まったのか?
前方部は分かりにくいです。

横から見るとこんな感じ
ただの土手みたい😂
(城好き目線だと土塁)

反対側へ行ってみると、
コチラより高低差がありました。

土で埋まったのか、
それともアチラとコチラで高低差のある古墳なのか?🤔

前方部の反対側

草が生い茂りすぎてて近寄れなかったのですが、
前方後円墳のくびれの所を石英で復元してありました。

復元されたところ

復元してから年月が経ったのか?
あまり白くない😂

とはいえ、
4世紀の古墳時代。
見たこともないような真っ白な古墳はかなり見ものだったでしょうね!!

誰の墓なのか。
これは正確にはわかってないようですが。
おそらく、
尾張国造の乎止与命(オトヨノミコト)と推定しているようです。
つまりあの時代の尾張地方を治めてた人物。

人物が特定されていなくても、
『これだけの古墳を造る権力があった人』の誰かなのは確かなわけで。

前方後円墳を造ることを許されたということは、
大和王権と繋がっていたということですよね。


それもそのはずで、
尾張国造の乎止与命(オトヨノミコト)は、
倭建命(ヤマトタケルノミコト)の伝説に登場してきます。

以下、古事記、日本書紀、その他の伝承など。
色んな説がありすぎて何が正解かはわからないけども。
そもそも乎止与命(オトヨノミコト)も色んな説があるようですw‪𐤔

かい摘んで私なりの解釈で行きます(・∀・)

尾張国造のオトヨノミコトは自分の息子を、
ヤマトタケルの東征で副将軍につけて協力したとのこと。

そして娘の美夜受比売(ミヤズヒメ)は、
ヤマトタケルの妻となります。

白鳥塚の名前の由来はこの辺にあるのでは?
と私は思います。


ヤマトタケルが東征を終えて尾張に戻り、
ミヤズヒメと結婚します。

そしてなぜか、
大事な草薙御剣をミヤズヒメに預けて、
素手で伊吹山の神を倒しに行きます。

まぁ素手なのでボロ負けしちゃいまして。

伊勢方面へ逃げて大和へ帰ろうとしたのだけど。
(余談ですが、この時のヤマトタケルの言葉から三重という名前が生まれました)

大和へ辿り着けずに途中で力尽きてしまいます。

ヤマトタケルはなぜか白鳥になって大和へ飛び立ち、
鳥が降り立ったところにお墓がつくられました。

というのが東征を終えてからヤマトタケルの最期への大まかな流れなのですが(雑w‪𐤔

志段味にある白鳥塚古墳の伝説は、

伊吹山の神退治へ向かう道中、
蛇に噛まれたヤマトタケルが、
ちょうどそこにいた白鳥に「どうか尾張へ連れ帰ってください。」と頼んだところ。

白鳥はヤマトタケルを運んで、
尾張(志段味)まで連れてきたところで力尽きてしまう。

その白鳥を悼んで造られたのが、
この志段味にある白鳥塚古墳。

つまり前回のnoteのこれに繋がるわけですが(笑)
↓↓↓

『白鳥にのったヤマトタケル伝説』
を信仰している?人々が、
志段味大塚古墳を造っているの図!?

話が合いません𐤔𐤔𐤔

そもそも白鳥に乗るとか(それは言ってはダメ🙅‍♀️

蛇に噛まれた場所は、
伊吹山の麓ということで。
もう伊吹山はすぐそこなのに、
フリダシの尾張へ戻る意味😂

しかもミヤズヒメは尾張にいるといっても今の名古屋市の南の方。

白鳥塚古墳がある志段味は、
名古屋市の北東。
なぜそこに!?🤔

あまりにも辻褄が合わないので。

白鳥に乗って(?)戻って来たのは、
ヤマトタケル本人ではなくて同行した地位のある誰かなのでは!?🤔

そして大和王権と強い繋がりを持ち続けたい尾張国造が、
このエピソードをヤマトタケルとの繋がりとして創ったのではないか!?🤔

ミヤズヒメとの間に子供がいたかも不明となれば、
何かしらの理由をつけて繋がりを強めたかったのかな…と。

伊吹山で負けて、
尾張ではなく大和へ帰ろうとしたのは何故か?
尾張の方が近いし草薙御剣もあるのに…

そもそも草薙御剣をミヤズヒメの元に置いていったのも謎だし…。

超絶素人なので誰か教えて😂

倭建命。
今まではふわっとした内容でしか知らなかったけど。
(今でもふわっとしてるけど。

今回の志段味古墳群のおかげでちゃんと知ろうと思いました😊

いや、古墳というよりもこの覗き箱のおかげといっても過言ではない😂

インパクト強くて忘れられない😂

この絵の意味を知るために、
色々調べたわけです(笑)

この絵のおかげで、
ヤマトタケル関係の本やネットで色んな説を読んだりして。
もう何ヶ月も楽しませてもらってます😊

そして真実はわからない謎だからこそ浪漫だな…
と思う今日この頃でした😌

かしこ


前回のnoteはコチラ💁‍♀️

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