HSP気質【子ども時代】

私は、HSPの生きづらさを抱えながら生活しています。心療内科で診断名はつけられませんが、病院の先生にHSPであることを伝えたら頷いておられました。

今思えば子どもの頃からのしんどさはそれだったんだなという感じ。でも、その性格が嫌でもがいてもがいて変わりたいと見方を変えてきた。性格を受け入れ、どうしたら生きやすくなるのかを考えてきました。今でも考えています。

HSPには、以下の気質もあります。
→繊細で敏感なHSP
  他人がどう思ったのか気にしてしまう 
  こう言ったら変なのではないか
  こんなことを言えば変なのではないか
 不安で話せなくなる。気を遣いすぎて疲れる



今回は、子どもの頃の様子を書きます。
もし、こうゆう子を見たら、友達と関わりたくないわけではなくて、関わりたくても気を遣いすぎて疲れてしまったり関わり方が分からなかったりしているのかもしれません。敢えて距離を置いている場合もあります。その子によって関わり方が変わってくるから難しいけれど、気にかけてほしい。放課後等デイサービスで働いている指導員として気にかけていきたい。

田舎出身のため、保育園から中学校までほぼ同じメンバーの20人クラス。
それでも同級生に馴染めなかった。ずっと人の顔色ばかり伺い、人の目を気にして、人に話しかけられなかった。「どう思われてるんだろう?」ってずっと気にしていた。友達に「あそぼ」って言えなかったし、友達の輪に入れなかった。どのタイミングで誘おうか考えているうちに周りから誰もいなくなる。
二人だけだと話せるけど、たくさんの輪の中では静か。話さない。何を話したらいいのか分からない。どのタイミングで話したらいいのか分からない。頭の中で言葉を考えている間に次の話題に移っている。
友達だと思っていいのかも分からない。だって相手がどう思っているのか分からないから。

まー、クラスもクラスで結構荒れてるクラスだったからっていうのもあるけれど、
小学1、2年の先生から「〇〇さんは全体を客観的に見る子ですからね」って。それ、HSPの性格を顕著に表してるやん!

卓球クラブに入っていたけど、監督から「不思議な子ですよね。なかなか人に話に行かないし。僕から話しに行かせるきっかけを作ったんですけれど。」って監督は気づいて親に話してくれていた。
でも、家に帰れば家族には気にせずに話せるから親は気にしていなかった。

生きづらかったんだ。頑張ってたんだ。なんでだろう?って考えていたけど、生まれつきの性質だったんだね。

次は、それをどう考えてきたのか、今少しでも生きやすくなった理由を書きたいと思います。

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